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日本の古代史 Part39
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0001出土地不明
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2019/11/20(水) 06:13:10.09ID:IQFG77vs
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前スレ
日本の古代史 Part38
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1529143679/
0003出土地不明
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2019/11/20(水) 12:32:59.81ID:E7ZxJ6yd
  祝 新元号 『 令和 』 改元おめでとうございます
0004出土地不明
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2019/11/20(水) 12:41:49.41ID:XPq+ZZ6n
陸稲が自生してたのは事実だろうな
0005出土地不明
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2019/11/20(水) 16:15:16.40ID:9C2gNOkk
●浙南石棚墓群.(浙江省温州地市瑞安)(日本では支石墓)
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/bsisekia-thumb.jpg
 1993年に浙江省温州地市30を超える石棚墓が発掘され、春秋時代の器物が
多数出土した。石棚墓とは日本でいう支石墓のことである。
これは、紀元前1700年〜紀元前256年頃にかけて江南地方で営まれた墓制で、
石棚墓の下には甕棺も埋葬されている。
その形状や葬送様式などから、九州北部や朝鮮半島南部に展開する
支石墓のルーツかとも考えられる。 

http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/asiseki2-thumb.JPG
 紀元前1500年頃になると遼東半島から吉林省南部地域にも出現するが、
これは、支石を箱形に並べた上に高くびえる形で天井石を載せたもので、
テーブル式と呼ばれる。
 一方、朝鮮半島南部に支石墓が出現するのは紀元前500年頃からで、
数個の支石の上に長方形に近い天井石を載せたもので、 碁盤式と呼ばれている。
韓国では、高くそびえるテーブル式を北方式、低い碁盤式を南方式と
分類しており、 両形式のおおよその境界は全羅北道付近とされる。

 浙南の石棚墓は後者の南方式と呼ばれる碁盤式である。
日本では、碁盤式と呼ばれる南方式の支石墓が縄文時代晩期末の九州北部に
出現している。 唐津市の葉山尻支石墓群が最古とされ、
縄文時代晩期末(弥生時代前期)〜弥生時代中期の支石墓と甕棺墓がある。
0006出土地不明
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2019/11/20(水) 16:16:11.96ID:9C2gNOkk
●周代.の土とん墓

 墓制(墓づくり様式)において、大陸と共通するのは横穴式古墳や支石墓のほかにも、
円墳、方墳など、 土を盛った高塚式古墳のルーツも
中国の江南にあったことが明らかになりつつある。

 2005年、南京博物院考古研究所は、江蘇省の句容市と金壇市で、
土を盛った墓である土とん墓群の大規模な発掘を行なった。 (とんは土+敦)。
総数で40の土とん墓を発掘し、233の墓葬と14の墓葬建築遺跡を整理したところ、

 幾何学模様の陶器、 原始的な青磁器を主とした、 江南地方の特色がある各種の
文物3800件余りが出土した。発掘後の整理によって、 船形棺の葬具、 石の寝台、
墓の上に建てられた木造の山形をした掘っ立て小屋の存在が明らかになった。
(人民中国「江蘇省句容市と金壇市にまたがる周代の土とん墓」)
0007出土地不明
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2019/11/20(水) 16:16:52.61ID:9C2gNOkk
●墳丘墓.の源流

 日本では、弥生時代の墳丘墓も、前方後円墳などの古墳も、遺体を地面より高いところに
埋葬する。 一方、中国の華北では遺体を地面の下の深いところに埋め、その上に土を盛る。

 ところが、呉や越の国があった長江河口域の土とん墓は、地面よりも高いところに
遺体を埋葬する。 土とん墓は、中国のきわめて限られた地域(春秋戦国時代の呉越の地域)
で行なわれた埋葬形態であった。 越が楚に滅ぼされ、江南一帯が楚の領土となってからは
土とん墓は消滅し、楚の木槨墓が行なわれるようになった。

 吉野ヶ里などの弥生時代の墳丘墓が、中国江南地方で呉・越の限られた時代に
行なわれた土とん墓の影響を受けた可能性を示しており、 この時代の人々が、
日本列島に渡来したことと整合する。 (邪馬台国の会「中国古伝承のなかの倭」)
0008出土地不明
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2019/11/20(水) 16:17:46.57ID:9C2gNOkk
●舟型木棺.の源流

 江蘇省の土とん墓群からは船形棺の葬具が出土しているが、実は、四川省の成都市で
約2500年前(春秋晩期〜戦国早期) のものと思われる舟型木棺群が発見されている。

 舟型木棺とは丸木を船形に彫って作った棺のことで、舟棺で埋蔵することには
「舟に乗って他界に行く」意味がある。 大きいものは長さ18mを超えるものもあり、
直径1・6〜2mの楠の木をくり貫いたもので蓋もついていたという。

 ほかには、大小併せて17の丸太彫りの舟型木棺が確認されたが、
当初はこの他にも多数あったものと推察されている。
規模の大きさから、王の家族もしくは一族の墓であると考えられている。(「考古用語辞典」)

 舟型木棺は四川省の巴蜀文化の特色とされるが、
わが国の古墳にも舟型木棺が多数使われている。  構造はくりぬきの舟型木棺が多く、
鏡、鉄剣、鉄刀、良質の勾玉などの副葬品を伴う。舟型木棺の思想もかなり早くから、
長江流域の四川省から江蘇省まで展開していたようである。
0009出土地不明
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2019/11/20(水) 16:19:21.33ID:9C2gNOkk
●銅鐸祭祀.の源流

 先にも紹介したが、湖南省寧郷市老糧倉で出土した殷代の鐃(にょう)に関しては、
日本の銅鐸のルーツではないかとの見解が出されている。
「長江中流域などの鐃は概して大ぶりで、高さが1メートルに迫るものもある。

 大型の鐃(にょう)は山の斜面や頂上の穴に埋めた状態で発見されることが多い」。
祭器としての青銅器を土に埋めて保存する習俗としては、苗族や白ラ人の銅鼓がそうである。
そして、 湖南省でみられた青銅製の鐃と弥生の日本の銅鐸がある。
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/0/8/082faf06.jpg
 さらに今度は、明らかに銅鐸の原型と思われる形をした陶磁器の鐸が発見された。
『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる
墓から、 原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、

 これまで中国各地で出土した鐸と異なり、 日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。
鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、幅約12〜18センチの鐘型。 肌色で表面に蛇のような
小さな模様が多数刻まれ、鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の姿を模したつり手が付いている。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/ec/51019b8376d63c6cd73caa4bf148cf45.jpg
 馬王堆漢墓の帛画をもう一度みてみよう。図左の天上界の中央で、
宙に吊られているのが鐸である。 それを、馬か鹿に乗った人物がひもで引っ張って
鳴らしている。玉璧は天との交信に使われたりしたが、
この帛画では死者を天上界へ導くための器だった。一方の鐸は天上界の器であり、
「天上界の音」を奏でた楽器であることが分かる。………まさに驚きの事実である。
0010出土地不明
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2019/11/20(水) 16:25:48.23ID:9C2gNOkk
「家屋文鏡」(上記画像・奈良県佐味田古墳から出土)
http://img-cdn.jg.jugem.jp/72e/1453281/20100316_1751045.jpg
http://img-cdn.jg.jugem.jp/72e/1453281/20100316_1751046.jpg
伝讃岐国出土銅鐸の表面に描かれた高床建築
http://img-cdn.jg.jugem.jp/c91/2722688/20161009_1070666.jpg
中国前漢時代に雲南省にあったテン王国の高床式住居
http://livedoor.4.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/1/3/13f71938.gif
■倭人の家
「干欄式建物(かんらんしきけんちく)」とよばれる高床式建物(たかゆかしきたてもの)の
形式がある。  屋根の一番上の、棟(むね)の長さが長く、下の、軒(のき)の長さが短い。

そのため、屋根を真横から見るとき、逆さの台形に見える。このような「干欄式建築」は、
日本から遠くはなれた中国の雲南省の石寨山(せきさいざん)古墳出土の青銅製の容器の
蓋(ふた)の上の飾りなどに造形されている。 また、中国の江西省清江県営盤里出土の
家形土製品に見られる。 いずれも、長江流域およびそれ以南の地である。
http://yamatai.cside.com/katudou/image2/359-08.gif
いっぽう、わが国でも、「干欄式建物」は、弥生時代の銅鐸に描かれた絵画、
古墳時代の鏡の上に描かれた絵画に見られる。
また、「干欄式建物」の家形埴輪が出土している。
なぜ、遠くはなれた中国雲南省と日本の地で、同じ形式の建物が見られるのか。
http://yamatai.cside.com/katudou/image2/359-10.gif
日本では香川県出土銅鐸の絵画や奈良県左味田宝塚古墳出土の家屋文鏡に
描かれている絵画、池上曽根遺跡の大形建物の復元、登呂遺跡復元高倉など
日本の弥生時代の家は「干欄式建物」である。

第359回 邪馬台国の会  稲作の渡来(稲作はどこから来たか?)
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku359.htm
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