「 土地は湿地多く、虫けらどもの群がり生じ、瘴気のたちこめた風土。
蛙と亀は穴を共にし、人と鳥は群れを同じくしておる。

ざんばら髪の君には長者の相なく、入墨(いれずみ)の民は貧相な体つき呉人の亡者、
建康(今の南京)に住まいし、ちっぽけな冠帽に、ちんちくりんの着物。

おのれを阿イ農(人ベンに農オイラ)と言ふた言めには阿(オ、オ、返事の相槌)の連発。
(注、これらはそのまま今の日本語)
菰(まこも)の芽と稗(ひえ)が代用飯、茶が飲物代わり。

じゅんさいの羹(あつもの)をガブガブ、蟹の黄(こ)をクチャクチャ。
手には豆寇(クサ冠に豆寇・ずく)をつかみ、口にはビンロウを噛む。

中州のところで、魚に網うち、すっぽん掬い、菱の実、蓮の根(レンコン)にかじりつき、
鶏頭(みずふき)フキを採り歩いて、蛙やアサリの吸い物のご馳走。 」

* 5世紀中国の東魏の楊衒之が撰した「洛陽伽藍記」より *

華北出身の楊元慎が、江南出身の高官張景仁を罵り、批判した言葉です、
まるで現在の日本人が、批判されてる様な気に成りませんか、どれも美味う!!!