かぞくいろ 有村架純
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興行収入としてはコケたから上映はほぼ打ち切られてるね 主人公・奥薗晶/#有村架純
亡き夫・修平(#青木崇高)の連れ子・駿也(#歸山竜成)と共に、夫の故郷・鹿児島で鉄道運転士を目指す。 連れ子
再婚する人が婚家に連れて行く、前の配偶者の子 とある
よくわからない
晶と駿也の関係は死んだ夫の前の配偶者の子 すなわち義理の子供でいいのかな?
よくわからない 駿也を亡き夫の連れ子とするからややこしくなるんであって
単に亡き夫の前の奥さんの子供ではいけないのかな? どうも連れ子というのは子持ちの女の人が再婚する場合で子持ちの男の人が再婚しても言わないのかな
あるいは男でも養子として再婚する場合にはいうのかな? 修平さんの前の奥さんは駿也を産む時なくなったみたい
だから駿也が母親のこと全く覚えていないのは当然 回想場面があった
柩に横たわる女は妻であり母であったのだ きれいな顔 号泣する修平 10年前 亡くなった奥さんのことはいっさいわからない でも死に顔は見せた 奥さんの実家はかなりしっかりした家みたいだ
奥さんのお母さんがうちで育てると言って赤ん坊を抱き連れて帰ろうとするところに修平が駆け寄り取り合いになる 結局修平が奪い取ったけど大岡裁きなら赤ちゃんは実家に行ってた この時10年前には國村隼演じる奥薗節夫は東京に来ていた うまく連絡取れたんだ 結婚するときも来てたのかな
何年前に結婚したかもわからないしどうでいいことか そういえば節夫さん携帯持ってないみたい
今じゃあ子供からお年寄りまで猫も杓子も持ってるのに珍しい 晶との結婚の時は連絡は取れたけど結婚式はしないから来なかったのかな? そうそう赤ちゃんを取り合いしたとき
奥さんのお母さんが親同士が決めたことと言ったとき駆けつけた節夫さんて言ったね 晶には自分がそう思ったらそうだろうとか東京にいるか鹿児島に来るか自分で決めたらいい
とか節夫さん言ってたけど赤ちゃんのことでは自分の考えで決めたんだ そういえば晶が運転士になるための講習にしばらく門司だかに行く時見送りに来た駿也が言ったね
晶ちゃん帰ってくるね と 帰ってきてねとは言わなかった こうゆう祖父と孫の共通した言い方について誰かが指摘していたのを見てなるほどと私もはじめて気がついた 修平とは会話も少なくわからなかったけど強いてあげるなら
見舞いに来た晶をベッドに誘い込んだ修平が泊まっていくといった場面 バカと言って修平を叩くふりをした有村の可愛いこと いちゃついているのだ この場面を見た優香と青木崇高に離婚騒動でも起これば少しは観客も増えるかと期待するほうがアホで
かぞくいろは大部分の映画館で12月27日上映終了になりそう 駿也は実の母のことは覚えていないという
それはそうだろう一度も抱かれてもいないと違うか 母に抱かれた記憶はないが手と手に奪い合われた記憶は心のどこか奥の奥にあるかもしれない それにしても駿也の父に対する執着
突然あの作文で出てきたように感じたんだけどそれまでそんなこと駿也の口から出てことあったかなあ 父との思い出の場面バッティングセンター以外何かあった? 祖父に骨壷を渡す時もカメラは晶を促す駿也の感情を捉えていなかった
墓に収める時も同様だった 確かに育ててくれたのは父
しかし小さい子供が育ててくれている恩義なんか感じるだろうか
ある程度大人になったら感じるだろうけど まだ晶は大人になっていない
学校で同級生が怪我をした事件色々と考えさせられる とかなんとかいろいろ御託を並べているが
映画かぞくいろは100点満点で有村架純の魅力は120満点です 出来上がった作品をごちゃごちゃ言ってもせんないことだし素直にああよかったと思うのがファンのつとめなのだ 主に物語が始まる前と物語が終わったあとのことを想像してみる とにかく有村が出た映画は全部100点満点の100点 あの駄作夏美のホタルも100点 素直に見なくてはいけない まあしかし夏美のホタルが100点ならかぞくいろは500点くらいかな 12月月27日を持って多くの映画館で上映終了したかぞくいろですが
まだ上映している映画館も少なからずあります 年末年始少なくとも1月3日までは28都道府県ほぼ64館で上映しています
年末もむろん特に正月休みには注目しています 修平と前の奥さんすなわち駿也の母親とのこと
二人がいつ出会ってその時彼女はいくつで何をしていたのかなあと興味があるのはこの映画の主人公の一人は駿也だと思うから 三つ子の魂百までというようにこの物語が始まった時には登場人物は全員ー先生から生まれた赤ちゃんは別としてー人間的には固まっているのだ 駿也の母親がいない今手がかりになるのは遺伝子と修平とのふれあい 遺伝子は手に負えないので修平との出会いから死別までのエピソード 父修平は息子駿也に名前が無い母のこと時々でも話してやっていたのかしら 覚えてないんだけど柩に横たわる妻の姿に号泣してる時名前呼んでた修平?
呼んでただろうな俺がぼんやりしてただけで 結婚式はやったのかな やったんだろうな奥さんの実家しっかりした家みたいだから その時父節夫は来たのかな東京に?来たんだろうな一人息子のはじめての結婚式だから 晶との結婚には関心無かったんだ 孫にも関心無かったんだ
息子の嫁が死んでから新しい嫁と結婚して死ぬまで10年一度も会ってないんだこの親子 あまちゃん前の作品で有村20歳頃の映画 とにかく若い 時々それらしい表情見せるけどその気で見ないと有村みたいだなあとそんな感じ
でも可愛いのだけは変わらない この映画についてのインタビューがある この時の有村好きなんで時々見る 全盛期の有村架純なんて茶化す人がいるけど確かに輝いている 動物学的に言うと人間は18歳くらいがピークであとは老化していくらしい
だから現在25歳の有村多少劣化して見えても当然なのだ それはともかくインタビューの受け答えによどみがないんだなあ
台本があるとは思えない表情も口調もごく自然な佇まい 見える見えるの時もそうだけどほとんど思ったまましゃべっている感じ それに比べビルギャル以後は言葉を選んでいる感じ
しょしゅの事情でそうなったんだろうけどいささか残念 映画は中程くらいまではよかった
こんな性格の役有村にやってもらいたいなと思っていたような高校生だった だいたいどの映画もそうだけど監督や脚本家が
はじめに思いついて決めたこととえの思い入れから抜けられずひどい結果になってしまうんだ この映画もおそらく 晶ちゃんがいなくなればよかったのに という情景を思いついたのが始まりだと思う ドラマの場合おしなべてオリジナル脚本の場合その傾向が見られるみたい 警察ものは作者の変な主張がなく見やすいためか数字もいいようだ まあ時々警察批判しているように見えて結果的にヨイショしているのは仕方ないか(笑) この映画の難しいところは改めて言うまでもなく
廃線に関わる問題に一切触れず鉄道をテーマにしなければならないとこ そう思うと節夫さんのお父さんが電車の運転士だったかどうか知らないけど
鉄道いろの家族にしたのはの当然といえば当然だけどよかった 本当は修平さんも運転士になりたかったのかも それが何故 晶に郷里に帰りたいと言ったのはいろいろゴタゴタがあって父のような運転士になって平穏に暮らしたいとおもったのかも 敷かれたレールの上を生きていくのもいろいろたいへんだろうけど
夫修ちゃんの思いと息子駿也のまたこでキャバ嬢になられたら恥ずかしいなという思いに押され 運転士になったけど一回くらい落ちてもよかったのにとは思う 駿也は晶がキャバ嬢やってたの知ってたからまたここでやられたら恥ずかしいと思ったのだ この街にキャバクラがあるのかは置いて何故駿也が知ってたかというと
晶が自分から聞かれもしないのに話したんだよ でも晶は駿也にはむろん修平にも親のことは何も言わなかった 借りてきてナラタージュを見ている これもやたらに回想が多い映画だ 人間は回想する動物なのかと思うほど多いのだ
ほかの動物は回想するのかな 人間に近いというサルはどうなんだろ サルは回想しないとすると人間の定義が一つ増える 人間は回想する動物である と 幸いなことに人は親を選べない
人というより生きとし生けるものはみんな親を選べない 人が親を選べるとしたら 想像しただけでおかしくなる ちなみに
あなたが生まれ変われるとして今の両親を選びますかという問いに選びますと答える人はどのくらいいるでしょう まともではない親を持った晶も選んだわけではない 引き受けたのだ
この両親の子になることを誰かが引き受けなくてはならない そして晶が引き受けたのだ 種として生き続けるために人は何かを否応なしに引き受け生きていると思ったら無性に愛おしくなる ひとりで引き受けるのは辛すぎるので家族がある 家族は辛さの分散なのだ その従来の家族が崩壊したら人は当然それに代わるものを求め縋る
その一つがかぞくいろなんちゃってwww シェアハウスと言うのを時々聞く
1軒の住居を複数人で共有することでハウスシェアリングともいい同居人をシェアメイトというらしい タイプはいろいろあるらしいけど部屋だけ専有で風呂トイレ炊事場は共用というのが多いらしい 昔は風呂はなくトイレ炊事場共用のアパートが多かった
昔といっても江戸時代ではなく昭和のそれも戦後のつい最近まで共同の便所も汲み取り式のアパートがおおかったのだ 人口が減っているというのに新築の建売住宅は結構あちこちに建っている もっとも以前のような大規模開発の住宅団地のような大掛かりな物件はわしの周りでは見かけない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています