匈奴はトルコ人か?
冒頓単于はブルガール人の間でも伝説の始祖に関連付けられている 攣鞮氏の言語がテュルク系だったとしても
配下の部族では普通に非テュルク系が多そう
鮮卑でも部族によっては非鮮卑語の部族もいるし
大きな部族の慕容や拓跋の内部でも非鮮卑語の民族も多そう ロシア帝国が東へ進出するまで極東にコーカソイドは生息しとらんだろ。 匈奴の言語についてはどれぐらい分かっているのかな? >>2 リンク先から
>なお、匈奴は文字を持たなかったが、亡命した漢人がたくさんいて単于に仕え、漢文を使って交渉していた。
知識の外注化の先駆けか。でも亡命した漢人はなぜ(漢字で表せる制約はあるけど)なんとか匈奴語を記録に残そうとしなかったんだろう
匈奴語も理解できたからこそ匈奴社会で居場所が見つけられたんだろうし
あるいは逆に匈奴側に漢語を理解する人間がいて、亡命漢人の世話係をしてた?で漢語は耳学問で覚えたから、母語も漢語も文字で表す発想も能力もなかった?
この場合亡命漢人は別に現地の匈奴語を覚える必要も、まして匈奴語を文字で記録する必要もない
モンゴルもトルコ セルジュークも最初は朝青竜や白鵬のような顔していた 攣鞮氏がトルコ系言語で
配下部族はエニセイだのモンゴルだのいっぱいいそうな匈奴 とりあえず馬のって武力が強そうなところはトルコ認定するトルコ共和国 漢字が表音文字だったらなあ
匈奴も記録や表記が少しは増えていたかもしれないのに >>17
あれはオグズ系だから今のトルクメン人みたいな顔 >>16
モンゴルとトルコ、どちらもユーラシア大陸の歴史に深く刻まれた遊牧民帝国の名前ですね。確かに、二つの帝国には興味深い共通点と相違点が存在します。
まず、共通点として挙げられるのが、その圧倒的な勢力です。モンゴル帝国は13世紀にチンギスハーンによって建国され、ユーラシア大陸の大部分を版図に収めました。一方、トルコ帝国は14世紀にオスマン1世によって建国され、バルカン半島から中東、北アフリカにまで広大な帝国を築きました。どちらも、当時の世界情勢に大きな影響を与えた強国と言えるでしょう。
しかし、二つの帝国の起源や文化には、大きな違いも見られます。モンゴル帝国は東アジアの遊牧民であるモンゴル人を中心に構成されていた一方、トルコ帝国はトルコ系遊牧民であるオグズ族を中心に、様々な民族が混住していました。また、モンゴル帝国は儒教や仏教などの影響を受けながらも、独自の遊牧民文化を維持していました。一方、トルコ帝国はイスラム教を国家宗教とし、イスラム文化を取り入れながら発展しました。
このように、モンゴル帝国とトルコ帝国は、共通点と相違点を持つ、ユーラシア大陸の歴史上重要な帝国と言えるでしょう。 >>18 配下にツングースやユカギールもいたのかな テュルクの音訳だと言われる突厥も配下には非トルコ系がいたんじゃないかと
アメリカ民族というのはいないように鮮卑民族と言うのはいない
と言う本があったが
じゃあ他の遊牧民も大概似たようなもんなんじゃないかと 「民族」という概念自体がほんの近代の産物なんだが…
種々の言葉や宗教からなる諸部族の連合体、というのは現代人にはなかなか理解されがたいだろう。 今のエチオピアやミャンマーがまんまそれ、
諸部族の連合体
連合でも支配的な立場の部族がいてその部族の言語は何かというのがみんな知りたいんだろう