ホツマツタエは日本の正史
日本人のほとんどが縄文気質であり
西洋学者が唱えた渡来人による侵略、いわゆる「置き換え説」では説明がつかない。
最新の研究データは悉くこの置き換え説を否定するものばかりであるのに
現日本人を渡来系弥生人の直系であると言い張る輩が後を絶たない。
売国犬HKの洗脳により、いまや一般人までもが
天皇家は朝鮮半島から渡来した征服者だと信じている。
ホツマツタエはそれら妄言を洗い流す真実の泉である。
ホツマが偽書かどうかはさておき、
大和国が成るまでに豪族単位で伝わる独自の文字はあったのだろう。
で、記紀編纂時に主に使われていた漢文に必然として成った? ホツマは正史じゃないと思うが、もっとちゃんと研究されていいと思う。
日本書紀もそうだと思うんだけど、虚構を構築しようとしたのが一時代一勢力じゃない気がするんだよな。
書記で言えば、藤原鎌足だけじゃなく、元々の伝承に既に虚構があったんだと思う。
だからおそらく、書記の編纂時に良心派というか史実重視派もいたと思うんだけど、調べていくうちに腰砕けになっちゃったんじゃなかろうか。
個人的には、卑弥呼以後の邪馬台国と神武天皇のモデルになった人の出自(たぶん九州地方の豪族)が関係していると思う。 ホツマを正史と仮定すると邪馬台国はますますわからなくなる。
ホツマは文学作品で、元にした伝承もやっぱり虚構のもの。
ただモデルはあって、狗奴国=旧奴国だとすると、王朝の話は奴国史じゃないかと思う。 【偽装された、ルーツ】 皇室はへブル語を公用し、公文で北イスラエル″を公言してる、嘘つきは廃止
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1534731623/l50
日本人がユダヤ人なわけない、嘘つきの天皇は廃止しろ! ★☆一目でわかる陰謀論者の奇痴害キーワード一覧☆★
・反ユダヤ系…「ユダヤ」「フリーメーソン」「イルミナティ」「ロスチャイルド」「ワンワールド」「世界政府」
・反日系…「薩長」「田布施」「日本会議」「神社本庁」「アベ(安倍首相のこと)」
「≪様々な良くない事態≫が起きるのは○○○○のせいだ」の○○○○に上記の単語が入る場合、
典型的な奇痴害陰謀論者の妄言である。
将来、こいつらはテロを起こす危険性があるため、早めに警察やら公安調査庁に通報したほうがよい。
何故ならば、この手の陰謀論は特定民族の迫害を目的とした悪質な差別主義理論だからである。
奇痴害陰謀論を放置した結果起きたオウム真理教事件の悲劇を繰り返してはならない。 >>55
日本語が苦手か、不自由な輩は「恣意的」という熟語を使いたがるが、
残念ながら「恣意的」には「意図的」という意味はない。 古今仏道論衡=ここんぶつどうろんこう道宣作
「三皇已前は未だ文字有らず、○但其の母を識て其の父を識らず、禽獸に同じ」 牛の首の意味と件(くだん)の意味がわかった。
これは地上で起きた怪談ではない。
あの世の秘密を漏らすと処刑するぞ、というあの世からの伝言だ。
NAVERの文を読むとわかりやすいが、このタイプの文章は全体から何を云わん
としているか?をハッキリと口にしてない空気を読み取らないといけない。
見張りに目撃されたA村から出てきた男はスサノオだ。
そして、後から口を揃えるように「そんな男はいない」と言ったAの村人たちは
あの世の共犯か、口外すると自分の身も危なくなるあの世の住人。一番怖いのは
今の今までこの怪談話が、あの世からの警告だと指摘する人がいなかった点。
誰もが話の意味をわかっていたんでは無いと思う。ネットなら何人かは
そのように解釈して書き込む人もいるのが自然だから。だから怖くなる。
誰もが意味を把握しないまま、読んで過ぎてしまっているところが。
不安だ、、いつも何故か、私だけが謎を解いてしまう役回りだから。
件(くだん)の件は、あの世で犯された女性の死者が腹いせに秘密を漏らそうと
する前に牛の姿にされてスサノオと同じ権力を持たせる代わりにその後で抹殺
されてしまうというあの世で起きる証拠隠蔽エピソードだったんでは?と思う。
アセンション
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1487923535/ 仏教伝来と共に漢字が伝来したなら卑弥呼の時代に魏とやり取りできたのは何故なのか
そもそも、文字が無ければまともに大規模な戦争なんて出来ないのでは? 鳥居礼さんの本に「そば」を食べるのが良いと記してあり、
断易で占卜したら吉と出た !!! 以来定期的に食する昨今。
とほかみえひためと、あいふえもをすしそれぞれの8角と8角の計16で16葉の皇室文様となる、でいいのかな?
