神武の頃使われていた暦の導入
16 ヰモツギの アマノマサカキ  世継ぎの 天の真暦
ホ28017 トシのホの トトセにはヰキ  年のホの 十年にはイキ
ホ28018 ムソトシに ミタのふヱトの  六十年に ミタのふ干支の
ホ28019 ヒトメグリ アクルトシなる  一巡り 明くる年なる
ホ28020 ミタのアヱ なればフタヱト  ミタのアエ なれば干、支
ホ28021 キアヱより ヱとホとかぞえ  キアエより 干と支と数え
ホ28022 ヒトヱムソ トヱはムモトセ  一巡60 10巡は600年

キツオサネとア(兄弟)ミ(兄弟)ヤ(兄弟)シ(兄弟)ナ(兄弟)ウ(兄弟)
キアエ、キアト、ツアエ、ツアト…で60
後にキアエが甲子(キノエネ)となる
甲子年から数え始め、58年神武元年が 辛酉年正月庚辰朔である。
19年間で6940日が基本と成る。
19年×3回+1年=58年=6940日×3回で1から数える。
では、甲子年が何時で数え始めの日々の干支は何か?
甲子年に根源を求めるのであれば、
西暦3年(癸亥)西漢平帝元始3年12月壬寅朔
壬寅(39)+6940+6940+6940+6939=庚辰(17)
又は
西暦23年(壬午) 新王莽地皇4年正月壬午朔(西元23年1月11日)
壬午(19)+6940+6940+6939=庚辰(17)

神武元年 辛酉年正月庚辰朔が
東漢光武帝建武18年 ?次:壬寅 生肖:虎 西元42年2月9日(星期五)起と重なるためには
中国で38年が経過する間に、年で57年、日々の数字で76年分を費やす。
年の数と日々の数が合わないウラに、正月がひと月遅れる事情が隠される。

事実を認定する文献が無い以上、全て推定の机上の計算でしかないが。