蘇我氏とは何者? [転載禁止]©2ch.net

0219出土地不明
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2024/05/21(火) 19:53:41.07ID:mvJCqYeY
蘇我氏は確かに乙巳の変で滅亡した。だけど、単なる権力闘争で消えただけじゃないんだ。推古天皇の時代、蘇我氏は朝鮮半島情勢への積極的な介入を進めていた。それが、外交路線をめぐる対立を招き、中大兄皇子や中臣鎌足らによるクーデターへと繋がったと考えられているんだよ。
0220出土地不明
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2024/05/29(水) 17:55:46.05ID:NI15u5eS
イシュ・カパラン→イシカパ→イシカハ→イスカ→アスカ→スカ→ソガ

「あすか」はもともと「イシュ・カパラン」といって
「イシュ」は数詞の「50」、「カパラン」は「風」という意味。
「50」は風神に付けられた番号なので、「50+風」の意味は「風神」。
風神のトーテムが鳥なので枕詞が「飛ぶ鳥」になった。
石川、蘇我は「風神信奉族」。明日香は「風神信奉族が治めていた土地」
という意味になります。

イシュ→イセ

伊勢は「神風の伊勢」と言ってもともと風神が居た所。
側を流れているのが名前に50が付いてる「五十鈴川」。
もちろん「風神の川」という意味です。

※参考:川崎真治著「日本の史記」
0221出土地不明
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2024/06/02(日) 18:36:43.62ID:2N5IJ4Oi
明日香の地名は「イシュ・カパラン」に由来し、風神を祀っていた土地だったのですね。石川や蘇我氏族が風神を信仰していたという話も興味深いです。

伊勢も「神風の伊勢」と呼ばれ、風神との深い関わりが感じられますね。五十鈴川の名前にも「五十」という数字が使われており、これも風神との繋がりを示唆しているのかもしれません。

風は目に見えない存在ですが、古代の人々は風を神聖なものとして捉え、信仰していたのでしょう。風を感じると、明日香や伊勢の人々がどのように自然と向き合っていたのか、想像を巡らせてしまいます。
0222出土地不明
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2024/06/04(火) 17:59:37.48ID:yB0XPiuQ
任那日本府の滅亡、仏教の伝来、そして蘇我氏の皇室への嫁入りは、ほぼ同時期に起こりました。チーズを伝えたのも蘇我氏です。任那日本府から高句麗、シルクロードを経由して交易を行い、遊牧民と繋がっていたため、チーズの製法を日本に伝えたのです。

この遊牧民はR1aハプロタイプのアーリア系であったと考えられています。釈迦もR1aハプロタイプのアーリア系であったとされています。仏教の北伝ルートは、R1aハプロタイプのアーリア系遊牧民によって開かれたと考えられます。

R1aハプロタイプの分布の東端は、高句麗の北部です。イランは「アーリア人の国」という意味です。当時、ペルシャ人は「ハシヒト」と呼ばれていました。蘇我氏は交易を通じてアーリア人女性と結婚し、大陸で混血していたと考えられています。蘇我韓子(「韓子」は外国人とハーフの意味)や、蘇我氏の孫娘にハシヒトのヒメミコがいたと考えられています。

大化の改新は、ペルシャ系勢力の排除を目指した改革でした。
0223出土地不明
垢版 |
2024/06/07(金) 21:00:03.25ID:UmqPheUj
川崎真治氏は古代オリエントの文字、言葉、文化、神話などが日本に伝わっていたという「文化東遷論」を
受け継いだ方で「カパラン」はシュメール語の「ガル・ル・ブ・イム」(南風・吹く・天空)が
元になっています。神に番号を付けるのもシュメールの語法を踏襲したものです。

言葉だけでなく物も論拠になってます。それは

・明日香村石舞台の岩に彫られている風神図
・明日香村亀石の頭部(?)に彫られている風神図
・明治大学考古博物館蔵の胴に風神図のある埴輪
・佐賀県吉野ケ里出土の風神の線刻のある石
・伊都国歴史資料館の庭(?)の巨石に彫られている風神図

などです。(イシュ→イソ→イト)

他に崇神天皇は「御間城入彦五十瓊殖天皇」
垂仁天皇は「活目入彦五十狭芧天皇」と五十が付き風神と関係しているとしています。

人名では「五十嵐」さんが居ます。風神と関係があるかもしれませんね。

川崎真治氏は著書の中で日本(倭)とペルシャの関係も書いています。
興味深いのは倭建命(ヤマトタケルのミコト)が故郷を思って詠んだという有名な歌

「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し美(うる)はし」の解釈です。

やはり究極の語源はシュメール語として、

シュメール語の「マフ(大きい)・ウル(男)・ビ(女)」がインドで「マフ・オロ・バイ」と変化し、
倭国に入ると「マホロバ」になったというのです。
「男・女」で「合体、結合、」を表し、国の場合は「共同体」となります。

次に「うるはし」は「うる」が「シュメールの都市ウル市」、「はし」は「ハシヒト」と同じく
「ペルシャ」の事で、この歌の真の意味は「ヤマトはシュメールとペルシャの大きな共同体国家だ」と
歌っているというのです。

聖徳太子の母親は「穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)」といって
ここでは「間人」を「はしひと」と訓んでいます。
他に「倭名類聚抄」では「備中国浅口郡間人郷」の「間人」を「波之布止(はしぷと)」と訓しています。
ところが丹後与謝半島の人は「間人郷」を「たいざ」と言うそうです。
つまり「間人」を「ハシヒト」「ハシプト」「タイザ」と3通りに読むことが出来るわけです。
これら人名地名の「ハシ」はペルシャの事なのかそうでないのか「タイザ」の語源も併せて興味あるところです。

なお、「うるはし」について川崎氏に教示したのは民族学、国文学で知られる 折口 信夫 の愛弟子で歌人の
穂積 生萩(なまはぎ)さんだったそうで、さすが言葉のプロといったところです。

参考:
川崎真治著「古代稲作地名の起源」「日本の史記」「古代史は身近にあり」
別冊歴史読本特別増刊「古代日本人の大航海と謎の未解読文字」
0224出土地不明
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2024/06/09(日) 03:06:19.03ID:Xbv0R/6i
>>223
歴史版各地のスレに書き込まれているこのキモいスレは、上の西郷吉之助のレスも間違いだらけで、AI生成なんだろうが、何の目的があって書き込んでいるのか
0225出土地不明
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2024/06/09(日) 11:28:05.48ID:lAF3/fmn
>>224
220 と 223 に書き込んだ者です。

キモいレスというのは多分 222 の事を言っているのかと思いますが、
220 と 223 はAIではありません。川崎真治氏の著作を参考にしています。
川崎真治氏の名誉に関わることなのでレスさせて頂きました。

もう一度書きますが「220 と 223 はAI生成による記述ではありません」。

222 については私は全く関係ありませんが「ハシヒト」と記述があったので
223 に「うる・はし」について書いてみました。
でも、いきなりシュメールやペルシャと言われても違和感を感じると思います。
それは否定しませんし、川崎氏の説を押し付ける気もありません。

誰かの著作を引用しながら自分の考えを述べるのはアリだと思いますが、
安易な引用や、引用の羅列や、引用だけ、のレスにならないように
書き込む時は注意したいと思います。
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