【蝦夷】日 本の先住民族【熊襲】【隼人】
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現代の中韓人が北からの移民というソースは? >>94
たとえバカウヨだとしても、日本人だからな
お前ら朝鮮人より、人間のランクが絶対的に上回っている 武人の血
桓武朝において征夷大将軍として蝦夷征討に功のあった坂上田村麻呂の娘春子は桓武天皇の後宮に入り、葛井親王を儲けます。
葛井親王は、外祖父田村麻呂の資質を受け継ぎ弓術に秀でていました。親王が12歳のとき、嵯峨天皇隣席の下に行われた射礼(じゃらい)という儀式の余興で彼に弓を射させたところ、
百発百中であったため、参列していた坂上田村麻呂は、喜びと興奮の余り自慢の孫を抱き上げて舞を舞い、天皇に向かって、
自分の武芸など皇子(みこ)には到底及びませんと述べて、爺バカぶりを発揮したというエピソードが残されています。
葛井親王には棟貞王という子がいましたが、彼の娘は、清和天皇の更衣となり、貞純親王を儲けます。この貞純親王の子で、
源姓を与えられて臣籍に下ったのが清和源氏の祖・源経基です。つまり、源頼朝、源義経、足利尊氏ら清和源氏の武士たちは、
皆坂上田村麻呂の血を受け継いでいたのです。清和源氏が武門の家系となったのも坂上田村麻呂の血のなせる業なのかも知れません。
#坂上田村麻呂#清和源氏 日本古代史の真相は,天武天皇までの歴史は,日本の島を舞台にした歴史にまちがいないが,けっして,土着日本人の歴史ではない,人間の面からいえば,朝鮮半島の人びとがこの島に進出,あるいは亡命しつづけ,ついに故国と縁を断ち切り,新生の独立国として起つまでの歴史なのである。つまり日本史の主人公は半島の人たちなのだ
((荒俣 宏)) 瓠公(ここう)は、新羅の建国時(紀元前後)に諸王に仕えた重臣。また金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。
もとは倭人とされる。
新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物である。瓠(ひさご)を腰に下げて海を渡ってきたことからその名がついたと『三国史記』は伝えている。 赫居世居西干(かくきょせい きょせいかん )は、斯蘆国の初代の王(在位:紀元前57年? - 4年)であり、姓を朴、名を赫居世とする。
三国史記の朴氏の始祖説話に登場する瓠公は倭人であり、これが朴氏初代の朴赫居世ともいわれる。
日本側の記録では、『新撰姓氏録』において新羅の祖は鵜草葺不合命の子の稲飯命(神武天皇の兄)だとされている。 脱解尼師今(だっかい にしきん、タルヘ イサコミ)は、新羅の第4代の王(在位:57年 - 80年)で、姓は昔(ソク)、名は脱解(タルヘ)。
第2代の南解次次雄の娘の阿孝(アヒョ)夫人の婿。新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。
脱解が船で渡来した人物であることを示す挿話などと併せて、出生地を日本列島内に所在すると見る向きが多く、丹波国、但馬国、肥後国玉名郡、周防国佐波郡などに比定する説がある。 金 閼智(きん あっち、65年? - ?)は、新羅の金氏王統の始祖とされる人物。第4代王脱解尼師今のときに神話的出生とともに見出された。
7世孫に第13代王味鄒尼師今が出て新羅王として即位し、以後金氏の王統が占めることとなり、始祖として敬われた。
『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀に拠れば、脱解尼師今の9年(65年)3月、首都金城(慶州市)の西方の始林の地で鶏の鳴き声を聞き、夜明けになって倭人である瓠公に調べさせたところ、金色の小箱が木の枝に引っかかっていた。