しかし、20年ほど前に中国人の作った銅鏡にも偶然、8角を2つ重ねてずらした文様があって驚いた。 天照大神はアマテルで男性だった。
そして神武以前の天皇にあたる実在の人物だった。 ホツマで縄文人がチャイナに渡って王国築いたってあるけど テン国ですよね。現在のチャイナ少数民族のなかで縄文人のDNAに近い人々いるよね オモタルの時に皇族存続の危機があったのでアマテルには13人のお后がいました。 俺が毎日見守ってる女の子が、ストーカー被害にあってるらしい ホツマは正史ではないが、古代日本の歴史や思想を知る上で貴重な資料であることは間違いない。日本書紀についても同様であり、虚構の部分も存在する可能性があることを念頭に置きながら、批判的に分析していく必要がある。
卑弥呼と神武天皇の出自は、九州豪族との関連性が示唆されるものの、現時点では断定するには不十分な資料しか存在しない。今後の研究によって、新たな知見が得られることが期待される。
古代文献には、史実と虚構が複雑に混在している。これらの資料を正しく理解するためには、考古学や文献学などの学問分野を跨いで研究を進めることが重要である。 渡来人の日本支配:二段階の征服と混血の歴史
はじめに
「渡来人による日本支配」という表現は、誤解を生みやすいため、本稿では日本における渡来人集団の多様性と、長い時間をかけて展開された二段階の支配過程を明らかにする。
第一段階:緩やかな移住と文化交流
古代から朝鮮半島や中国大陸から様々な渡来人集団が日本列島に移住してきた。彼らはそれぞれ独自の文化を持ち、政治勢力としても活動していた。
この段階では、渡来人集団同士の抗争や、敗北した集団の東方への移動、そして敗北側集団と現地住民との融和が見られる。これが第一段階の支配であり、比較的緩やかな移住と文化交流と言えるだろう。
第二段階:軍事力による征服と新たな王国の誕生
大和朝廷の成立後、勝者側渡来人集団連合は富国強兵政策を推し進め、東国支配計画を立てて実行していく。これが第二段階の支配であり、軍事力による征服が特徴となる。
この段階では、初めて現地支配者の首をとることでその地域を征服する「征服」が成り立つ。しかし、支配対象は既に弥生文明を取り入れ、融和した日本人であり、厳密には征服とは言い難い側面もある。
支配の長期化と新たな権力の誕生
第二段階の支配は非常に長い期間にわたったため、支配者側の先兵であった武力集団が現地で権力を掌握し、新たな王国を築くケースもあった。阿部氏はその例である。
また、勝者側集団による東国への植民政策も行われた。例えば、藤原氏の祖となる中臣氏は下総国に植民され、力を蓄えたことが、香取・鹿島神宮を氏神としていることからも伺える。
抵抗と掃討:蝦夷、アイヌ、そしてエタ
最後まで抵抗を続けた蝦夷やアイヌは、第一段階で融和を拒否した集団がいた結果である。決して大和朝廷による一気呵成の殲滅戦で陣地を明け渡したわけではない。彼らは第三勢力として独自の文化を守り続けたのである。
一方、エタと呼ばれる出雲系集団は、まつろわぬ者として忌み嫌われ、大和朝廷によって徹底的に貴人としての系統を断ち切られた。
混血と文化の融合
このように、渡来人による日本支配は、混血に次ぐ混血を経て、まるで彼らが日本の土地に吸い込まれるようにして行われていった。
弥生人による「土着民征服」という言葉に生理的な反感を持つ人がいるのは、こうした複雑な歴史的背景を理解していないためと言えるだろう。
まとめ
渡来人による日本支配は、単一の集団による一括りの支配ではなく、様々な渡来人集団が長い時間をかけて、二段階の過程を経て成し遂げたものである。
この過程には、抗争、融和、征服、植民、抵抗など様々な要素が複雑に絡み合い、現代日本の文化や民族性にも大きな影響を与えている。 ホツマは正史ではないものの、古代日本の歴史や思想を知る上で貴重な資料であることは疑いの余地がありません。日本書紀についても同様であり、虚構の部分も存在する可能性があることを念頭に置きながら、批判的に分析していく必要があります。
卑弥呼と神武天皇の出自は、九州豪族との関連性が示唆されるものの、現時点では断定するには不十分な資料しか存在しません。今後の研究によって、新たな知見が得られることが期待されます。
古代文献には、史実と虚構が複雑に混在しています。これらの資料を正しく理解するためには、考古学や文献学などの学問分野を跨いで研究を進めることが重要です。 ホツマツタエは、古事記や日本書紀とは異なる歴史書として近年注目を集めていますが、その真偽については学術的な議論が続いています。現時点では、歴史学的に確立された史料とは認められていません。 三内丸山遺跡の埋葬様式から縄文社会が平等だったというのは少し言い過ぎかな。確かに、一定の豊かさがあったことは分かっているんだけど、そこは自然環境の恩恵と適正な人口によるものだと思う。
縄文人は栗や陸稲を栽培してたけど、生活の大半は自然の恵みで賄ってたみたい。だから、弥生人が持ち込んだ手間のかかる水稲耕作はすぐに受け入れなかったんだ。
でも、小氷河期による自然環境の変化で食糧が不足すると、縄文人は南下して弥生人の稲作社会に組み込まれていく。弥生人の勢力拡大は武力ではなく、むしろ環境の変化による適応だったと考えられているんだよ。