jazzフルートを語れ!
プレイヤー、楽器、楽曲、運指、音源なんでも。
あと、関係ないんだけど、バディリッチを讃えてる感じでアカペラで構成されてるChannel One Suiteが入ってるアルバムを探しているが、アルバム名が分からん。
「リメンバーリメンバーば〜でぃ…」で始まるやつ。
誰か教えれ!! YouTubeでアドリブサンプル譜面売ってる若い女の子いるけど
そつなくて糞つまらん演奏だね フレーズはちゃんとビバップなんだけど
ローランド・カークとかきいとらんのかな。 クラシック奏者がジャズを勉強してますっていうのは全部だめだな。勉強しますじゃなくて、もうすでにその人の中にあるものなんだよな。
何十年音楽やっても結局わかってない。基礎練やって勉強してその先にある。そんなもんじゃないんだよね。音大教授もその程度の人ばかり。 音楽を教えるってのは、そのことによって人間がどうあるべきか、社会にどう関わっていくか。つまり普遍的なものを問うべきものだ。
それが教育であって、アパーチュアがどうのコード譜だけしかないのがジャズだとか表層的なことで終わっている。
そしてそれが先生と呼ばれる人たちだ。これじゃ何やってもだめだろうね。 ピロピロ系の亜種。おばさんジャズはつまんね
フルートならクラシック頼むわ >>71
小遣い稼ぎするのは若い子の自由かと
ライブではカークかもしれんよ フルートは音色が命
サックス上がりのピーヒャララは耳が疲れる
クラシックでいいよ クラシック奏者がジャズで小遣い稼ぎした、とか。ほんとなめてんのかよ。だからだめなんだよ。
観客との真剣勝負なんだよ。なんで上下をつけるんだよ。コンサートホールが上なのか。ライブが下なのか。
ストリートピアノ見ろよ。誰も手なんか抜いてないだろ。俺はアッチを抜くけど。
何が若い子の自由だよ。そんなおためごかしやってるから半端な演奏家しか育たないんだ。 75 多くのギャラ、多くの拍手、称賛。それが成功だと思ってるのならお前は資本主義社会に飲み込まれた納税マシーンだ。
そうじゃないだろ。路上だろうがスナックだろうが小遣い稼ぎなんて思ったら負けだぞ。お前の人生の時間に小遣い稼ぎがあったのかよ。
今、できることをやる。それはいつでもだし、それが人生だ。それが音を出すという作業、その瞬間に生命があるんだよ。
抜け殻みたいなことをやるな、人生がそうだろ。勉強したものをお見せするんじゃないんだよ。お前を見せるってことだよ。
だからってアレを出したらアウトだからな。 >>74
>>76
何だ貴様は!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
J臭いだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! クラシックのフルート奏者でジャズフレーズを吹いているので私は一応ジャズをマスターしました。みたいなことを言うのがいるけど、全くだめだよ。
フレーズを吹くことじゃなく、そこからなぜそのフレーズなのかそこからどういう時代だったのかなどを考えることが自分を深めていくことなんだ。
それを全く気にしないクラシック奏者の言うことを真に受けるなと言いたい。過去に中川氏とかもそれに近かったけど、それをお手本としてはだめだ。
あくまで自分からの目線を持つことだ。譜面無しにセッション始まっちゃうんですね、ジャズって。そんなことを言うやつなんか相手にするな。 音大の教師やクラシック奏者ってそれだけをやってきたってのが多いからね。
だからクラシックだけやってればいいと思うよ。ジャズもできます、なんてのは形式だけしか見てないしね。
大事なのはそこじゃないことがわかってない。つうかその階層どうし集まってるだけのことなんだよな。 クラシックをやっていようと、やっていまいと
だめなジャズフルートはだめ
なんでクラシックがどうのこうのと絡んでくるのか
バロックをやっていても、だめなジャズフルートはだめ
デキシーランドでマーチをやっていても、だめなジャズフルートはだめ
フリージャズ一筋30年でも、だめなジャズフルートはだめ クラシックの人ってジャズもできる。って言うよね。逆にジャズの人でクラシックできます、って言う人は少ないし、失敗してるね。 音楽は人間が出るということを理解していないのがクラシック奏者。練習を積めば出来上がると
思っているところが間違い。小宅さんなどは若いときはちょっと、と思ったが今はレジェンド。
それは人生がジャズだから。 ジャズもクラシックも目指すところは同じ、なんて解説していたクラシック奏者がいた。
断じてそれはない。死んでもない。ありえない。腹切ってもいい。 クラシック奏者はこんなにもだめだったのか。コードトーンを吹いて練習していきます。って真面目に言う奏者。
音大出て欧州留学してもこんな感じなのか。留学ビジネス、コンクールビジネスに乗っかってるだけじゃないのか。
そういったことを考えたことあるのか。自分では音楽エリートのつもりだろうが、その辺の雑草、一把ひとからげだと思う。 クラシックの先生でもジャズがやりたくてフレーズを聞いて覚えてます、って普通に言ってたね
それじゃだめだってことすらわからないのが残念だね。なぜその音を出したいのかなんだよ。
クラシックの基礎があればすぐうまくなるよ。でもそれじゃ全くだめ。誰もバツはつけないでしょう。
誰も注意する人もいないし。最近異常にそういうのばっかだよ。 俺の好きなフルート奏者
ケリーブルーのボビージャスパー
オパス・デ・ブルースのフランクウェス >>62
何だ貴様は!!、何だよ”B級グルメ”ってJ臭いだろ!! クラシックフルート講師が、「ジャズを勉強中です。目指しているものは一緒ですから。」と。
考え違いもはなはだしい。目指しているものは全然違う。また楽器が高価なことを下品な話で
申し訳ない、と語る。なぜ下品なんだろうか。それが生活者としての人間なのではないか。
そしてそれが音楽であり、ジャズだ。高尚、権威から逃れ、自己の声を生き生きと語ることが
ジャズだ。初めから楽器、環境が与えられたクラシックとは全く違うし、そここそが原点だ。
テクニックコーチとして活動するのはわかるが、先生と呼ばれるものではない。若い生徒に示す
のはテクニックじゃなく、生き様、人間を示してほしい。 よう、老害ASD(笑)
お前はこのスレの135から熊谷にボロカスに貶されて、意味不明の発言を連発して
ぐうの音も出ない状態にされてるじゃん(笑)
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mjsaloon/1562850476/
どのスレに行っても熊谷に完敗している哀れな老害ASDであった(大爆笑) いわゆるジャズではないけど、ハービー・マンのWhat’s going onが好き。あと、歌伴でやっているMann and Womanも好き。
それ以外では、プレイヤー不明だが浅川マキの夜が明けたらのアルバムの数曲でオブリガードしているフルート好き。 ヒューバート・ロウズって書き譜かと思うほどきっちりしたソロだがそれでもやっぱりアドリブらしい。
というのは、スティーブ・ガッドとのデュオで演奏しているAireginは思いっきり曲構成を間違えている。
書き譜ならありえない。 ヒューバート・ロウズって書き譜かと思うほどきっちりしたソロだがそれでもやっぱりアドリブらしい。
というのは、スティーブ・ガッドとのデュオで演奏しているAireginは思いっきり曲構成を間違えている。
書き譜ならありえない。 フルートでのバップという意味ではジェイムズ・ムーディーが一番好き。
でもフルート本職じゃないからか高音域はあまり使わない。
でも高音域を多用するソロは好きでないので問題ない。
Flute SammitのAutumn Leavesが有名だがこれはCD化しているのだろうか。 ハービー・マンもビバップ時代はあった。そもそもテナーサックス奏者だし。
でもフルート持ってからのビバップから新しい展開の方も良い。
そもそも音色が好き。特に低音フルートの。 自分はフルートメインでサックスも触るけど、サックスメインの人から見たらどんな感じに映るんだろう。
サックスメインでフルートやっている人を見た感想は、真剣な人と、なんちゃってな人に完全に分かれている。 音出しを考えながらやると言う講師がいるけど、そんなこと考えるわけねえだろ。音出し前の音
出しは考えないからその日の体調がわかる。考えてたら遅いんだよ。音に意味もたせるのは普段
の音楽に対する向き合い方、生活、思考そうしたものが出てしまうということなんだよ。
演奏中の頭の中なんて解説してるのもおかしい。反応、反射しかない。その日によって全く状況
は違う。音に集中するだけだ。そうして出てしまった音、反応したことが実力といえるものだ。
反応できる状態にするのが練習だ。練習も苦行みたいに語る今の音楽界はだめだね。 ジャックスのフルート好き。ドラム、バイブラフォン、サックス、フルート持ち替えの木田高介氏。 考えて音出しするほうが考えないより上というふうにとらわれている。
考えないで出た音に耳をすます、ということが大事だ。気持ちが自由であることだ。
また、バンドで他のメンバーの音に反応する方法まで教える教師もいるがそれはよくない。
音を客観的にも観るし、素直に楽しむことの方が考えることやスキル練習よりも上位にある。
会社員が仕事をするわけではない。その瞬間の感性ということだ。 サム・モストとハービー・マンのフルートデュオのアルバムを持っていた。
フルートでジャズを始める人にとっては参考になると思う。I'll Remember Aprilとか。 何でも枠にはめようとするのはジャズではない。それはクラシックだろう。真逆なんだよ。
曲、その時の感性すらも自分を縛る枠でしかない。そこを超えて自由に開くことだ。そうすると
個ではなく全体という自分がいる。全体は自分ではないのかというとそこは厳然と他があるわけ
だ。つまりその地平は他と個を高め合うものでない、規制するものではない。全体イコール個の
なかで互いを見つめる、覚めしかありえない。そうしたことが生活、生きることと同義になれば
理想だが、曲のなかだけでも開かれていこうとする作業、歩み。それが演奏、ジャズということ
なんだよ。大学の講師であれば最低ここが出発点として教えてほしい。そのためにはどうするか
をともに考えることがいわゆる教えということだ。スキルを教えることで安全を確保し、そこに
必死になる先生はいわゆるジャズスクールでやってほしい。これはどの学部も同じだ。 自分はフルートメインでジャズ演奏しているけど、楽器はサンキョーセミハンドの古いもの。
当時NRS1という名前の頭部菅(今は名前が違う)がジャズ向きということで購入し、今でも使っている。
低音の出しやすさと音色が好き。高音は若干出しにくい構造。 クラシックは最大公約数を志向するものだからね。しかも西洋の。ところがジャズはそれに異議
を突きつけるもの。しかもアフリカをルーツとした西洋の音階などを利用して、近代化に伴って
生まれた音楽。目指すものは違う。そのどちらに比重、軸足があるのか。自分の内面に問いただす
すことだ。それがあってフレーズだとかの話になる。ジャズの勉強してます、って言ってすぐコー
ド、スケールの事しか言わないのはだめだね。生徒も成長しないよ。クラに専念した方がいい。 クラシックは貴族階級が富裕さを誇示するための手段の一つとして生まれたもの。教会の荘厳さ
をかもすためのもの。ところがジャズはアフリカ黒人が土着の精霊、動物霊などとの交歓をする
ための音楽を発展させたもの。奴隷同士の意思疎通、明日も生きられることへの祈り。それを音
楽にしたもの。西洋の十二音律によらないし、外部に誇示するものでなく内面的支えとしたもの
だった。
しかしジャズ音楽の発展途上でパーカー、コルトレーンといった個性がありどちらも真逆のもの
へと向かった。どちらが正解ではない。だからパーカーがジャズの基礎というのも間違いだ。
そうしたことを学ぼうともせず、テキストのフレーズを覚えて、「私、ジャズを勉強してます。」
と平気で言う先生。そうした大人の劣化。表面的なものだけ重視。結果だけ求める安易性。
それは大変に危険だということができる。 クラシックフルートの上級者が、しっかりとジャズピアノの先生についたうえで共演しているライブを見た。
もちろんよい演奏なんだけど、なぜか物足りないのは理路整然としているからなのだろうか。
下手よりうまいに越したことはないのだが、下手でもよいと思う何かがある。 アルト、バスフルート、ピッコロも所有して演奏しているが、特にアルト、バスは楽器の仕様や完成度が各メーカー違って、
また価格的に簡単に買いなおせないので困る。
さらに、作り手側が用途を限定してしまっているためか、Eメカがなかったり、Aisレバーがなかったりで演奏に困る場合がある。 EメカとかAisレバーとか、なくても全然困らんやろ まず低音フルートはEメカがないとHi-Eの音色がハーモニクスみたいな音色になるのでよくないと思う。
そういう低音フルートはアンサンブルで低音パートを受け持つというコンセプトで作られている可能性がある。
ジャズ向きではないと思う。
Aisレバーについてはジャズはクラシック以上にBbとBが頻繁に現れるフレーズを演奏する機会が多いので、
Aisレバーがないと演奏したいフレーズがやりにくくなるケースがある。
ブリジアルディキーをスライドさせて演奏するのは不可能(と思っている)。
あと、サックスも練習し始めるとサックスのBbの正規運指に近いのでより使いたくなってくる。 あくまで個人的な見解。いろいろな考え方があると思う。 さまざまな想いがあるだろうけど、それはさておいてそんなこと俺に言うな >>113 だけど、とは言え全く逆の考えもある。
トーンホールや、管の接続が少なければ少ないほど音色に良い効果があるので、
レバーに限らず、トリルキー、足部管なども削除(つまりピッコロのような形)したシンプルな構造のフルートもあり。
低学年教育用の楽器にそんなのがあるけど、トリルとかはジャズではそんなに重要でないし、
高音域もそこまで重要でない。また、トリルキー無くても別の運指でもカバーできる。 アルトフルートはヤマハ製所有だけど、直管とU字管兼用というところが致命的な問題。
ほぼ100%直管が使用されるにもかかわらず、キーの位置が両方の中間をとっているためか、
特にトリルキーが指に触るなどの演奏に支障の出るキー配置となってしまっている。
他メーカーのアルトフルートは、直管とU字管はキー配置は明らかに変えている。
一つの独立したソロ楽器であるという認識に欠けていると思う。 クラシックもジャズもどっちから山を登るかの違いで目指すところは同じ。ではない。
楽しく、美しく演奏し、聴衆もそれを楽しむこと。それが音楽だというなら人生も同じでいいの
か、という問いかけだ。楽しいとは何か、良い人生とは何か。自分がそうであるならいいのか、
それは他の犠牲のうえに成り立っているものではないのか。不公平ではないのか、不公平とは何
か。それを何故自分は納得できないのか、納得できているのか。体制、自らを疑い、問いかけ、
破壊し再生すること。それはジャズが底辺から沸き起こってきた歴史があるし、それがジャズの
もつ根本のエネルギーだからだ。楽しいを表現するのではなく、俺が楽しいとはこういうことだ
、という現体制へのアンチテーゼだ。根本、自己を探求することだ。それを表現するにはテクニ
ックが必要か必要でないのか。自分が選択しなければならない。つまりまず自己の探求があって
からのテクニックということだ。これを音楽教師が逆転して教えるとはどういうことなのか。
テクニック、慣習、常識を教えるのが大学の教師でいいのか。その壁を超えることの重要性、さ
らにそのことが未来を作り、今を生き生きと生きることを教えるのが教師なはずだ。
まるっきり体制を信じ、AI社会を謳歌しているかのごとくの欺瞞性。それはジャズとはもっと
も遠い位置にある。 重鎮ギタリストよりマル・ウォルドロンのレフトアローンで
フルートバージョンがあるという話を聞いて
調べたらエリック・ドルフィーのバージョンだった。
有名なジャッキー・マクリーンのバージョンよりよいとの話だったが確かに良い。 ジャズもクラシックも行くつくところは同じではない。
ジャズは抽象と具象のはざまを往きしつつ、美の具象を求めながらもそれを破壊する自分もいる
ことを自覚することだ。それを同時進行もできるしその決定権も演奏者本人にある。
そしてをの行為、演奏を観客に提示することで肯定も否定もされうることを受け入れ、その問い
返しのなかの自分を見つめること。
観客は拍手し料金を払う、というものでもないし演奏者がそれを期待するのはジャズではない。
いわゆるオーソドックスな演奏をし、大人しく聞いてくれた観客が行儀よく拍手するべきとする
甘ったれたプロもいる。こうした点もクラシックとは違うものだ。音楽教師はテクニカルコーチ
以外の重要性も勉強してくれ。もう無理かもしれないが。