その木の下で白い鶏が鳴いていた。小箱を持ち帰って開くと中から小さな男の子が現れ、容姿が優れていたので脱解尼師今は喜んでこれを育てた。 このように、初期の新羅では朴氏・昔氏・金氏の王朝が交代したが、そのすべてに倭人が深く関与している
瓠公は、「瓢を腰につけて海を渡ってきた」と、朝鮮最古の史書「三国史記」に明記される倭人
新羅の始祖・朴赫居正の正体は、この瓠公だと言われている
次の昔氏の初代の脱解も、これまた「海を渡ってきた」と三国史記に明記される倭人
続いて新羅の金氏王朝を長く続けることとなる金閼智も、「脱解が瓠公に探させて発見した」という謎めいた逸話を持つ、倭人と関わりの深い人物 ジャップがチョウスン人をやたら意識してるのは百済人の末裔だから
飛鳥王朝は百済王朝のコピペ 韓国からも日本からもアイヌからも軽蔑されるチョクソン人
それが>>1(憎ベンキ) 1457年 コシャマインの戦い
和人の圧政に苦しむアイヌが蜂起。首長コシャマインは和人を追い詰めたが、和睦の席で暗殺される。
1515年 ショヤ・コウジ兄弟の戦い
和人の圧政に苦しむアイヌが蜂起。首長ショヤ・コウジ兄弟は和人を追いつめたが、和睦の席で暗殺される。
1529年 タナサカシの蜂起
和人の圧政に苦しむアイヌが蜂起。首長タナサカシは和人を追いつめたが、和睦の席で暗殺される。
1536年 タリコナの蜂起
タナサカシの娘婿タリコナが復讐のため決起するが和睦の席で妻とともに暗殺される。
1669年 シャクシャインの戦い
和人の圧政に苦しむアイヌが蜂起。首長シャクシャインはゲリラ戦で和人を苦しめたが、和睦の席で暗殺される。
1788年
和人はアイヌを酷使し、反抗すれば脅迫、暴行、毒殺した。労働力にならない老人や病人も虐殺した。
また、和人はアイヌ女性を手当たり次第に強姦し、抗議に来た夫を虐待し、さらに弁償させるという傍若無人の振る舞いを行った。
(新井田孫三郎・寛政蝦夷乱取調日記) 再度はっきりさせておきますが、既に「民族としてのアイヌ」はどこにも存在していません。
和人とアイヌの闘争の歴史、融和の歴史も、我々日本人の記憶の中で永遠に完結した物語なのです。
ところが、「新たなるアイヌ民族」を捏造して、闘争の物語を再び創り出そうという工作活動が進んでいます。
「アイヌ先住民族国会決議」や「アイヌ新法」を成立させた原動力は、根拠なきポリティカルコレクトネスなのでしょう。
しかし、「アイヌは北海道発祥の、そして唯一の民族であり、和人は彼らの居住地に後から足を踏み入れた」といった先入観が全て誤りであるならば、
そこから生まれた贖罪意識、ポリティカルコレクトネスもまた、全くの虚構のはずです。
南京虐殺、慰安婦強制連行、731部隊……
我が国は、内外の敵対勢力によっていくつもの虚構の歴史問題を作り出され、大きく国益を損ねた経験があります。
またもや、アイヌ問題において、私たちは同じ轍を踏もうとしているのかもしれません。
影も光もありのままに、私たちはアイヌの歴史と向かい合う必要があるのではないでしょうか。 >>108
平安時代も蝦夷に同じ事やってる
和睦しようぜ→毒殺
スサノオの神話や平家物語からしてそうだし
日本の戦いはだまし討ちや奇襲を美談化するものが多い
それだけ当時の連中も卑怯なことをやってる認識があったんだろう
歴史を見るとクズほど栄えて穏やかなのは滅びる >>108
薩摩藩の琉球の扱いとかもひどいよな
サトウキビプランテーションとか
子供がきびを一口かじったら木に縛り付けて棒でぶん殴ったらしい 卑劣な騙し討ちこそがジャップの伝統であり武士道だからな ・元史によれば、モンゴル軍は樺太に住むアイヌと推定される部族を1264年から二回にわたって攻撃している。
・文献資料において初めて北海道アイヌの存在が確認されるのは13世紀からである。
