https://www.youtube.com/watch?v=Ri38F1DC3mE
この動画シリーズで解説してきたアイヌに関する情報をまとめてみましょう。

・元史によれば、モンゴル軍は樺太に住むアイヌと推定される部族を1264年から二回にわたって攻撃している。
・文献資料において初めて北海道アイヌの存在が確認されるのは13世紀からである。
・アイヌ文化の考古遺跡もまた、13世紀以降の物しか確認されていない。
・それ以前の北海道は擦文文化の時代であり、その前は続縄文時代であり、そのまた前は縄文時代である。これらは土器の違いで分類されている。
いずれも竪穴式住居に住んでおり、漆の文化を持っていた。これらの文化は北海道から東北部までまたがって分布しており、人の移動、交流もあったと推測されている。
・アイヌ文化は北海道限定で生まれた。アイヌは掘立柱建物に住んでおり、漆の文化は持っていなかった。
・アイヌの風習である「熊送り」は樺太〜アムール川周辺の諸部族と共通するものである。
・アイヌ文様は樺太〜アムール川周辺の諸部族のものと類似している。
・初期のアイヌ遺跡は北海道東部に集中している。
・14世紀、北海道南部には「渡党」と呼ばれる倭人とコミュニケーションが取れる人々が存在していた。
これらはかつて擦文文化の担い手だった人々の末裔だと推測されている。
同時に、「日ノ本」と「唐子」というコミュニケーションが取れない人々も存在していた。これらは、アイヌだと推測されている。
・江戸時代までにはアイヌの居住範囲は北海道全域に広がっていた。
・一般日本人とアイヌ系日本人の遺伝子は非情に隔たりが大きい
・アイヌのDNAはオホーツク〜アムール周辺の部族と共通する部分があるとされる。
・アイヌ系日本人のATLウイルスのキャリアの割合は、北海道の和人系日本人のそれと比べて桁外れに大きい。
・アイヌ語と日本語は全く違う系統の言語であり、基本語彙の発音の類似も殆ど見られない。
・アイヌの数の認識方法は20進法が基本となっている。例えば百という数の概念は存在せず、5つの20と認識する。
・日本語とアイヌ語が同じ言語から分岐したものだとすれば、その年代は8000年前だともされる。