ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ16
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ15
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1618617448/ >>746
こっちも横レスだけど
1766-7年のトランシルヴァニア全住民のうち
正教63万5454人、合同教会12万7080人
1850年正教30.2%、合同教会32.2%でこれが最多時期
1880年正教37.07%、合同23.27%
1910年正教34.28%、合同23.72%
だそうだ >>749
人為的に禁止したりすることで言語が変化するなんてことはほぼない 東方典礼教会って現地の伝統的典礼様式典礼言語のまま教理だけカトリックを受け入れる教会のことなんだけど。
つまりルーマニア東方典礼カトリック教会の典礼言語はラテン語ではなくルーマニア語。「東方典礼カトリックになったのでラテン語化した」と言ってる人はそこらへんから理解してないように見える
1923年ルーマニア憲法で「ルーマニア正教は大多数のルーマニア人の信仰として優越する国家的地位を持つ」と明記されてるし、ミハイ1世なんかはルーマニア正教総主教座聖堂で総主教によって戴冠してるし、共産化以前からルーマニア正教が事実上の国教で、カトリックも東方典礼カトリックも少数派だった。 英仏の島ケルト大陸ケルトのレスバトルみたいのハンガリーとルーマニアもずっと続けてきてるんだな
まあ因縁ある隣国同士ならどこでもあるか日本も朝鮮と色々面倒くさいし 旧来の支配階級が征服により一掃されちゃって貴族と庶民の言語が全く違う語派になった英語みたいなことでも起きない限り
文法レベルで言語を魔改造するのはむり >>749
どう見ても不自然だしあり得ない
お前の想像も大概にしておけ >>746 の者です
>>751
なるほど、明快な史料ありがとう
>>753
東方典礼カトリック教会はもともと現地語典礼が基本で、
第二ヴァティカン公会議より前の(西方の)カトリック教会のラテン語典礼とは様式が違うことは、
もちろん理解しているうえで質問したよ >>757
誤解がないと思うけど、数値はすべてハンガリー領のトランシルヴァニアのもの
19世紀の数値もトランシルヴァニアだけの比率
現ルーマニア領土全体の場合合同教会の比率はずっと下がるはず 基層語がロマンス語系統でスラヴ語やフランス語の語彙・文法が借用されてるわけだから
あとからスラヴやフランスの文化が流入したと推定できるわけで逆ではない アルバニア人もおそらくローマ時代にはアルバニアに住んでいなかったようだ
旧ローマ領で先住民の言語が残っているのはバスクやウェールズなど辺境だけど
ローマ時代のアルバニアは辺境ではなくイタリアからギリシャへの玄関であり
重要拠点でかなりローマ化されていたはずで先住民の言語が残るのは困難であったろう
アルバニア人の先祖はスラブ人とかに追い立てられてローマ領外から移住してきたようだ アルバニアは古代にはイリュリアと呼ばれていてイリュリア人はスラブ人の近縁で
イラン系遊牧民のスキタイとサルマタイに支配されてサテム語化したのがスラブ人で
イラン系遊牧民に支配されなかったのがバルカンのイリュリア人と呼ばれた民族
アルバニア人はトラキア系だとされイリュリア人の子孫ではないようだ >>726
スラブ人に追い出されたのでは?
ドナウ河以北にいたスラブ人がドナウ河以南に移住して
ドナウ河以南のラテン語話者がドナウ河以北に移住した トランシルヴァニア 属州ダキア→ゲピド王国
ワラキア&モルドバ ゲタイ→ロクソラン族→西ゴート族
ダキア人=ダコイとゲタイはトラキア人
ロクソラン族はイラン系サルマティア人
ゲピド族と西ゴート族は東ゲルマン人 トランシルヴァニアはローマに征服され
属州ダキアになった事が確実なようであるが
ワラキアとモルダビアとベッサラビアは
ローマ領になっていない歴史地図も多い
ローマ領になっていないのならば
ルーマニアの中心であるワラキアは
どうしてラテン化したのだろう? >>760
アルバニアはエグナティア街道の入口だよな
交通の要衝だからギリシャ化していただろう とはいえ自然死だから正視に耐えないという程でも無いけど 寡兵で大軍を破った戦いだと日本ならやっぱ桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
小国尾張の一領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
まさに戦国最大の番狂わせ
日本史で兵力差8倍以上を覆した戦いって桶狭間以外でなんかある? 寡兵で云々だと西洋なら第二次ウイーン包囲のポーランドの話がいいよね
包囲が長引いて士気低下中のトルコ軍15万にポーランド重装騎兵3千が中央突破して
士気崩壊で壊滅させたっての スパルタが300で15万のペルシャ軍を防いだアレが一番良い >>775
まあ、実際は3000対5000ぐらいだったそうだが 司馬遼太郎が言ってたな
信長の偉いところは敵より大軍を用いる戦略に徹して
桶狭間の再現を生涯やらなかったことだと 219 既にその名前は使われています 2021/12/22(水) 11:06:26.32
https://i.imgur.com/uN6vxof.png
229 既にその名前は使われています 2021/12/22(水) 13:20:22.87
自分の中に別の意志をかんじるよなこういうの
230 既にその名前は使われています 2021/12/22(水) 13:54:54.06
その別の意志に思えるものこそ自分なのやで
231 既にその名前は使われています 2021/12/22(水) 14:13:15.35
まだミトコンドリアに好きにされてること気づいてないの? >>778
5000ってアホかよ
そんな少ないわけないだろ ローマ帝国最大の失敗はイエスを処刑して神にしたこと キリスト教の名の元にたくさんの馬鹿野郎どもを生み出したこともね アレクサンドリア図書館の破壊
モンゴル軍によるバグダード攻略による知恵の館破壊
勿体ないな 中世のフランクやノルマンは東アジアで言えば
鮮卑や女真よりモンゴルに近い感じだな
近世以降の西洋人とは明らかに違う遊牧民的な
価値観を持っている
フランクがフランスに変わり、
ゴシック建築が登場した背景に物質文明、
贅沢に興味が出てきた事があるのではないか?
元々のガリア人やフランク人は違うような 中世のフランクは古代のフランクとも少し違う感じだな シアグリウスとかラテン系住民を併合する過程で変質したのかどうか
あんまり影響受けず同化しなかった的な論評を読んだこともあるけどどうなんだろう イベリア
コーカサス→イベリア半島
アルメニア
ドイツ→コーカサス
この混乱は暗黒の中世がもたらした? ローマ時代にはアゼルバイジャンがアルバニアと呼ばれた
カスピオイ→アルバニア→シルヴァーン→アゼルバイジャン
アトロパテネ=アゼルバイジャン アルメニアではなくてアレマニア
ドイツに対するスペイン語などでの呼び名
スペインのガリシアにスエビ族が移住してスエビ王国を建国した
アレマンニ=スエビ
マルコマンニ=バイエルン
テルビンゲン=西ゴート
グルツンギ=東ゴート >>792
イベリアのコーカサス由来は先史時代、ローマが征服する前から経緯は不明だけ同名で呼んでる 同じ民族が分裂して遠くに移住したのかも
スペインのガリシアにはブリガンティウムという都市があったけど
ブリタニアにもブリガンテース族という部族がいた
インダス河の河口にはシンド人がいるけど
黒海北岸のスキタイの部族にもシンドイがいた
アーリア人が移住する以前はインダス河流域は
メルッハと呼ばれていたようなので
インダス文明ではなくてメルッハ文明と呼ぶべきだな アルマンという言葉は、アイスランド語のアルマンナ・ギャウというような固有名詞にも見られるが、全ての人々という意味。
アイスランドの叙事詩ヘイムスクリングラには、トールやオーディーンの出てくる神話的なエピソードに先んじ、トゥーラーン地方または黒海沿岸からコーカサス地方、小アジアにかけて分布していたアース神族が、ローマ帝国の猛威を避けるべくドイツやデンマークのオーデンセなどを経てアイスランドに移住したとの叙述がなされている。この移動が、アルメニアまたはアレマニアの移動とは逆の流れになっているのが謎。 中世ロシアのキエフ大公国軍は何度も東ローマを攻めて撃退されたけど
キエフ大公国軍に参加していたワリヤーグ兵のなかに故郷に帰って
さらにアイスランドに移住した人がいたのだろう 797だが、トゥーラーンではなくヴォルガ河下流域、アース神族時代にアイスランドまで行ったという記述はない(ヴァイキング時代に行った)などの事実誤認があった >>795
> テルビンゲン=西ゴート
> グルツンギ=東ゴート
そのイコールは最近は別物とされてるな ローマ人が古代ギリシアの末裔と名乗ってるように
ブリガンテス族等のブリテン人も同じ古代ギリシアの末裔と認識してたみたい(ガリア戦記)
多分神話とかごっちゃごっちゃに混ざって当人らはアイデンティティに組み込まれてるけど
DNA的には繋がりが無い事もある でもギリシア人の末裔ならまだ可愛いものだ
古代だからそんなこともあるだろう
ジャップなんて天孫と言ってたからな
しかも20世紀まで
21世紀の今でもネトウヨの一部は信じてるかもな ヤンキーの6割はダーウィンの進化論を信じていないという ジャップが信じてるのは世間教、「普通」教だからなw
「世間の普通の人」が「天皇吊るせ!」と叫びはじめたら、同じことを言うだけ。 日本中から白い目で見られているのが自称『右でも左でもない普通の日本人』 >>784
現地ユダヤ人だろ殺したのは
処刑執行したのはローマ兵だが たしかユダヤ人指導者たちがピラ総督に処刑しろ処刑しろと訴えて総督が処刑に踏み切った流れだったはず
イエスはユダヤ教の異端だった
異端に厳しいのはユダヤも同じ イエスはファリサイ派だった
ファリサイ派はユダヤ戦争でエルサレムの神殿が崩壊してから主流になったので、イエスが処刑された西暦30年ごろはまだまだ異端だった 異端ではない
王族とかがサドカイでも聖書知識に関してはファリサイのラビに常に従属していたと あの頃はまだカトリックに対するプロテスタントみたいなもんでしょ
ユダヤ戦争より後は主流になるけど ヨセフスによればヒュルカノス1世とアレクサンドラ・サロメのときはファリサイ派が与党だし
民衆の支持が絶大で祈りや祭事はファリサイ人の指示でやってる
一方でサドカイ派はヨセフスによれば支持者は少数で富裕者のみ
だからファリサイ派を異端とは言えないと思う
イエスが処刑されたのは何派だからというより神殿に押し入ったからだろう
そして反乱を起こしたわけでもなく人を集めただけのテウダとその一派を
ローマが軍をつかって殺してるし名前は書かれてないけど荒野で奇跡を
見せようとしたやつらとか預言をしたエジプト人もローマに処刑されてる
だからイエスの処刑でローマが本当に消極的だったのかあやしい
福音書は第一次ユダヤ戦争でのユダヤ人の敗北後に書かれてるから
その轍をふまないようユダヤ人を悪者にしてローマの責任を小さくしようという意図があるだろうし 属州民を処刑するには属州総督の許可が
ローマ市民を処刑するには皇帝の許可が必要なんだっけ >>814
神殿に押し入って狼藉を働いたなら
ユダヤ・パリサイ支配層から見ても
アカン奴やないのか
キリストはエッセネ派でしょ >>818
もちろんユダヤ人支配層にとっても危険人物だったろう
誓いの禁止とかイエスにエッセネ派的な要素はなくはないけど
別に性的禁欲主義でもないし閉鎖的な集団生活をするわけでもないし
安息日も守らないし食物規定も無視するし穢れた人間ともまじわるしで
エッセネ派とはいいがたい イエスは安息日を破り割礼を禁じたのか?
それはパウロが勝手にやりだしたことではないだろうか? 別に割礼は禁じてない
安息日はやぶってたからファリサイ派(とあとマルコによればヘロデ派という謎の集団)と口論になった
マルコ2:23-3:6 マタイ12:1-14 ルカ6:1-11 アメリカで韓国系は低所得
娼婦やベトナム戦争で虐殺を働いた低知能が多いらしいね >>823
どうした急に
在日市民へのヘイトをアメリカにまで拡大か? >>824
ロス暴動の時は斗順子という在米韓国人の婆が、
ちゃんと代金の5ドル紙幣握りしめてた黒人の女の子を
勝手に万引き犯と決めつけて頭を44マグナムで吹き飛ばしたよな。 ロス暴動で韓国系がターゲットにされたのは韓国人による人種差別が原因だよね
いまでも韓国内での黒人や東南アジア系への差別はひどい >>819
やはりパリサイ派でもエッセネ派でもなく
キリスト派としか言いようが無いと
逸脱し過ぎてキリスト派どころかキリスト教
になる位だから、パリサイ派だけでなく
ユダヤ教のどの派とも対立しそうですね
よくキリスト派の方が多数派になれたもんだ >>819
ペテロや「富裕な若者」に、生業や財産を捨てて自分についてくるように命じた逸話を考えると、社会から分離された共同体生活への志向はあったんじゃないの? >>828
たしかに財産への忌避感はあっただろう
けど悪霊から癒された人がイエスについていきたいと言ったのに家に帰れとも言ってるし
社会からの分離とは逆に自分からガリラヤの村々をめぐってるし使徒も村々に派遣したことになってる
キリスト教徒の生活のありかたについては特にイエス本人じゃなくてヘレニストなんかの宣教者や
初期教会に由来する伝説が入り混じってそうだから難しいけど
すくなくともエッセネ派みたいに清浄に生きるために俗世から身を離すという立場ではなかったはず ローマの刑事記録を紐解くと
・ナザレのイエスがローマ法上の凶器準備集合・内乱予備罪の疑いで捕縛
・ローマの法制執行官が、ローマ法上の身分管轄違いを理由に、釈放を命ずる
・その後、再度、部族法違反でイエスを身柄拘留
・ピサロ執行官がパリサイ法制審に付議
・ローマ法管轄がないと判断され身柄をユダヤ法に移管
・ユダヤ法上の合議裁判で審理開始
・イエス側が謀議を否認
・職権証拠調べで弟子12名中5名を取り調べ
・ユダヤ法上の裁判で死刑宣告
・ユダヤ人が死刑執行をローマ法制執行官に委託
・ローマ法制執行官が執行管轄無しとして受託棄却
・ユダヤ部族法による執行のため、身柄維持をローマが決定
・ローマ法上の措置として身柄を処刑場に護送
・ユダヤ人部族法による死刑執行
・ローマの法制執行官が死亡を確認し、適法執行の完了を宣言
・ローマの法制執行官が、死体を教団側に引き渡す
といった体制側の措置が記録されている。 ユダヤ法適用されてたのか?
王族貴族には実行できなかったみたいだが
洗礼者ヨハネが避難してたみたいに ユダヤがイエスを死刑にしたくてローマ側は嫌々ながら圧力に負けて死刑にした感じが凄い このスレってスレチの話題と変な画像の連投ばかりだね 中世ヨーロッパが何故同時期の中国や西アジアに
大きく遅れをとってのか?
普通、蛮族侵入でいくさが何十年も続いても
欧州以外の地域は次の世紀には新しい王朝での
秩序が始まり、文明は前より高くなる
戦前より昭和30年代の方が更に発展したように
しかし、欧州北部では蛮族がモンゴル、東三省、アフガンより遥かに長くダダ漏れし続け、
五胡十六国状況がずっと続いたまま五代十国に
なり、そのまま近世になった感じ
これでは遅れを取らざるを得ない位酷かった 「中国王朝『金』の始祖は新羅系高麗人」(朝鮮日報日本語版)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f999451ee1dea612d8dc6c228adbfa0b1762fca8
東北アジア歴史財団のキム・インヒ委員
「女真族の国の先祖『函普』は、異斯夫・居シツ夫と同じく新羅の名前」
12世紀に中国北部を支配していた女真族の征服王朝「金」(1115−1234)の始祖は新羅系高麗人だった、という研究結果が韓国国内の学界で登場した。中国少数民族研究が専攻のキム・インヒ東北アジア歴史財団研究委員は、同財団の新刊研究書『戦士たちの黄金帝国・金国』所集の記事「金国の始祖・函普は新羅人」で、このように主張した。
「函普」とは、中国の正史「二十五史」の一つである「金史」に記録された金の始祖の名だ。ここには「函普は高麗から来たが、女真の地に到着したときおよそ60歳ほどで、部族間の対立を解決した」という記録が見える。韓国側の記録である『高麗史』にも「平州(現在の黄海北道平山)に住んでいた今俊または金克守という人物が女真の地へ逃亡し、金の始祖になった」とある。こうした記録を巡って、日本の研究者らは函普を虚構の人物と見なし、中国では「高麗出身の女真人」と解釈した。
だが同様の記録は、12世紀に第三者である南宋の人物が書いた『松漠紀聞』と『神麓記』にも出てくる。ここでは、始祖の出身地を「新羅」としている。金の帝室もまた「始祖は高麗人」という事実を認めた。金の太祖・阿骨打(アグダ)=在位1115−23=は「われらの始祖が高麗から来たことを忘れるな」ということを遺訓として残した。
キム研究委員は「『函普』は女真人ではなく新羅人の名前」と指摘した。国文学者の梁柱東(ヤン・ジュドン)=1907−77=の研究によると、「プ」は新羅で普遍的に使われていた人称接尾辞で、「居シツ夫」や「異斯夫」などの「夫」とも通じ、現代韓国語の「パボ(ばか者)」「ヌリムボ(怠け者)」などの「ボ」に継承されている。
函普のもともとの国籍が新羅/高麗と食い違っているのは、彼が女真の地へ移住した西暦920−930年ごろは新羅と高麗がまだ共存している時期だったからで、彼の出身地である平州は当時高麗の征服地だったことから、函普は「新羅系高麗人」と見るべき−というのが結論だ。キム研究委員は「始祖が新羅系だからといって金の歴史が韓国史に含まれるわけではない」と語った。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています