キリスト教徒に成った内村鑑三は、人間(じんかん)主義の実践を唱えた日蓮に
私淑していた事があります。その内村ら明治知識人のキリスト教改宗者達に、
これまた人間主義の実践を唱えた陽明学の学徒が多かったという話もあります。

私は、戦前の日本におけるキリスト教への改宗者達やマルクス主義を信奉するに
至った者達は、継受されたアングロサクソン文明、とりわけ資本主義によって、
日本文明の人間主義性が部分的に損なわれるに至ったことに強い危機感を抱き、
それぞれ、利他主義の実践を本旨とするキリスト教、人間主義社会への回帰を
本旨とするマルクス主義に惹かれた、と考えています。

彼らが押しなべて人間主義者であったが故に、前者の多くは、利他主義を
阻害する面のある教会を厭って、キリスト教徒としては世界的には異例にも
無教会主義を唱え、また後者の多くは、人間主義社会への回帰の手段として
プロレタリア独裁制という非人間主義の極致を必要悪として積極的に容認する
マルクス・レーニン主義を厭って、マルクス主義者としてはこれまた世界的には
異例にも無政府主義を唱えたのだと私は思うのです。

ちなみに、戦後において、この両者が同床同夢で拠ったのが社会党であり、戦後
大政翼賛会体制の「ハト」派としての「重要」な役割を果たしたところ、この両者の
勢力の衰退とともに社会党もまた消滅してしまったことを我々は知っています。