かぞくいろ 有村架純
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開発会社も今は横より縦のタワーマンションに力を入れてるようだ あんな高いとこに住んでもし電気が十分に供給されなくなったらどうするんだろうと僻み半分心配になる その点かぞくいろに出てくる風景はそんな心配がないようだ ライフライン (lifeline) とは、元は英語で「命綱」の意味
日本では主にエネルギー施設、水供給施設、交通施設、情報施設などを指して、生活に必須なインフラ設備を表す語らしい 現代社会においては
電気・ガス・水道等の公共公益設備や電話やインターネット等の通信設備、
各種物品を搬出入する運送や人の移動に用いる鉄道等の物流機関など、都市機能を維持し人々が日常生活を送る上で必須の諸設備のことを指すらしい。 昨今水道の民営化が盛んに言われ始めた
水こそまさに命の綱なんだから慎重の上にも慎重にやらないとえらいことになる 幸いなことに晶と駿也がせわになってる奥薗節夫さんの家の前を流れる川飲み水にも使えそうなくらい綺麗
それに比べ3月のライオンで桐山零が住んでるマンションの前の川は飲めない ライフラインも命のライフラインと便利さのライフラインに分けて考えなくてわ ちなみに「便利」
ものごとをするのにつごうがいいこと ちなみに「便」
「イ」(ひと)と「更」(物事を分類しておさめる意)とを合わせて
人がことをうまく処理する とどこおりなく通じさせるという意味をあらわす だって
角川国語辞典 より 人は一人では生きていけないからその場その場で自分にあった手近なものに縋る 道を歩いてる人自転車をこいでる人電車に乗っている人車を運転してる人
みんなスマホを片手にしている 要するに柔軟なんだ人という種は
柔軟だから今日まで生き続けてこれたということは誰しも言うこと 家族ではない他の物を見つけたから家族がいらなくなった 家族がなくなったから他の物を見つけたというより
他の物を見つけたから家族の役目ががなくなったということだろう インターネットなんかそのものでこの5チャンもその一つだろう まあしかしまだまだ基本は家族
子を産み育てるには一夫一婦制の家族の形態がほかに比べ優れているんだろう 家族の形態があるから他に色目が使えるとも言える
そんな中でかぞくいろは新しい家族の姿とか言ってるけどどうなんだろう 母親になると決心したんだから運転士を続けて駿也を育てるだろう
もし好きな人ができて結婚を申し込まれてもできない 晶が結婚したらどうなる この家にはいられないだろう その相手は駿也の父親になるんだぞ 駿也を捨てて結婚し幸せに暮らせるとは晶とうてい思わないだろうしなれるとは傍目にも思えない つまり晶は結婚できない まだ25歳これから女のさかり 男をつくればいいと思うけど簡単ではない
独身の相手でなければややこしいことになるのは必定 狭い街すぐ噂になる 相手が独身でも噂になり駿也の耳にも入る 耳元でささやきたがるやつが必ずいる 8年後駿也は18歳になり高校を出る
8年後晶は33歳になり独身 駿也が大学に行きたいといえば晶が学資を出すだろう
京都や東京の大学に行きたいといえばある限り全て出すだろう そして卒業し彼女ができ結婚した駿也は郷里に帰ってこなかった
40歳を過ぎた晶は結婚も諦め年老い痴呆気味の義父の介護にあけくれることになる 晶の行くすえを普通に考えるとそうなる
だって義父はお前が考えお前の思うようにすればいいとしか言わないし
駿也は晶を母親とは思っていないんだからそうなるのが当然 まあしかしそうなっても晶が幸せと思っていればとやかくいうことではない
息子と思う駿也の幸せを自分がお金を出し義父の世話をすることで守ってやっていると晶が思えば幸せかも たとえ駿也が晶のおかげとは露ほども思っていなくても幸せなんだ 小学3年だった駿也が父が連れてきた晶に会った時一目惚れだったとしたら
将来大きくなったらこの女の人と結婚しようと思ったとしたなら だから駿也は頑なにおかあさんとは思わず晶ちゃんと呼び続けているのだ 祖父の家で一夜明けた朝
添い寝した晶ちゃんのあらわな太ももにそっと触ってキュッとした駿也は思いが決心に変わったのだ
絶対晶ちゃんと結婚すんだと 晶の気を引くためにあんな作文を書きあんな態度をとったんだ 15歳違いなんだ
8年後18歳になったら晶ちゃんと結婚しようと思っている駿也
その時晶ちゃんは33歳 晶は18になったら聖ちゃんと結婚しようと思っていた
その時聖ちゃんは28 女優から政治家になったなんとかいう女の人は実際24歳下の男性と結婚してうまくいってるみたいだからダメということはないんだけど 節夫さんがぼやいていた場面思い出す
お前が勝手に死ぬからこんなことになる 修平さんが死んだからこの物語が始まったのだ
人は迂闊に死ねないのだ まあ人は勝手に死ぬわけでも迂闊に死ぬわけでもないんだけどそう思っといたほうが気楽だ なにしろ今日日死ぬのも大変だ
昔なら野に朽ち鳥についばまれ海に流れ魚が始末してくれた 葬式の心配することもなく
死体処理人に動物以下なんて蔑まわれることもなく気楽に死ねたんだ 聞くところ動物は死ぬとき姿を隠すらしい
でもそれは野生の動物に限るんじゃあないの ペットたちにそんな根性ありそうもないけど ところで話は戻るけどもし晶ちゃんと駿也が結婚を望んだとしてできるの? 戸籍は,人の出生から死亡に至るまでの親族関係を登録公証するもので,
日本国民について編製され,日本国籍をも公証する唯一の制度です 401は法務省の言い分です
いわゆる「戸籍」があるのは日本、韓国、台湾の3国です。
韓国については、現在のように家族の中での身分を表す公証制度となったのは日本によって統治されていた時期です 義母との結婚は可能ですか!?
実母は幼少の頃他界、
父が再婚してすぐ事故で他界してしまいました。
義母は26歳で自分は18歳です。 一度戸籍上で親子関係(ステップファミリー、養子縁組など)になった場合その関係が解消されても婚姻は禁止されています。
関係がゴチャつくでしょ。 403が質問で404がその回答です 質問者はまさに駿也です
関係がゴチャつくでしょ なんという雑な日本語 真面目な日本人とは思えない 切って捨てるような問答無用的な言い方は法律家かな 霞ヶ関の公務員さんかな
自信満々一点の揺ぎもない 二進法的バカとしか思えない(笑) というわけで駿也が望んでも晶ちゃんとの結婚は法律的にはダメ
まあ籍は入れない夫婦というのもあるからね
年が離れているからかえってそのほうがいいかも 子供が生まれたら
ふたりの子供としては認められないけど
晶ちゃんが生んだ私生児を駿也が認知できるんじゃあないの 新しい家族の出発って謳っているけど明るくないなあ どうしたらいいのやら とにかく霞ヶ関の公務員さんは全てを単純にしたがってるみたい 二進法は白か黒灰色はない だから曖昧な灰色は気に食わない 食べたら腹壊す 町名なんか典型的
昔からの由緒ある町名が書類の上で処理しにくいからって簡単に潰されなんとか一丁目とか二丁目になる コンピューターの思うツボ
根本は役人がどうこうではなくコンピューターがやりやすいようにということ もはやこの世はコンピューターに従属してしまったのか
人らしく生きるにはあの世しかないのかも 認知の話だけど駿也が認知できなくても節夫さんならどうだろうできるんじゃあないの 死んだ兄の弟と再婚する話は時々聞くような気がするから義父との結婚は?
義理の子供との結婚がダメだから義理の父との結婚もやっちぱりダメかな 神木隆之介、有村架純へのバックハグに苦労!羽生結弦選手との共通点も明らかに
1/8(火) 21:16配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190108-00175228-mvwalk-movi
>さらに三木監督は、神木について「運動神経の高さがすばらしい。大きな動きから、ちょっとしたまばたきや目の動きなど、
>微細な動きまでちゃんとコントロールできる。それも運動神経だと思う。アスリートのよう」と絶賛。
>「集中力の高さや、いざ本番となった時のギアの入れ方など、羽生(結弦)くんとすごくかぶる。
>羽生くんも本番と演技が終わったあとで、まったく違う表情をする」と続けると、
>神木は「羽生くん、大好きなのでうれしい」と目尻を下げていた。
(Movie Walker・取材・文/成田 おり枝) かぞくいろ見に行ったらフォルトナの瞳の予告やってた 晶が母親なのは確定している 子供が私生児なのも確定している
駿也と節夫は認知もできないとして では駿也が晶の子供を養子にすることはできないのか 養子にできたとしたら駿也の子供になる?
そうなったら晶の子供ではなくなるのか? 晶は産みの母だからこのイチは何があっても動かなんじゃあないのかなあ とにかく法律は難しい
解釈次第でどうとでも取れるしゴチャつくとか乱暴にも片付ける 晶が東京から帰ってきたとき
晶ちゃんは晶ちゃんのままでいいいつまでも僕のそばにいてと駿也は言った
なんという言い草 もう4年生なんだろ自分が何を言ってるのかわかって言ってるんだろ
なんて自分勝手な自分のことしか考えていない 晶のことなんかこれっぽちも思っていない 奥さんの葬儀の時
修平さん棺桶に眠る奥さん名前呼んでたみたい聞き取れなかったけど 奥さん役の人
女優さんだと思うけど死に顔だけではもったいないほど綺麗な人 ふたりの生活の様子少しだけでも見せたほうが良かったような気がする
回想場面増えるけど修平さんの号泣に説得力が 以前から映画とドラマの違いがわからなかった
Aスタでこんな会話があった
大林宣彦監督が常盤貴子に言った映画とドラマの違い 映画は観客を置いていくくらい早く喋らなくてはならない
置いてかれた観客は家に帰ってからなんだったろうと組み立てる
そして何年か後にあああの場面はそうゆうことだったのかと思い当たる 映画ってそうゆうもんだって 何のこっちゃ分かんねえ そして今では映画とドラマが同じように分かりやすくなってしまってとも言っている これはコーヒーが冷めるまでにのスレで書いたものを書き写したものだけどやっぱりなんのことだかわからない まあ私の場合映画を見に行くというより有村架純を見に行くという根本的に邪道なんで映画がどうのこうの言う資格もない 有村を見に行くとはいっても映画そのものが面白いほうがいいに決まっているし興収も多い方が嬉しい ビリギャルはその条件に当てはまるけど映画館では見ていない ファンは大ヒットしすると分かったら映画館に行く必要ないんだ ビリギャルは初動から好調だった
事前の予想では大コケするだろうというアホが大半だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています