ワイルド・スタイル-Wild Style-
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
原題 Wild Style
製作年 1982年
製作国 アメリカ
配給 シンカ
日本初公開 1983年10月8日
上映時間 82分 キャスト
リー・ジョージ・キュノネス
ファブ・5・フレディ
サンドラ・ピンク・ファーバラ
パティ・アスター
グランドマスター・フラッシュ
ビジー・ビー
ラメルジー 監督
チャーリー・エーハーン
製作
チャーリー・エーハーン
脚本
チャーリー・エーハーン
撮影
クライブ・デビッドソン
ジョン・フォスター
音楽
クリス・スタイン 1982年のニューヨーク、サウス・ブロンクスを舞台に、ひとりのグラフィティアーティストの生きざまを描いたドキュメンタリードラマ。DJ、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティアートからなるヒップホップカルチャーを世界に広めるきっかけにもなったと言われる作品。社会に不満を抱く青年レイモンドは、そのはけ口をグラフィティアートに求めていた。夜な夜な地下鉄の操車場に忍び込んでは地下鉄車両にスプレーでグラフィティを描き、「ゼロ」とサインする。ゼロの作品はやがて評判を呼び、彼のタッチを真似た絵も出回っているが、不法行為であるためレイモンドは自分がゼロであることを恋人にも明かすことができない。そんなある日、レイモンドはアーティストとして華やかな表舞台に立てるチャンスを得るが、アンダーグラウンドの世界で自由に描くこととの狭間で揺れ、思い悩む。実際のグラフィティライターやダンサー、DJ、ラッパーなども多数登場し、ヒップホップムーブメントが生まれる瞬間を鮮明に描き出した。 劇場情報
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=wildstyle
東京
劇場名
新宿シネマカリテ
9月2日(金)公開
ヒューマントラストシネマ渋谷
9月2日(金)公開 STORY
1982年、ニューヨーク、サウス・ブロンクス。レイモンドは謎のライター “ZORO”として、深夜の車両基地へ忍び込み、地下鉄にグラフィティを描いていた。 “ZORO”のグラフィティは評判を呼んだが、違法行為のため正体を明かせずにいた。そんな時、レイモンドは新聞記者ヴァージニアと出会い、仕事としてグラフィティを描かないか、と誘われるが…。 1982年『ワイルド・スタイル』はこうして生まれた
ニューヨークに移り住んだばかりのチャーリー・エーハンは、スミスプロジェクトという公営住宅地の壁に描かれたグラフィティを目にする。漫画のキャラクターやLEEの大きなロゴが描かれたパワフルな作品。それこそが、後に『ワイルド・スタイル』で主人公を演じることになるリー・キノネスによるグラフィティだった。
リーの作品に感銘を受けたチャーリーは彼と知り合いになり、自分の作品に出てもらいたいと秘かに願っていた。そんな時、タイムズスクエアの展覧会で、一人の男に話しかけられる。彼の名前はフレッド・ブラスワイト a.k.a. Fab 5 Freddy。チャーリーが映画を撮っていると聞いた彼は「ラップ音楽とグラフィティを融合させた映画を作らないか?」とチャーリーに提案する。
当時のシーンで顔が広いFab 5 Freddyが仲介役となり、リーと知り合ったチャーリーは、リーを主役に映画を作るべく動き始める。当時はまだインディペンデント映画が世に出ることはほとんどなかった時代。まだジム・ジャームッシュやスパイク・リーもまだ有名になっていなかった。資金集めに苦労しつつも、チャーリーは脚本を書き、キャスティングを進めていった。
グラフィティをボムることは当時すでに違法行為として取締られ、リーも警察にマークされていた。だから、映画を作るにあたって、出演者はほぼ自分自身がモデルになっていても、名前を変え、あくまで“架空のキャラクター”して出演することになった。
リーは、リー自身よりもより典型的なグラフィティライターとして描かれた。闇に紛れて正体を隠すための黒い帽子もリーは普段被っていなかったが、ライターの象徴として劇中では被っている。
映画の準備をしている頃、「リーがPINKというタグを描く、ワイルドでかわいい女の子とつきあっているらしい」という噂を耳にしたチャーリーは実際に恋愛中だったふたりのロマンスをストーリーに取り入れることにした。そんな風に現実に起きていることはどんどん脚本に取り入れられていった。
チャーリーは、伝説のライターPHASE2にも出演してもらいたかったが、実現しなかった。PHASE2の伝説のライターという設定は、Fab5 Freddy自身のシーンの仕掛け人という設定とミックスされ、フェード(PHADE)というキャラクターができあがった。 ロックステディクルーは、レディピンクがぜひ映画に登場させたいとパーティに呼び、チャーリーに引き合わせた。彼らはその場で手拍子に合わせてダンスを披露し、すっかり魅了されたチャーリーは彼らにも出演してもらおうと決めた。
こうして、まだ「HIPHOP」という言葉も存在していなかった当時、Fab 5 Freddyがハブになり人と人とがつながって、地下鉄やアンダーグラウンドで活動していたグラフィティのカルチャーと、パーティで活動していたDJやMC、ダンサーのカルチャーが融合した映画『ワイルド・スタイル』は出来上がったのだ。
1983年、カズ、フラン葛井夫妻は日本での『ワイルド・スタイル』劇場公開に合わせて、総勢36名のスタッフと出演者を日本に招聘した。東京では、西武百貨店でイベントをやったり、「笑っていいとも」にも出演するなどプロモーション活動をこなし、ツバキハウス(当時新宿にあったクラブ)でライブを行った。これが、日本人が初めてHIPHOPに触れた歴史的事件となり、この時のパフォーマンスを見たのちのDJ KRUSHがDJを志すきっかけとなったのは有名なエピソードとして知られている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています