ハンス・クナッパーツブッシュ【没後50年】 [転載禁止]©2ch.net
んなこたぁない。
一応、イギリス、フランス、イタリア、それにドイツ占領下のポーランド辺りまでは行っている。 日本に来るよりブル全を録音してくれたほうが有り難かった 無い物ねだりだが、バイエルンとシベ2をやって欲しかった >>660
1938年から1945年まではドイツの一部だったが、勿論それ以外の時代にも頻繁にオーストリアに行っている。
でも元々はバイエルン出身でもなく、デュッセルドルフより北の人だから、本当はウィーンは外国感覚だったかもしれない。 「クナッパーツブッシュの思い出」を呼んだ。
彼の深く愛するものがよく分かった。それは
・ヴァーグナー
・酒
・ケツなめ 「くるみ割り人形」を録音しているなんて
お遊びにも限度がある
よくDECCAが録音させたよ くるみ割り人形ってブルックナーの交響曲に聞こえる時がたまにあるよ。 三十代半ばになって初めてクラシックというものの良さがわかりはじめてきた。特にある二人の指揮者の演奏にドはまりしていて、その二人
の内の一人がクナッパーツブッシュだ。この人は凄い。今クナッパーツブッシュのCDを買い集めはじめた所だ。 バイエルンとのこうもり序曲も凄いよ。
大見栄切るような歌い回しというか溜めというか… >>669
区那と悪太ーのファンならば、
君はもうすでに、宇野広報に侵されている。 ウインナワルツも素晴らしい
ウイーンの森の物語はクラウスやワルターよりも美しい
by コーホー コーホーのおかげでクナを聞くようになった
しかし、クナの音源が少なすぎる LP時代にキングレコードから発売された「ワーグナーアルバム」は今でも聞いてる
オケがウイーン・フィルでステレオ録音だもの ミュンヘンフィルのブル8は物足りん
オケの限界を感じる 「俺の尻を舐めろ」はモーツァルト作曲の歌曲だろ。詳しくは知らんが… 口は悪いが、ののしった相手が負けずに言い返すと不意を突かれて黙ってしまったらしい リリー・クラウスが来日したとき、クナと共演したときの感想を聞かれたとき
声を震わしてクナに侮辱された苦い思い出を語ってた
よほど悔しかったんだろう >>666
くるみわりをバカにしてはいけないよ!
パルシファルと双璧だ。
だからクナはくるみを録音したんだ。
くるみは子供が踊る舞踊曲だけではない。 クナッパーツブッシュの指揮する曲のテンポはどれも遅い。最初聞いた時は、「なんて遅いんだ。」と驚いた。しかし何回も聞いていると、
この遅いテンポが、ジワジワとゆっくりに、しかし確実に好きになり、最終的に虜になる。そう、麻薬みたいに。
後で知ったが、このゆっくりしたテンポはクナッパーツブッシュ自身が熟考した結果、そうなったそうだ。
じっくりしっかり息をしてクラシックを聞きたいという人は、クナッパーツブッシュのこのゆっくりとしたテンポの曲の解釈が合っていると
思う。 >>685
功芳が「偉大な音楽家だが、芸術家とは呼びたくない」と言っていたってやつ?
クナとシューリヒトを聴くようになったのは功芳のおかげだから、今でも感謝はしてるね
晩年はちょっと付いていけないところもあったけど
ワルターとフルトヴェングラーは功芳を知る前から大好きだった
というか、自分の好きな二人を功芳が絶賛していたので、功芳の評論を重視するようになった コーホーの批評を信じてるぶんには問題なし
コーホーはまともな人にしか受け入れられなかった偉大な評論家だった しくじった演奏には、相手が女性演奏者でも男が仰天するような罵言を浴びせたらしいからね。 とても活字にできないような卑猥な言葉を浴びせたクナ 罵倒の言葉というのは、自分が言われたら傷つく言葉を選んでいるという話がある
実際、クナはある若者に「ケツをなめろ」と言われ絶句したそうだ たとえば下品な言葉で罵しられるリスクがあっても、50〜60年代のバイロイトにはクナの棒でワーグナーを歌いたい歌手や各地のオケメンバーがこぞって参集したんだな。彼のためならバカンス返上しても惜しくないとね…
こういう信頼関係の上に成り立っていたことを抜きには語れない。 クナは当時の音楽界の偶像崇拝にしたくなる風貌と人柄だったのかもね。
大柄で、懐も大きかったみたいだから。 仲は良くなかったみたいだけど、互いの実力は認めてたってところかな。
何といってもフルヴェンはナンバー1スターだったからクナからすれば憧れの存在だったと思う。
象牙の指揮棒をナチからもらったことを皮肉ったり、混乱に乗じてベルリンと契約しょうとして怒らせたこともあったようだが、戦中苦労した者同士として理解もしていたとか。
フルヴェンが嫌っていたのは、もう一の“K”のほう。 クナとフルベンは同じゲルマン民族
両者がドイツ人ではないカラヤンを嫌ったのはあたり前 え、チェリビダッケはルーマニア人でしょ?名前からしてイタリア系の民族でしょ。違うの? >>708
えっ、クリップスってそんな評判悪いの? クリップスは安請け合いして
ドタキャンするボンクラ 『クナッパーツブッシュ 音楽と政治』を読んだ。なかなか面白かった。練習嫌いでリハーサル無しで演奏し即興性に賭けるのがクナの芸風
だが、この本によると、それは修行時代のライプチヒで身に付けたそうだ。クナはライプチヒで1918年から1919年にかけて指揮をしたが、そ
の間歌劇場監督との確執があり、いくつかのオペラをリハーサル無しのぶっつけ本番で引き受けならねばならないことがあったみたいだ。クナの練習嫌いの芸風はライプチヒ時代のやむに
やまれぬ状況下で意図せず培われたものかもしれない、と書いてあって、大変勉強になった。 著者の適当な推量だな
普通は急な仕事がいくつか入ったからって準備を怠る人にはならない その本には当時の新聞に掲載されたクナのコメントがのっているのだか、それによると、いくつかのオペラをリハーサル無しに任せられ、な
おかつ配役や演出の問題について蚊帳の外におかれた、と本人が述べている。
ただ、確かに著者の推量が含まれているのも事実だ。以後気をつけていきたい。
それにしても、そんな状況下でも指揮を成功させライプチヒの音楽愛好家達に好意的に受け入れられたと地元の新聞に書かれる位なのだから
、若い頃からクナの実力は確かなものだったのだろうな。 フルトヴェングラーをはじめ、当時の指揮者が暗譜で指揮する中、
クナは楽譜を見て指揮をしていたことに対し、あるインタビューで、
「マエストロはどうして楽譜を見て指揮をされるのでしょうか」
「私は楽譜が読めるからだ」
というエピソード、好き。 >>718
フルトヴェングラーは暗譜至上主義には反対だった。手記を読んでみ。
ついでにクレンペラーも同じく。 >>718氏のエピソードはカラヤンに対する皮肉といわれているね。 ワルターも暗譜には批判的だったとか
ムーティ当たりの大御所がメガネをかけて、
譜面を前に、堂々と指揮しているのは
それはそれで威厳があって好き フルトヴェングラーは、曲のタイプによって決めるべきだと言ってるね
指揮者が曲と一体化するような曲では暗譜で指揮すべきだし、距離を置くような曲や比較的大雑把な隈取りでも
いいような曲は別に暗譜じゃなくてもいいと。
岩城宏之の著書経由だから間違っているかもしれないけど、ワルターは若い指揮者へのアドバイスとして、
暗譜で指揮することを勧めていたとか 交響曲のほかに長大なオペラ、宗教曲、オラトリオなどを暗譜で指揮できるはずない
カッコつけすぎだろ >>721-722
ワルターが暗譜を勧めたというエピソードは、自分も岩城がそう言ってたのを聞いたことがある
もしかしたら本にも書いてたかもしれない
要は、最初は否定的だったけど、一度暗譜で振ったらすごく上手くいったのでそうするようになった、
若い指揮者にも勧めた、というような話だったと思う マゼールならできそうだけどな、というかやっていただろう
あるフルート奏者が急病人の代わりに今まで演奏したことのないオペラをやることになったが、
マゼールは最初から最後まで、その奏者のために特別に指示を出してくれたらしい、もちろん暗譜で クナはほとんど棒を動かさず指揮していたという
楽員はちょっとした動きでクナの指示が理解できた >>726
>クナはほとんど棒を動かさず指揮していたという
いやいや それは身体が悪くなった晩年だけだよ
壮年期は大きなアクションで、非常にわかりやすい指揮だよ
なんで、そういうガセが広まったんだろう
【参考動画】
https://youtu.be/y718_f3ezpc
今は便利な時代なんだぜ クナは三半規管の病のせいで飛行機はおろか船旅もおぼつかず、活動は西ヨーロッパの狭い範囲に限定されて、その地域から外に出ること無
く生涯を終えたが、あれだけの名声を得た。
だからもしクナが病にならず健康で、カラヤンやセルやその他の名指揮者達みたいに、世界中の様々な所で指揮が出来ていたなら、その名声
はもっと凄いものになっていたかもしれない。
日本にも来て欲しかった。 >>727
それも岩城の本にあったな
クナの真似してほとんど動かなかったら、古参の楽員に叱られたって話
胃を切る前はクナは指揮台で大暴れしてたんだって 若い頃のチェリもそうだけど、髪型が変に整ってて脂ぎってて変態チックなんだよな。フルベンやクーベリックみたいに禿げてるほうが清潔感を感じる。 あなたのクナ名盤教えて。
私は1959年のベートーヴェンの「皇帝」
バックハウスに全く合わせようとしないところが
クナらしくて好きですね。 >>733
クナッパーツブッシュの良さが出ているのはどういうところですか
本筋がわからないので詳しく教えてください
バックハウスとのエピソードなんかないんですか? 特に晩年のクナについては、詳しい方がいると思うので差し控えますが、
あの悠々とした音楽の流れが、晩年のクナの境地のひとつだと思って
いますが、協奏曲に関わらず、クナ自身の音楽性が前面に出ていて、
ピアノがそれに付随するような演奏になっています。
ご存知のように協奏曲はソリストの音楽を中心として音楽を作っていく
のですが(いわゆる力関係もありますが)、この演奏を聴く限り、冒頭から
バックハウスに合わせることもなくズレズレ、1楽章のコーダでもピアノと
オケが1拍ずれて最終的にバックハウスがオケに合わせるなど、彼の
音楽が前面に出ているような気がしました。
ただ如何せん、ライヴですから、クナの体調などいろいろな要素があった
かもしれないので、その時の演奏が彼が思っている音楽とは断定はでき
ませんが、特徴的な演奏であることは間違いないです。 >悠々とした音楽の流れ
コセコセこそしてないが特にゆったりまったりでもない
>クナ自身の音楽性が前面に出ていて、ピアノがそれに付随するような演奏
バックハウスの他の演奏でも聴かれる特長は良く出ている
.ピアニストが指揮者に合わせなければならなかった
.指揮者がピアニストの音楽性を蹂躙している損なっている
ようなことは全くない
>オケが1拍ずれて最終的にバックハウスがオケに合わせる
1拍の意味を楽譜と睨めっこしてお考えあれ
あの程度のズレはあり得ること
ピアニストがオケが出なくて待ったふうでは無い
↑
>演奏会のアンケートに評論家ぶって書く割には本筋が何もなかったり、甚だしく勘違いしていたりしてるものが多い
鏡見てください バックハウスの持ち味は十分前面に出ておりクナが指揮という意義は薄い演奏
クナにしては無難もいいとこ ラファが評論家気取りで他人の受け売りして自分では鑑賞する能力が無いのか聞かずに書いてるのかを暴露してくれてんのに
余計なチャチャを入れるな いずれにせよIDを消して書き込んでるレスは無視してよい
一人二役をするために消して書き込んでるヤツがたまにいる それがラファとか糖質スコアとかなんでしょ
ラファさんて自分が撒き餌になる人なんだね 件の皇帝の個人的な感想。
爺さん2人が取っ組み合いをしながら崖の下へ転げ落ちて行った…って感じ。 クナは運の良い指揮者だね。
十八番のパルジファルを当時の最高のクオリティのステレオ録音で残せたんだから。 クナ生涯最後のコンサートをミュンヘンで聴いた日本人がいる
うらやましい クナの生涯最後の公演は1964年8月のバイロイトのパルジファルだけど、本人は翌年も振るつもりだったとか。 クナ最後の録音が一連のミュンヘン・フィルとのワーグナー、ブルックナー クナ晩年のブル8をウィーンで聴いた日本人は知ってる 1947年のトリスタン聴いた。
フラグスタートの「愛の死」、これはすごい。
貧弱な録音から突き抜けてくる。
不覚にも涙出た。 DECCAにブルックナー全集を残してほしかった
もちろん、ステレオで エーリッヒ・クライバーはクナについて、「カフスボタンをちらっと覗かせるだけでピアニシモをフォルテシモにできる唯一の指揮者」と語っていたらしい。 クナはいつもぶっつけ本番で録音を行った
プレイバックも嫌がってスタッフを困らせた
もっと素直に協力していればたくさんの録音を残せたのに クナならリハーサルのテープでも売れるでしょ
残ってないかな >>752
>クナはいつもぶっつけ本番で録音を行った
>>753
クナならリハーサルのテープでも売れるでしょ
おい、リハはあったのかよ、なかったのかよw リハは必要最小限はやっていたと思いますが、気心の知れたオケとメジャーな曲目の場合にはリハをしなかった場合もあった、ということでしょう。
ウィーンフィルとのブル8でもリハの録音が残っていますよ。
ただ、魔笛のゲネプロで序曲を演奏しなかったという逸話がありますが。 >>728
活動範囲が広いか狭いかとか、海外に行ったとか行ってないかとか、そんなこと名声には関係無いんじゃないか。要は何を成したかだ。
ほかの分野での話だか、西田幾多郎は一度も外国に行くことはなかった。カントも生涯において生まれた町から一歩も外に出ることはなかっ
た。レーウェンフックも同じような生涯で、ラテン語や英語はおろか母国語のオランダ語も粗野だった。なのにこの三人は各々の分野で偉大
な業績を成し、その名声は海外まで轟いた。
同じ指揮者でも色々タイプがある。世界中を飛び回って活躍したカラヤンは鳥で、ある地域で活躍して一世を風靡したクナは大樹だ。いくら鳥が大樹に憧れても大樹のような生き方は鳥には無理だし、同じように大樹が鳥に憧れても鳥のような生き方は大樹には出来ない。
十人十色。各個人が生まれた時に神様から授かった素質や性分にあった生き方で、精一杯頑張るしかないんじゃないか。