・アイヌ文化の考古遺跡もまた、13世紀以降の物しか確認されていない。
・それ以前の北海道は擦文文化の時代であり、その前は続縄文時代であり、そのまた前は縄文時代である。これらは土器の違いで分類されている。
いずれも竪穴式住居に住んでおり、漆の文化を持っていた。これらの文化は北海道から東北部までまたがって分布しており、人の移動、交流もあったと推測されている。
・アイヌ文化は北海道限定で生まれた。アイヌは掘立柱建物に住んでおり、漆の文化は持っていなかった。
・アイヌの風習である「熊送り」は樺太〜アムール川周辺の諸部族と共通するものである。
・アイヌ文様は樺太〜アムール川周辺の諸部族のものと類似している。
・初期のアイヌ遺跡は北海道東部に集中している。
・14世紀、北海道南部には「渡党」と呼ばれる倭人とコミュニケーションが取れる人々が存在していた。
これらはかつて擦文文化の担い手だった人々の末裔だと推測されている。
同時に、「日ノ本」と「唐子」というコミュニケーションが取れない人々も存在していた。これらは、アイヌだと推測されている。
・江戸時代までにはアイヌの居住範囲は北海道全域に広がっていた。
・一般日本人とアイヌ系日本人の遺伝子は非情に隔たりが大きい
・アイヌのDNAはオホーツク〜アムール周辺の部族と共通する部分があるとされる。
・アイヌ系日本人のATLウイルスのキャリアの割合は、北海道の和人系日本人のそれと比べて桁外れに大きい。
・アイヌ語と日本語は全く違う系統の言語であり、基本語彙の発音の類似も殆ど見られない。
・アイヌの数の認識方法は20進法が基本となっている。例えば百という数の概念は存在せず、5つの20と認識する。
・日本語とアイヌ語が同じ言語から分岐したものだとすれば、その年代は8000年前だともされる。 アテルイも和睦と見せかけて処刑した
昔からの伝統芸だよ
それで祟られないように神社に祀る
日本全国の神社に虐殺された先住民族の怨念が籠もってる 滅びたアイヌ民族から学んだ教訓は、ジャップなんかを信じると必ず馬鹿を見るってこと
韓国はジャップを信じなかったから成功した お前はジャップ以前に医者のいう事を信じてお薬飲んで格子付きの病院に入院しろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>111
知ってる知ってる
新井白石という名前のアメリカ兵が続日本紀の前書きに書いてたんだろ?
そこには4年後(662年)の白村江の戦いで負けた腹いせでジャップが蝦夷征伐(658〜660年)の初戦をして1世紀以上後の人物である蛮族王アテルイ(802年没)を騙し打ちで殺したって書いてあるんだよな?
お前時空間を超越するSCPか何か? 沖縄もさっさと米軍撤退させて日本から独立したほうがいいわ
ジャップなんか信じるとアイヌみたいに滅びるぞ >>104
朝鮮には一応歴史がある
蝦夷には歴史そのものが無い まあ確かに、朝鮮にもそれなりに歴史はあるな
たいした歴史じゃないけど まあこういうスレではいつもいうんですけどね
この日本列島は縄文人という平和的種族がね
1万年物長い間、平和に過ごしていたわけですよ。
1万年だぞ、1万年は長いぞ
もうどう考えても日本のエリアの先住民族なんですよ、縄文人は。
でねえ、そのピースフルな美を愛してきた先住民族縄文人を
偉大なる大韓からやってきた渡来弥生人が一方的に侵略しホロンぼした。
その滅亡の過程は記紀や風土記ほかの神話や伝承、民話、
または征夷大将軍に象徴される歴史的な蝦夷追討の物語で明らかだが
つまり事程左様に、そういう哀しい侵略と征服と絶滅の歴史があったわけだ。
これはねえ、まあいつもいうけど偉大なる大韓民族の渡来弥生人、
これの末裔たるチミら自称愛国者ネトウヨどもを含む自称日本民族の原罪ではあるね。
1万年もこの列島で生き最後は文字も記録も残さず無念のうちにホロンびた縄文人。
その骨すら列島と一体となり土にかえり残らなくとも縄文人のその魂魄、
これは現代の我々のことを如何様に見るだろうか? そういう話でもあるんだよ。 だから半島じゃなく沿海州
半島じゃなく沿海州
半島じゃなく沿海州
半島じゃなく沿海州
半島じゃなく沿海州
半島じゃなく沿海州 本州アイヌ語 VS 半島日本語
幻の「本州アイヌ語」を復元する [Honshu Ainu Language]
https://www.youtube.com/./watch?v=4xinneD9hjY
A Brief Introduction to Hypothetical Peninsular (Para-)Japonic Languages
https://www.youtube.com/./watch?v=OWpfp1yq9-0 自治区の内部文書によると「ひげを生やした」などの理由で収容施設に送られたウイグル族の住民も多い
統制下の新疆ウイグル自治区ルポ
https://www.youtube.com/watch?v=y8wF4geIvuI 司馬遼太郎
「自分を日本人と規定するより倭人と規定するほうが、ずっと自分がひろがってゆく感じがする」 >>155
そりゃそうだ
倭は朝鮮半島南部まで支配していたからな >>156
× 半島南部を支配してたのは倭人
○ 半島南部から叩き出されたのが倭人 なわけないだろ
入れ墨が倭の習俗で、馬韓とか近隣住民もそれに習うって書いてるやん
入れ墨は縄文 司馬遼太郎
「韓国への想いのたけというのが深すぎて、ひとことでは言いにくかったのである。私は、日本人の祖先の国にゆくのだと、言おうと思った。」
「飛鳥文化は百済文化をぬきにして語れない。王朝文化は百済と同じ。ほとんど百済ぐるみが日本にひっこしたのではないかという想像が『日本書紀』の記述によって可能だ。白鳳期といわれる芸術時代が花をひらくのも、亡命百済人たちが日本の宮廷に収容されたことをはずしては考えられない。」
「日本の奈良朝以前の文化は、 百済人と新羅人の力によるどころが大きい。さらに土地開拓という点でも、大和の飛鳥や、近江は百済人の力で開かれたといってよく、関東の開拓は新羅人の存在を無視しては語れない。」
「百済は北朝にたよらず、もっぱら揚子江以南の南朝にたより、その文化的影響を濃厚にうけた。その百済の影響を飛鳥期の日本がうけるため -- つまりは江南の六朝の文化がはるか極東の島へ飛び渡って -- 飛鳥文化の華をひらくというふしぎな作用をもたらすのである。百済が、南朝 (六朝) の文化を模條したことが、この国の性格と運命を決定したといえる。」
「壱岐には、唐人 -- 漂流朝鮮人であろう -- を祀った古趾が多い。海のむこうから来た客人を神に近いものとして崇敬する民俗が西日本の島々や海浜にあった。対馬・壱岐が、朝鮮からやってきた鹿卜の受け皿になっていたことは、まぎれもない。この時期の対馬・壱岐というのは、本土に対してもっとも華やかな位置を占めた時代であった。」
「卜占という古代における一種の科学を含んだ日本神道は、壱岐・対馬からはじまっているのである。対馬の道を往きつつ右のように考えてくると、日本の神道が決して日本列島固有のものではなかったということがわかる。神道というものの原型が、朝鮮からきたか、表現を変えれば共通の時期があったと想像することは、自然なことである。」
「稲作の伝来に関して想像すると、たしかに中国南部からもきたであろう。しかし主として朝鮮半島を経由してきたという説はうごかしがたい。三世紀の対馬の卑狗も、四世紀後半から五世紀の人と思われる鶏知の前方後円墳のぬしも、朝鮮半島や博多湾沿岸のひとびととおなじ型の米を食っていたであろう。」
「自分を日本人と規定するより倭人と規定するほうが、ずっと自分がひろがってゆく感じがする。」 鎌倉・室町時代人
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/b2.jpg
頭型は著しい長頭型で、顔面の高さは低く、幅が広く鼻のつけ根が扁平で、鼻も低くなっています。上顎は前歯(切歯)が前へ突き出し、「そっぱ」になります。身長は低い。 ひろゆき「日本人って昔アイヌ族を虐殺したり戦国時代やってた過去がありますからね。平和な民族と言われると違和感あるの僕だけすかね」 本州四国九州人の常染色体の内個人差がある(つまり系統分類に使える部分)染色体400万本のうち
15〜25%が縄文人特有のものであることがわかってるのだから
少なくとも遺伝的系統面では二重起源論つまり縄文人も弥生人も両方とも日本人の源流であるとする説が正解でFAでしょ
ちなみに沖縄人は35%だから本土人よりは縄文人の染色体の数が多いけど縄文彌生二重起源であるのは一緒
和人と混ざってないアイヌは98%縄文人のそれだけど今では自称アイヌのほとんどが和人と混ざってる >>164
> 本州四国九州人の(略)15〜25%が縄文人特有(略)縄文人も日本人の源流
> アイヌは98%縄文人のそれだけど今ではアイヌのほとんどが和人と混ざってる
アイヌと和人の異民族婚よりも、非縄文系が和人に与えた影響のが桁違いにデカいんだな >>165
弥生人の染色体が多いのは
農耕によって日本列島内で人口を増やせたのが要因
そもそも今のアイヌって幾世代も和人と通婚し続けて
血統的に完全に和人化してる人も多いやろ まあそもそも新人の源流は西アフリカ
アフリカ以外に住む人類が枝分かれしたのは
出アフリカのおきた6〜7万年前頃のことにすぎないから
血統的には人類みな兄弟というしかないがw サハラ以南のアフリカ人は全部黒いから黒人で一括りに考えがちやけど
実はあれでもアフリカ以外の全人類よりも色以外は遥かに多様やからな
出アフリカした人類はそのうち極一部分でしかないていうことや >>164
アイヌの98%縄文ってどっから来たんだ
アイヌのっぺり多いぞ >>169
斎藤成也「日本人の源流」に書かれてた
この人は各地の古代人の人骨からDNAを採取して
常染色体のゲノム配列を決定して日本人の源流を探る研究をしてる人
まだミトコンドリアDNAやY染色体と違って常染色体を元にした系統研究は始まったばかりなので
これからまだまだ通説が移り変わっていくだろうけど
今のところ近現代に和人と混血してないアイヌが縄文人と98%程度共通の染色体を持っているというのは間違いないそう
今のアイヌに大和民族と同じような風貌の人が多いのは混血したからでしょう 例えばミトコンドリアDNAの中で個人差が生ずる部分は100か所程度しかない
しかも母系を一直線に辿ることしかできない
Y染色体は父系を一直線にしか辿れない
しかし常染色体はミトコンドリアDNAの4万倍もの数の個人差を生ずる染色体を含んでいる
しかも父母両系の系譜を辿れるから例えば3世代前なら6人の先祖すべての遺伝情報の痕跡が残っていることになる
というわけでミトコンドリアDNAやY染色体なんかより圧倒的に細かく系統を辿ることができるというわけ
それでアイヌは縄文人と98%程度も共通の染色体を受け継いでいることがわかっている ちなみに弥生文化は一旦東北地方に達した後
東北では農耕が放棄されて狩猟採集文化に回帰してる
だから言葉はアイヌ語を話していたとしても風貌はかなり和人に近かったかもね >>170
混血はツングースというかオホーツク文化人、樺太原住民とが大半で、
実際それが文化や容貌や血液型比率変えるレベルには混血してないとおかしい
98%?縄文が数体しか抽出されてないのになんでそんなん言えるんだ アイヌっぽい遺伝子じゃなければ「これはアイヌじゃない」みたいな変な選択圧かけてないだろな
それは半島人がやることだが >>173
寒い地域で暮らしやすい文化だから北海道まで伝わったのであって
オホーツク文化人は別に縄文人と異なった血統集団というわけではなかったんじゃないの
そして擦文文化をやっていた人たちもオホーツク文化を取り入れてアイヌ文化ができたんじゃないか
もっともアイヌ文化はやはり本土で発展した新しい日本文化の影響も大きいが 結局縄文人の遺伝子も文化も後世に痕跡を残してるし
半島にいた日本語族こそが日本人ということもできず
縄文人も渡来人も共に日本人の源流であるとしかいいようがない
そして日本列島で縄文文化と渡来人の文化が混じり合う形で弥生文化ができた
半島には弥生文化なんかない
つまり日本文化は結局日本で育った文化としか言いようがないし
今更半島に旅行なんかにいったって懐かしいものなんか何も無い
日本語族の血統を継ぐものがいるにせよ彼らは完全に朝鮮化してしまっていて日本人との繋がりは切れてしまっている 「日本」という国号すら、中国からみて日が昇るところ、つまりもともとは朝鮮半島の西部(百済)を指すものだった
ジャップは人種も言語も国名もぜんぶ朝鮮系だよ
日本書紀(=ボクの考えたラノベ)で、日本人とかいう架空民族をつくりあげて、そういうものになりすましているだけ 縄文時代は、プレアイヌ時代
弥生時代は、ムムン・コリアン大移動時代
古墳時代は、先住民ジェノサイド時代
飛鳥時代は、百済王朝コピペ時代
に名称変更すべき >>181
これを忘れるなよ?
278 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2021/05/08(土) 18:00:54.17 0
まとめ
北九州弥生人(伽耶語・倭語) ← 現代日本人のベース(平民)
土井ヶ浜弥生人(新羅語)
出雲人(新羅語)
西北九州弥生人(プロト琉球語) ← 奴隷
南九州弥生人(プロト琉球語・奄美等訳語) ← 奴隷
隼人・熊襲(プロト琉球語・奄美等訳語) ← 奴隷
蝦夷(夷語・プロトアイヌ語) ← 奴隷以下の非人・悪鬼
奈良飛鳥人(扶余系・百済語) ← 日本の支配層
>蝦夷(夷語・プロトアイヌ語) ← 奴隷以下の非人・悪
>蝦夷(夷語・プロトアイヌ語) ← 奴隷以下の非人・悪
>蝦夷(夷語・プロトアイヌ語) ← 奴隷以下の非人・悪
>蝦夷(夷語・プロトアイヌ語) ← 奴隷以下の非人・悪
>蝦夷(夷語・プロトアイヌ語) ← 奴隷以下の非人・悪 日本に青銅器時代は無い
日本のような外部勢力(渡来人)の侵略と征服により突如として生まれた被征服国家には
SA(ストーン・エイジ=石器時代)、BA(ブロンズ・エイジ=青銅器時代)、IA(アイアン・エイジ=鉄器時代)
という世界ではごくごく一般的な時代区分が当てはまらないため
要するに、農耕と冶金メタラジーで力をつけた渡来人(朝鮮系)が、一気に日本列島を乗っ取ったのである
>石器を使っていた地域に、隣接地域から青銅器・鉄器の技術の両方が伝われば、
>定義上青銅器時代は存在しないことになる。日本は、その典型例である。
>サハラ砂漠以南のアフリカにおいても青銅器時代は存在せず、
>銅の使用自体も鉄器伝来後、しかも装身具などわずかな使用にとどまっていた[10]。 ここは日本最大のタブースレだな
世間一般に信じられている邪馬台国や皇室についての
常識みたいなものがガラガラと崩壊していく 新羅と百済は、倭国を敬仰し朝貢していた
👆中国の史書に明記されている 大和朝廷の昔から侵略企みまくる野蛮な島国があった
乗馬すら知らずドングリ食ってた原始人に国家の成り立ち方から文化文明を教えてやった
そして恩を仇で返した国がある
どことは言わぬがネトウヨは胸に手を当てて考えてみろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています