モンゴル帝国の残虐性は本当か?
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モンゴル帝国(イェケモンゴルウルス)といえば野蛮なイメージがありますが、それは真実のものでしょうか?
征服された過去を持つ国は過去の敵を過大に残虐に描くことで自身の統治の正当性をアピールするものです。
パックスモンゴリアという言葉もありますが、モンゴル帝国による政治的安定によって交流が盛んになり、多大な影響を世界史に与えたと思われます。
モンゴル帝国から西欧中心史観を見直してみませんか? 1です。
杉山正明氏と岡田英弘氏の書籍を一通り読み、皆さんの意見も聞いてみたいと思いスレ立ていたしました。
板内での重複に関しては申し訳ございません。
ぜひ両氏の論説に関して一存のあられます方がおられましたら教えてください。 >>14,15
後で探す時に情報が散ってたら困るでしょ、
仕切り屋という点で言えば、むしろ>>1 さんがモンゴル帝国の本スレで仕切り屋になってくれればそれでいいんだよ 別に削除する必要ない
話すことが無くなれば自然と落ちる >>1
Pax Mongolica なんて(しかも間違った)ラテン語ひけらかして
西洋中心史観の見直しとか言われても
知性が知れるとしか >>18
誤字には後から気づきました。
新参者ですみません。 カリフを処刑され
帝都バグダードまで焼き払われ
知恵の館を灰燼にされたイスラムの身にもなれば
「残虐な野蛮人」と思って無理もないんじゃ? >>10
伝説に嘘や誇張はあるだろうが、
モンゴル高原はステップ・ロードの一部。
イスラム隊商が行き来ぐらいしてただろう。
テムジンの最初の部下にムスリムがいるはずがないと断定できないよ。
少なくとも統一後の交易重視の姿勢の影にイスラム商人の思惑、期待が働いていると思う。 宮脇淳子氏もモンゴル人にイスラム教徒が家来になって資金と情報を提供したことが急拡大を可能にしたというふうに言ってる。 >>20
最初モンゴル人は文字を持ってない。
文字すら知らぬ野蛮人なのは間違いない。
チンギス・ハーンがナイマンを征服したことで、ナイマン人からウィグル文字を学び、モンゴル文字となった。
捕虜となったナイマンの宰相はウィグル人だった。
後のチンギス・ハーンの宮廷にもウィグル人の書記がいて、ウィグル文字で記録してた。 ドーソンがホラズム諸都市の住民を虐殺したとしたソースは何? >>24
ドーソンはトルコ、アルメニア系の外交官。
パリの王立図書館にあったペルシャ語やアラビア語などの書物を元に執筆。 >>27
『元朝秘史』文語訳の冒頭の
"上天より命ありて生れたる蒼き狼ありき。"
で始まるの、結構好き。
バトルゲームBGMを流しながら読みたい。
昔の中華民国で出版された『元朝秘史』がこれ。
https://altaica.ru/SECRET/YuanChaoBiShi.pdf
巨大な pdf ファイルだけどDL可。
モンゴル語音を漢字に当てはめたもので、行の右側に中国語訳がついてる。
19世紀に中国の考証学者が見つけたものの、20世紀になってから再発見された。
秘史とはよく言ったもので、長年発見されなかっただけでなく、とことんわかりにくい。
文化や地理に通じてないと翻訳されても、謎が多く、モンゴル国内の詳しい人や資料を必要とした。
しかもソ連政府が秘史のモンゴル人研究者たちを弾圧した。
モンゴルの民族主義が湧き上がることを恐れたからだ。
モンゴル人の歴史学者たちは秘密裏に処刑されたり、国内流刑にされたり、職を失って路頭をさまよったりした。
ソ連崩壊後に秘史の扉が開いたようなものだ。 劣等ウクライナ人のロシア人はモンゴル人にレイプされまくって残虐性を増した 日蓮が伝聞情報として記してるが、
対馬で生け捕りにされた女は手のひらに穴が開けられ、ひもを通されると数珠つなぎにされ、日本の攻撃をかわす盾として船壁に並べられた。
山に逃れた島民に対して赤ん坊の泣き声などをたよりに見つけ出すと全員を殺害し、赤ん坊も股裂きにしてる。 >>20
蒙古が畿内まで攻め込んで
正倉院と京都を焼き払った上
天皇処刑した様なもんだから、確かに 大虐殺で廃墟になったはずのバルフをマルコ・ポーロは
普通に栄えてると言ってるんだよな 工芸品を目利きするパトロン階級を皆殺しにしたのだから、文化が失われるのは当然のこと 「野蛮なイメージ」とは何か? もう少し詳細に定義を考える必要があるのではないかと。
征服者が、攻略した都市や占領した地域に対して…
・占領直後に一時的に残酷な略奪や虐殺を行った状態を指すのか
・占領後に、長期に亘り、被支配層に対し、強制労働、重税、厳罰といった物理的生活面で過酷な統治を指すのか
・占領後に、被支配地域の“文化や風習”を無視又は軽視した、精神面において過酷な統治を指すのか(宗教や言語の強制等)
・占領後に、被支配地域の文明(科学技術の進歩等)を破壊し後退させるような統治(技術の本の焚書、技術者の粛清等)を指すのか…
基準や視点を何に定めるか?で、話が変わるような気がしますが。
まあ、議論を厳密に絞らず「野蛮」というイメージであれこれエピソードを語り合うということであれば、それも一興だとは思いますが。 大虐殺はあったのか無かったのかだけでも
明らかにできれば有意義
都市近辺から大量の人骨が出たりとか 鎌倉には、「掘ると鎌倉時代の人骨が多数出てくる」と言われる場所があった(若宮大路沿いの交差点)。
モンゴル人関連の話では、3,000人の首で人頭ピラミッドを云々というエピソードがあるくらいだから、掘ったら骨が出る場所もありそうだけど >>41
その発想はなかったわw あり得ないとも言い切れない? >>42
クビライの南宋攻略ではほとんど虐殺してない。
略奪も厳禁した。
投降しても丁寧に扱われると知ると、
諸都市や南宋軍が次々と投降した。 何で北九州で戦ってた元軍の首が鎌倉に埋められるんだよ? >>44
『元史』巻二百八 列傳第九十五 外夷によれば、
日本軍はモンゴル人と高麗人、および漢人の捕虜は殺害したが、
南宋人の捕虜は命を助け、奴隷としたとある。
なお、弘安の役での台風の後に元軍10万人が鷹島に籠もった。
日本軍は掃討戦を開始し、元軍は完全に壊滅する。
鷹島には首除(くびのき)、首崎、血崎、血浦、刀の元、胴代、死浦、地獄谷、遠矢の原、前生死岩、後生死岩、供養の元、伊野利(祈り)の浜といった大虐殺を偲ばせる地名が残ってる。
「二十万人、在白骨山上、無船渡帰、為倭人尽刎」
「故曰白骨山。又曰枯髏山。」
という記述もある。
20万人が白骨山(鷹島のこと)で帰る船もなく倭人に皆殺しにされた。
それで鷹島を白骨山、枯髏山というようになった。
大量の骨が見つかるとしたら鷹島だろう。 >>43
戦わずして占領できた方がいろいろ便宜が良さそうだよね
人道的観点を別にしても、無駄に物的人的資源が失われることがなく、後の統治もやり易そう
>>46
とりあえず20万人皆殺しって怖過ぎやろ(ガクブル
埼玉スタジアムに5万人の観客が集まっただけでも人間の洪水のような感があるので、ちょっと想像がつかない
まあ20万人は盛った数字としても、万単位の殲滅戦が行われたということだろうか
それにしても南宋人だけ命を助けたというのは、何か理由があったのかね >>46
元史か
…そんな文献を残されたのでは、モンゴルの匿名掲示板にに「日本人の残虐性は本当か?」というスレが必要になりそうだw >>47
捕虜の南宋人を殺さなかった理由だが、
北条時宗に仕えた南宋人僧侶の無学祖元の影響が考えられる。
南宋人が蒙古の脅威や元軍動向情報を日本に伝えてただろう。
文禄の役の後に南宋が滅亡した。 >>49
最近、鎌倉幕府が外交を誤ったっていう論説が出てくるようになってきたけど、そんなわけないよな
南宋から高僧を招いているわけで、北条時宗は元から送られてきた親書の意味を正しく理解していたと考えたほうがいいと思う >>48
それは本当。
鄭思肖『心史』中興集 元韃攻日本敗北歌
「倭人狠不懼死、 十人遇百人亦戦、不勝倶死。
不戦死帰、亦為倭王主所殺。」
倭人は狠、死を懼(おそ)れない。
たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。
勝たなければみな死ぬまで戦う。
戦死しなければ、帰ってもまた倭王の手によって殺される。 >>47
『高麗史』では
「我軍飢不能戰、皆降日本、擇留工匠及知田者、餘皆殺之」
我軍は飢えて戦えず、全員日本に降伏。
工匠と農業の知識がある者を残し、その他全員皆殺し。
だそうだ。 大阪大谷大学文学部からのお知らせによれば経典の補修に元寇での捕虜が携わってたことが判明した。
https://www.osaka-ohtani.ac.jp/department/literature/news/201707_4432.html
経典を「大唐国江西路瑞州軍人何三於」が「弘安九年四月上旬日補整」している。 相手がまあまあ温厚なフビライだったから無事で済んだが
チンギスだったらとんでもない大軍でリベンジしてきそう >>54
フビライ時代ともなると版図広すぎで大ハーンの仕事多すぎだからチンギスでも同じ戦略取ると思うよ >>54
クビライは3回目の侵攻を望んでた。
3回目侵攻計画は立ち消えしたものの翌年に復活するというのを3度繰り返す。
計画中止が最終的に決まったとき、
江浙の軍民が歓声を上げ
雷のようだった。
『元史』巻一百六十八 列傳第五十五に
「連年日本之役、百姓愁戚、官府擾攘、今春停罷、江浙軍民、歡聲如雷。」
とある。 元軍は樺太アイヌにも断続的に何度も侵攻してる。
「北の元寇」だ。
また瑠求国にも侵攻した。
琉球、沖縄のことだろう。 >>30
博多にやってきたときにはその話が伝わっていて、モンゴルはああいうのが嫌なんだなと学習済みの鎌倉御家人衆は
捕虜を活けたまま盾に貼り付けて矢除けに使ったという。 >>51
怖過ぎるぞ倭人…
第二次世界大戦に関連する話で、玉砕とか虜囚の辱めを云々とか耳にするけど、鎌倉時代から変わらんのやね
つくづく現代に生まれてよかったわ
>>52
元史のみならず、高麗史の記述でもそうなんだね(焦)
まあ敵軍兵士とくれば、戦友を殺した仇かもしれず、対馬での蛮行等への義憤があったかもしれず、
生かして食べさせるだけの余裕がないとか、脱走や反乱のリスクがあるとか…
メリットよりデメリットが大きい捕虜に関し、捕虜交換もできない時代に、そーいう対応になってしまうのかねぇ
…つくづく現代に生まれてよかったわ >>59
中世って利用できる状態の資源に対して人が余ってる状態なのよね。
工匠と農業の知識がある者を残し……ってのは利用できていなかった資源を利用するために有用な人、
それ以外はガチで余ってる人だから、扱いに差が出るよ。
戦争終わってから殺したの殺されたの騒ぐのはトンスル省の人くらいで、世界的には少数派。 倭寇の始まりは、対馬住民が元に連れ去られた同胞を取り戻すためだったと聞くが、真偽はいかに 「最初の倭寇」がどういう動機だったにせよ後続は普通に利益目的だったろう
じゃないと続かない >>61
元朝は日本が復讐戦を挑むことを警戒し、海防を強化した。
1292年に四明(寧波)に来た日本商船が武装してたことで一層警戒を強めていく。
日本人は勇猛かつ凶暴だと認識するようになった。
次の明朝は洪武帝、永楽帝、嘉靖帝のとき日本征討を検討してる。
その都度、元寇の失敗を教訓に取り止めた。 なるほど「暗黒の中世」とかいうけど、いろいろな意味で「中世=暗黒」だなぁ
自分なんぞ次男だし惰弱だしで、間違いなく不要に分類されたわ(ガクブル
…モンゴル(当時の騎馬民族)など、余計に実用性合理性に軸を置きそうなので…
(より厳しい環境を生き抜いているので)
後世から見て残酷と評価されることをやってそうな印象で 鎌倉幕府は文永の役後の1275年と弘安の役後の1281年に高麗征服を企画してる。
結局実現しなかった。 フン族も残忍さで恐れられたが、市民皆殺しとかはしてないよね? ナショジオのページに「アッティラ王が率いたフン族 残忍ではなかった?」という記事があるね
「ローマ帝国の衰退を引き起こしたという通説ほど、欧州を蹂躙していない可能性」という副題付きで
残念ながら会員でないと読めない記事だけど なあにナチスドイツも体験世代がいなくなれば、ナチスドイツは残忍ではなかったという説が流布されるようになる 最悪評価がいつまで経っても「〇〇は最悪ではなかった」と言われないような、評価が全く見直されない筋金入りの鬼畜な存在はいたかな? あと個人的に幼い頃(昭和末期)は…
北米大陸の西部開拓時代のインディアンは残忍で恐ろしい存在、コロンブスは北米大陸を発見した偉人…だったものが、
平成中期頃から、コロンブスは北米大陸で百年単位の懲役を喰らう大罪を犯した犯罪者…と評価が大幅に下方修正され、
逆にインディアン(ネイティヴアメリカン)は白人に僻地に追いやられた犠牲者(頭皮剥ぎ等も元はスペイン人の蛮行)…と修正された。 >>71
昭和末期で残忍なインディアンのイメージ残ってたか?
粗製テンプレ西部劇の時代はもっと前だろうし
古い漫画作品でもサイボーグ009やキン肉マンに出てるようなのは残忍なイメージは無いな
コロンブスの凋落については異論無し
昭和末期だとまだ古い偉人イメージの残滓があった気がする
もちろん批判の声も相当あったが >>58
それは昔のなんJのネタのひとつだよ
>>30の蒙古船が生け捕りにした島民を手を通して船に結付ていたとは日蓮が伝聞で書いてるけど
鎌倉武士が人質をどうしたとか人質戦法をやり返したとかいう話は
2015年のこのスレの>>1の「元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究) 」で
「相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた」
「2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた」と書き込まれたのが始まり
【悲報】鎌倉武士団、モンゴルより鬼畜だった
https://orpheus.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1446678069
以降、何度もこのネタでスレ立てされたりまとめサイトにまとめられたりなんJ外でも打線が貼られたり、
5ch外でもこのネタのツイートがバズったり動画が多く再生されるなどして拡散していって
今ではかなり広まったネタになってしまってるけど
ネットでみる元寇の話にはこんな感じで広まったネットミームもある >>72
一例だが、東京タワーの蝋人形館に「頭皮剥ぎしようとしているインディアン」の蝋人形があったりしたのよ(確か1984年)
まあ極端な例かも知れんけど
(かの館は小学校のクラスの間でも怖い場所として有名で、中世欧州の拷問中の人形があったりと一部悪趣味だった) >>69
ロシア敗戦後にプーチンと共にスターリンも悪く言われるようになって欲しい
どう考えてもヒトラーよりずっと悪人なのに >>49
南宋人は文永の役には加わってない(まだ南宋があった)
弘安の役では南宋人中心の江南軍は司令官の病気交代で遅刻してる
江南軍も戦ってはいるけど>>30の対馬壱岐島の惨禍含めフルで参加してる蒙漢軍や高麗軍と比べると
恨みが少なかったのもあったのかもしれない 最近、ネットの記事か何かで、フビライが日本を朝貢国にしようとした理由について…
世界をグルっと一周する商業ネットワークを作るためであった、という説があった
欧州はキプチャク・ハン国(東欧)やイル・ハン国(中東)から東南アジア圏→日本→朝鮮→中国→中央アジア…と
確かにフビライやモンゴルが勢力圏に収めようとした地域は、繋ぐとグルっとチェーンができるな、と
事実であれば、かなり広い視野と見識に基づく壮大な世界戦略に思える
しかし、個人的には懐疑的
モンゴルの各国はそれぞれ仲悪そうだったし、そんな統一的な意思に基づいて侵攻しとったのかいな? と >>79
政治的には非常に仲が悪いけど、
交易だけは欠かさない。
クビライとカイドゥが大戦争してても、
お互いの交易をどちらも停めることはしなかった。
交易こそがモンゴルの力であるというのが共通認識だったのだろう。 >>79
交易が盛んになると伝染病も流行る。
一説には雲南省で発生したペストが、ユーラシア大陸とアフリカ、大西洋の島々まで猛威を振るった。
ヨーロッパや華北などの人口が激減してしまう。
このとき日本にペストが来たという史料があるのだろうか?
もし日本に来てないとすれば、北条時宗が日本をペストから守ったことになる。 元朝の統治下で中国の人口が半減している。
従来はモンゴルの蛮行がいかに凄まじいかと強調されていた。
1331年に河北省で疫病が発生し人口の9割が死んだとか、
1353年から1354年にかけて中国内の8か所の遠く離れた別々の場所
(河北、山西省、湖北省、江西省、湖南省、広東省、広西省、綏遠など)で流行し、
一部地域では住民の3分の2が死亡した。
人口減少の主因はペストの流行にある。
人口激減で商業ルートがずたずたになり、
各地域のモンゴル集団が孤立してしまう。
相次いで現地住民によって転覆されていった。
これがモンゴル帝国の崩壊となる。 >>80-82
…目から鱗が落ちたかも! サンクス
モンゴル帝国による世界貿易ネットワーク構想は本当にあったかもしれんねコレ
(中公文庫だったか、チンギス・ハーンの征西は経済的メリットもない意味不明な行動、征服のための征服としか…とか書いてて、
井上靖の「蒼き狼」でもチンギスは…
「オレ、狼の子孫(モンゴル人)だし!メルキト族の胤とかじゃねーし!武勲で証明するから!」
「あ、ジュチよ、オメーもメルキト族の子疑惑あるから! 狼(モンゴル人)だってオメェも実力で証明しろよな」)←こんな感じ
しかし、モンゴル帝国の印象が変わったなぁ
チンギス・ハーンがソコまでの青写真を描いていたかどうかはともかく、
少なくともフビライは「西はバカ親族共が押さえた、さすれば朕が南と東を押さえれば万事OK!」くらい思ったかも
また一瞬、ダメだろ時宗 ネットワーク途絶させちゃ・・・と思ったけど、確かに伝染病は怖い
南米のインディオがスペイン人の侵攻以降に大激減したという話もまた、蛮行でなく伝染病であったわけで >>83
チンギス・ハーンの家臣にイスラム商人がいるが、
彼らが西方の情報を提供し、征服を促したはず。
モンゴルにイスラム大国を破壊させたのはイスラム商人の思惑による。
ちなみに文字を持ってなかったモンゴル人にウィグル文字を教えたのもイスラム教徒だろう。
若干の改良を加えてモンゴル文字となる。
中国を統治する際には儒学者官僚より、会計によく通じてるイスラム教徒を重用する。 中世ヨーロッパにペスト菌を運んだのはイタリア人だ。
黒海沿岸に進出していたジェノヴァ商人が持ち帰ってしまった。
キプチャクのハンのジャニベクがクリミア半島のジェノヴァの植民市カッファを包囲攻撃してるとき、
キプチャク軍にペストが発生したため、やむなく撤退した。
噂があってジャニベクはペスト犠牲者の死体を投石機で城内に投げ込んだという。
それでペストが城内で蔓延したという伝聞がある。
もし本当ならモンゴル軍は生物兵器を使ったことになる。 ウイグル王国を征服してウイグル人から文字を習ったんだろ
ウイグル人は仏教徒とマニ教徒 >>83 >>79
元寇の前にクビライから来た国書には貿易のことととか全然書いてないんで
仮にそういう意図があったとしても時宗や朝廷に理解が及ばなかったのは仕方ないんじゃね
それならそれでちゃんと書かないと
もしかしたら九州で止められてた使者が口頭での説明をするつもりだったかもしれんが
まあそれ以前にまだ南宋があるのに南宋と敵対してる元との関係を密にしろと言われても日本としては困るだろうけど
南宋征服後はもう一度文永の役で戦って次の侵略も想定して防衛準備に入ったしな なうほど確かに、時宗又は鎌倉幕府って、自分から中国との貿易を重視したイメージがないね。
(平清盛が積極的に港を整備して日宋貿易を始めたことと対比すると、特に。)
まあいずれにせよ、上から目線で「朝貢せよ」って言われて、武家の政権が商業目的でYESとは言わんかも。
関係ないけど、漫画「センゴク」では豊臣秀吉の朝鮮出兵について、その目的が実は明に開港を迫ることであったとしている。
武力でビビらせて講和条約に開港を盛り込もうとしたそうな。
