映画館で今作を観たときレイトショーというのもあって奇跡的に自分一人だけだった。今思えば今作を鑑賞するには最高の環境だったと思う。

6年前に起きたとされる校内銃乱射事件の加害者の親と犠牲者の一人である親の計4人の対峙。劇伴、突飛な編集やカメラワークの一切を省きただただ真摯に4人の表情を画面に映す。当事者である青年二人はもうこの世にいない。残されたのは世間に酷く晒され、加害者と被害者の差こそあれど子を失った親のみ。しかし加害者と被害者の差が深く突き刺さる。二人の青年はどのような人物だったのかという思い出話から次第に事件を起こしてしまった青年のどこが問題だったのかに焦点が当てられていく。
家庭環境、趣味嗜好、学校内での様子や先天的な性格から起因するもの。どこかに責任を転嫁させたくてもどうすることも出来ないし、どこで間違えてどう対処すればよかったのか正解はいつまでたっても分からない。答えのない答えを必死に探そうともがく4人がダメだと分かっていながらも感情的になってしまう様子は恐ろしいくらい気迫があり、実際のドキュメンタリーなんじゃないかと思ってしまうほど。
加害者本人と被害者本人が対峙するのであれば"赦す"という行為が必要になってくるのは分かるが、今作の対峙では当事者はもういない。「犯罪者の息子を育ててしまってごめんない。」や「あなた達の育て方が悪かったんだ」というような言葉はもはや意味を成さない。かといってどうすればよかったと対処法や過去の話をしたって自分達が前に進むことは出来ない。
そういったものを分かっていながらも溢れ出てくる感情を抑えるために可能性や仮定の話をしていく4人の姿はまさしく息が詰まってしまう。彼らでさえこの物語がどう終わるのかが分かってない。もはや終わってしまっていいのかも分からない。そうしてもがいた末に物語は亡くなった二人の息子達の人生を肯定し、4人が祈ることに収束する。若くして死んでしまった被害者の息子の人生に意味はあったのか。絶対に許されない罪を犯してしまった加害者の息子の人生に意味はあったのか。
悲劇的な最期を迎えてしまった2人だが、彼らを愛した両親がいて一瞬だったとしても幸せだと感じる思い出があったのだから2人が生きた意味はあったのだ。初めて4人が対峙したときに流れた気まずい沈黙が、弔いをするための沈黙へと変化したラスト。圧巻だった。