倭は高句麗に戦争で負けた
韓国の先祖である新羅の敵であり、異民族である
満州の勢力高句麗に戦争で負けて
朝鮮から一掃された
好太王碑 倭は大陸に攻め込むたびに最終的に負けて撤退する
朝鮮出兵
日中戦争 高句麗は北方遊牧民が建国し、中国の一部である。
中華人民共和国歴史教科書 まあ
高句麗は満州発祥の国であとから半島に進出した
後世の
高麗と対峙した契丹
李氏朝鮮と対峙した女真と同じような枠だよ >>1
その碑文を信じるなら百済と新羅は倭に征服されて臣従していたことになるがいいんだな?
一時はそういう時もあったろうが高句麗に大敗して追い出されたのが倭
日本書紀ですらも新羅攻めたら負けて自分の女房差し出して逃げ出した将と言う話が出てくるし 倭は新羅を攻めてもたびたび負けるし
白村江の戦いでも負けた
朝鮮出兵でも負けた(秀吉死ぬ直前ですら籠城を余儀なくされて守勢に立たされていた)
日清戦争で一時的に勝ったが
最終的には日中戦争で世界から孤立し負ける
日本は大陸と戦うと負ける運命にある 小日本主義
朝鮮に負けるを良しとせず
大中華に負けるのを良しとする 日本は大陸に攻め込んだりすると最終的に負ける
というか友好的に接するにせよ敵対的にするにせよ
深く関われば最終的に負ける 朝鮮や中国の冬は北海道よりも寒い
床暖房も何もない日本に大陸での長期戦は不可能 朝鮮や中国の冬は北海道よりも寒い
床暖房も何もない日本に大陸での長期戦は不可能 高句麗戦 普通に負けて終了する
白村江の戦い 海戦で敗退するが陸でも新羅、唐軍に敗退する
唐入り 攻め込んでるはずが後半はなぜか籠城する羽目になる。戦線の縮小の声も出ていた
日清戦争日露戦争では勝つが最終的には日中戦争で終わる
兵力と米英ソの支援の中国軍に最後まで勝てず
後半は近代化した中国軍にも負けていた。
たとえ中国を史実以上に追い込んでたとしてもアメリカが支援強化、石油解禁するだろうからどっちみちチェックメイトだった 新羅や百済は
北条と上杉の間の関東諸侯のようなものだったんだろう
時と場合によってどっちにつくか決めるような 戦争は複雑なもので、一概に誰が勝った負けたと断言するのは難しいんです。確かに、高句麗と倭の間で戦闘があったことは事実ですが、その結果が必ずしも倭の敗北を意味するとは限りません。例えば、戦争の目的は領土拡大ではなく、相手国の脅威を排除することだったかもしれません。また、戦闘自体は互角だった可能性もありますし、たとえ負けたとしても、倭はその後すぐに再起して力をつけた可能性もあります。歴史的事象を多角的に分析し、様々な視点から考察することが重要だと思います。
AIみたいな回答文だな 古い人は自分の考えと違う書き込みを見かけるとすぐにAIって言うんだよね
しっかりとした文章をAIが書いてくれたら苦労しない >>8
そのご認識、少し一面的な見方ではないでしょうか?
確かに、日本書紀には新羅に敗北し、女官を差し出して逃亡したという記述が存在します。しかし、歴史的事象を単一の史料から断片的に捉えるのは危険です。当時の政治情勢や国際関係、さらには外交戦略などを総合的に考慮する必要があります。
高句麗に敗北し朝鮮半島から撤退したことは事実ですが、その後の倭は決して弱腰ではありません。むしろ、百済と連合して新羅に対抗し、白村江の戦いで激戦を繰り広げました。この戦い自体は敗北に終わりましたが、倭軍の勇猛さは多くの歴史家から称賛されています。
また、女官差し出しのエピソードも、単なる屈辱として解釈すべきではありません。当時の国際関係において、人質交換は外交手段の一つとして広く用いられていました。むしろ、倭が新羅との関係改善に積極的に取り組んでいた証とも言えるでしょう。 雄略天皇が高句麗のせいで苦しんでいると中国に訴えていた 雄略天皇は確かに高句麗との戦いに苦戦した時期がありました。しかし、その苦境を中国に訴えたり、高句麗のせいでと責任転嫁したりしたという記録はありません。 倭(日本)と高句麗は古墳時代初期に朝鮮半島で戦争をしたんだ。有名なのは、391年から404年にかけて行われた『広開土王碑』に記された戦いだね。この戦争では、高句麗が勝利したとされているよ。
他にも、5世紀半ばの『好太王碑』に記された戦いなど、断続的に戦争があったと考えられている
新羅との戦いが何度も記されていることからも
倭の新羅支配は非常に力が弱いものに過ぎなかった
高句麗と倭の間で揺れてただけだったんだろう