個人的には、秀吉が増長だか発狂して朝鮮半島から明まで支配しようとした…という話よりは説得力を感じたかな >>88
戦役があった時は中断したが、
その他は日元貿易が盛んに行なわれた。
鎌倉の建長寺が貿易船を元に送った時は、
名目上は民間船だが各種手配は幕府が行ってる。
事実上の鎌倉幕府の貿易船だ。
もちろん海商たちも東シナ海を行き来している。 >>88
鎌倉の海は遠浅で大きな船を接岸しにくい。
それでも石垣を積んで和賀江嶋という港を作ったが、
実用上は横浜市金沢区の六浦が天然の良港として使われた。
六浦は北条氏の支配とし、六浦と鎌倉を結ぶ街道が作られ、途中の朝夷奈切通しが有名だ。
この六浦津に貿易船が停泊し、繁栄した。
和賀江嶋の湊、六浦湊のどちらも北条泰時が開いた港。 実は元寇の後の方が貿易船の派遣数が多い。
政治的軍事的に緊張が続きながら、そんなことにお構いなく貿易が盛んになってた。
政冷経熱というわけだ。
1323年に中国の慶元(現在の寧波)から日本の博多に向かっていた貿易船が韓国の新安で沈没したのが発見されてる。
この新安沈没船からは大量の積荷が引き揚げられた。
木簡から日本の東福寺が主な荷主と判かる。
積荷を満載したまま沈没してしまったわけだ。 >>88
それもあるけど高麗やベトナムへの対応をみると元の朝貢って、
実際に金やら人やら、時には兵やら造船やらの実質的に朝貢国側に負担の大きい貢納を要求してる
特に人については、高麗も度々女性を差し出すよう求められてるし、世継ぎの王子を元に人質として差し出しすらしてる
その負担とかそこまで他国に差し出す屈辱外交を受け入れられるかの問題もあるんじゃないかな
貿易だけなら南宋時代だってしてた分、別に朝貢や従属しなくてもできるじゃねーかって意識もありそうだし
元寇前には幕府がどこまでそういうの知ってたのかわからないけど、
文永の役は高麗が元寇に加わってるから「元に従属するとこんなことさせられるんだな」と思ったかも >>92
モンゴルは女については要求してないらしい
高麗王が、足りない朝貢品を女で補おうとしたのか、モンゴルに媚びたかのどちらか 高麗の史料だと元からの要求と書かれてたような
元寇の時にも元軍の兵士の妻になる女を要求されたり、
高麗に派遣される元の役人が女を要求してきたりもしたとか 大陸の残虐性は今のロシアとか支那のチベットウイグルの統治を見ればわかる ロシア人の祖先ってモンゴル帝国なの?
ならロシアが嘘ばかり言って戦果を過大報告しているから
モンゴル帝国の残虐性も嘘っぱちの可能性大だよね? >>97
ロシアや中国、イスラム諸国の悪いところを十把一絡げにモンゴル帝国のせいにする傾向がある。
それらが悪いのはそれらの国々のせいであって、モンゴル帝国に原因があるわけでない。 >>98
現在進行形で国民を弾圧しているミャンマーもモンゴル帝国だったんだよなあ
モンゴル帝国だった場所は強権的な権威主義国家、明らかに多くないか?
ソ連崩壊後、民主化したはずのモンゴル国も人権活動家や知識人を逮捕しだしているし そんなんモンゴル帝国の支配地域が一時期めちゃくちゃ広がったからだけでしょw クビライの治世中の死刑者の数が極端に少ない。
死刑執行がなかった年ですらある。
モンゴル人は肉体損傷刑を嫌う。
入墨刑は野蛮と思ってる。
拷問も大幅に制限してた。
また多くの意思決定は合議制を採用する。
地方レベルや職業別組合でも合議制にしてた。
上意下達の官僚制度に慣れてた漢族にとっては、非効率的に思われて不評だった。 >>100
どうだろう。人権意識の低さについてはある程度、法則性あると思うけど。
反ロシアが鮮明なポーランド・バルト三国・フィンランドは当時、モンゴル帝国ではなかった。
親ロシアのハンガリーは当時、モンゴル帝国だった。 >>102
今日的な人権とは異なるが、
宗教への差別がないこととか、
合議制とか、
先進的な部分も多い。 呂布の強さはモンゴル帝国の強さの遠因になっているのかな?
戟を射る話は本当のようだ
当たらなかったら袁術に攻められていたわけで
絶対的に自信があったんだろうな >>98
旧共産圏がモンゴル帝国に支配された地域とほとんど同じだからかも >>105
重商主義で当時としては開明的なモンゴルと共産主義は正反対の気がする。
経済のグローバル化の始まりだし。
共産主義と親和性が高いのは土地や人民を国有とする中華帝国だろ。
漢帝国の古くから官田や官給田で耕作させたり、官営工場で鉄製品を作ったり。 日馬富士が後輩をビール瓶やマイクでど突いて引退させられたけど
相撲部屋のかわいがりなんかは日本人のが陰湿残虐だよな >>79
江戸幕藩体制で同じ徳川なのに名古屋と和歌山と仲悪かったようなものだろ >>94
明確な形女を要求してたのは高麗の忠烈王。
念願叶ってモンゴル本国からお姫様(クトゥルグケルミシ皇女)が降嫁してきましたよ。 >>109
貢女としての女を求めるのと皇女の降嫁を求めるのとは全く違うだろう
忠烈王の王妃は高麗でも上位者の娘として権力者として扱われてるし他の妃よりも上だった
何より高麗から元への要求はクビライの意思次第で拒否できた
高麗にできるのはあくまで皇女様を下さいとお願いすることだけ
元が高麗に女を求めるのは命令になるし差し出された女の立場も従属国からの貢ぎ物
皇帝の後宮に入って運よく男児でも産めば成り上がれるが殆どはそうはいかない そういやその成り上がった珍しい例にずっと後に第16代ハーンの母の奇皇后があるけど、
皇后や皇帝の母がコンギラトのような有力なモンゴル系部族から出た妃でなかったことって
元の衰退や分裂とは関わりあったのかな
モンゴル系部族との姻戚関係があればそれが皇帝の強力な味方にもなりえただろうし モンゴルの研究をしている
北海道大学、弘前大学、東北大学、東北学院大学、岩手大学、
東京都立大学、東京大学、一橋大学、東京外国語大学、早稲田大学、大阪大学、京都教育大学、
広島大学、鳥取大学、九州大学、大分大学
の研究員、講師、助教などの研究者たちに知ってほしい
Yahoo掲示板で、三菱UFJの株で800万円儲けたことを投稿したり、
日経平均レバレッジETFの掲示板で名古屋大学の学生がいたら自らの身分証を見せたり
している、
やたらモンゴルに詳しい研究者がいます。
日本学術振興会は三菱UFJの株で800万円儲ける国立大学教員に科研費を交付するんか?
われわれの血税で賄われている科研費は、研究に使うために交付されるんと違うのか。
科研費をもらいつつ三菱の株で儲けててええんか?
国立大学はそういう教員のためにポストを与えているのか?
真面目に研究している研究者が、そのポストに就いたほうが公益のためになるんと違うか?
三菱株で800万儲けて教授より稼いでる国立大学教員が、
どんな研究しているんや モンゴルの研究をしている
北海道大学、弘前大学、東北大学、東北学院大学、岩手大学、
東京都立大学、東京大学、一橋大学、東京外国語大学、早稲田大学、大阪大学、京都教育大学、
広島大学、鳥取大学、九州大学、大分大学
の研究員、講師、助教などの研究者たちに知ってほしい
Yahoo掲示板で、三菱UFJの株で800万円儲けたことを投稿したり、
日経平均レバレッジETFの掲示板で名古屋大学の学生がいたら自らの身分証を見せたり
している、
やたらモンゴルに詳しい研究者がいます。
日本学術振興会は三菱UFJの株で800万円儲ける国立大学教員に科研費を交付するんか?
われわれの血税で賄われている科研費は、研究に使うために交付されるんと違うのか。
科研費をもらいつつ三菱の株で儲けててええんか?
国立大学はそういう教員のためにポストを与えているのか?
真面目に研究している研究者が、そのポストに就いたほうが公益のためになるんと違うか?
三菱株で800万儲けて教授より稼いでる国立大学教員が、
どんな研究しているんや >>99
ミャンマーからみてタイ国を挟んで反対側のカンボジア国(モンゴル帝国の侵攻無し)とか、モンゴル帝国が侵攻しようとして失敗したインドネシアあたりとか、
モンゴルの後裔のムガル帝国が支配しきれなかったセイロン島のスリランカ国とか、バイバルスがフレグの手勢を突っぱねて守り切ったアラブ諸国とか、
圧政国ぱっしやで。
むしろ、日本、西ヨーロッパ、北米が特殊なんやで。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています