モーツァルト 交響曲第40番 Part3 [無断転載禁止]©2ch.net
モーツァルトの交響曲屈指の名曲である交響曲第40番について語ろうよ。
第40番の名盤や俺はこのCDの演奏が好きだっていうのでもいいと思う。
前スレ
モーツァルト 交響曲第40番 Part2
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/classical/1242662238/
モーツァルト 交響曲第40番
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/classical/1216253554/ 「僕はハイドンの音楽もなかなか好きだ。形式の完備整頓、表現の清らかさという点では無類である。
併し、モーツァルトを聞いた後で、ハイドンを聞くと、個性の相違というものを感ずるより、何かしら大切なものが欠けた人間を感ずる。
外的な虚飾を平気で楽しんでいる空虚な人の良さと言ったものを感ずる。この感じはおそらく正当ではあるまい。
だが、モーツァルトが僕にそういう感じを目覚ますという事は、間違いない事で、彼の音楽にはハイドンの繊細ささえ外的に聞こえる程の驚くべき繊細さが確かにある。
心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモーツァルトを離れられぬ」
ID:gMmEmNde(1)
0155 G−LZ ◆H6mBY5rVQU 2016/07/02 09:38:23
>>154
「誰でもモーツァルトの美しいメロディーを言うが、実は、メロディーは一と息で終わるほど短いのである。
或る短いメロディーが、作者の素晴らしい転調によって、魔術の様に引延ばされ、精妙な和音と混り合い、聴く者の耳を酔わせるのだ。そして、まさにそれ故に、それは肉声が歌う様に聞こえるのである。
モーツァルトの器楽主題は、ハイドンより短い。ベートーヴェンは短い主題を好んで使ったが、モーツァルトに比べれば余程長いのである。
言葉を変えれば、モーツァルトに比べて、まだまだメロディーを頼りにして書いているとも言えるのである」 >>2
「主題的器楽形式の完成者としてのハイドンにとっては、形式の必然の規約が主題の明確性を要求したのであるが、モーツァルトにあっては事情は寧ろ逆になっている。
捕らえたばかりの小鳥の、野性のままの言い様もなく不安定な美しい命を、籠の中でどういう具合に見事に生かすか、というところに、彼の全努力は集中されているように見える。
生まれた許りの不安定な主題は、不安に堪え切れず動こうとする、まるで己を明らかにしたいと希う心の動きに似ている。
だが、出来ない。それは本能的に転調する。若し、主題が明確になったら死んで了う。或る特定の観念なり感情なりと馴れ合って了うから。
これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」 あ
れ
ほ
ど
単
曲
ス
レ
は
立
て
る
な
と
言
っ
て
お
い
た
の
に
馬
鹿
で
す
か
?
マ
ジ
迷
惑 >>3
(1)ハフナー→→カザルス&マルボロ
(2)リンツ→→シューリヒト&パリオペラ座
(3)プラハ→→ワルター&コロンビア(SACD)>シューリヒト&パリオペラ座
(4)39番→→サバリッシュ&チェコ>トスカニーニ&NBC
(5)40番→→カザルス&マルボロ>ワルター&コロンビア(SACD)>パウムガルトナー&カメラータ・アカデミカ>メータ&イスラエル
(6)ジュピター→→カザルス&マルボロ>トスカニーニ&NBC
でしょう。わたしは他は要らない。
異論は認める。 ピアニストとしてのわたしですが、わたしは楽譜を見ることなどあり得ません。楽譜の「音符を一音一音目で追い掛ける」なんてことしていても、聴衆の魂にダイレクトに訴えかける音楽にならない。
指が完全に覚えてこそ「想いを指に伝えられる」んです。
小学5年生〜中学3年生の頃、バンド組んでエレキギターを弾いてたことありました(ダイヤモンドヘッドとかベートーヴェンの運命とか、中学の卒業お別れ会で体育館の壇上で演奏しました)が、楽譜なんか無かったですよ。
人から指使いだけ習い、あとはもう練習、練習、練習。
その後ですよ、自分の想いを指に伝えるのは。
ピアノはタッチ一つで想いが変化します。テンポはもう決定的に曲のイメージを支配します。
一音一音、音符を目で追い掛けながら…なんて、有り得ませんね。
もう一度申します、わたしは「中学のお別れ会で体育館の壇上」で演奏したんです。
どうせあなた達は、performance とは無縁の方々でししょ?わたしのレスを否定する、晶子さんのヴァイオリンに「どうのこうの言う」ことなど、百万年早い。
出直してらっしゃい。 >>3
「誰も、モーツァルトの音楽の形式の均整を言うが、正直に彼の音を追うものは、彼の均整が、どんなに多くの均整を破って得られたものかに容易に気付く筈だ。
彼は、自由に大胆に限度を踏み越えては、素早く新しい均衡を作り出す。到る処で唐突な変化が起こるが、彼があわてているわけではない。
方々に思い切って切られた傷口が口を開けている。独特の治療法を発明するためだ。
彼は、決してハイドンのような音楽形式の完成者ではない。寧ろ最初の最大の形式破壊者である。
彼の音楽の極めて高級な意味での形式の完璧は、彼以降のいかなる音楽家にも影響を与えなかった、与え得なかった」 この曲の2楽章は霊的だね。
幽霊が人間の形を借りて書いたような彼岸の音楽だよ。
ちょっと恐ろしくて鳥肌の立つ思いがする。
陰影の濃いカイルベルト盤を長らく愛聴してきた。
旧家の薄暗い仏間に漂う不気味な空気の中へ身を置くような印象をうける。
いまは廃盤になってるのかな? >>10
なるほど。
先日アマオケで演奏したが
2楽章終演後、拍手があった。
珍しい >>10
わたしも、モーツァルト交響曲40番の2楽章は大変美しい音楽だと思います。
仕事の帰路、口ずさんでいるのは、この曲の2楽章か、ベートーヴェン交響曲5番の2楽章かのいずれかが多いですね。 シューリヒト/シュトゥットガルト放送響いいよ。
パリオペラ座よりも自由闊達 海外版しかないからあまり知られていないけど、俺はオルフェウス室内管弦楽団がこの曲では1、2を争う名演だと思う 日本が世界に誇る評論家がカザルス指揮マールボロなんとか管弦楽団と
ワルター指揮ウィーン・フィルを筆頭に挙げていますが、最近の
録音で、しかもピリオド楽器でない演奏でお奨めはありますか。 ムーティ/ウィーン・フィルはモーツァルトイヤーの1991年録音だよ >>17が知ってる最近の録音がムーティ/ウィーン・フィルなんやろ
年食うと90年代でも最近に思えるからなw 大ホールで聴くモーツァルトやハイドンはどうもよくない
なるべく室内楽のホールで聴きたい ワルターウィーンフィルのライブ盤で楽しんでたが
今聴くとお涙頂戴の古臭さしか感じない。
駄作だ。39,41の方が遥かに素晴らしい。 >>30
あの演奏今となっては逆に新鮮にも聴こえるけどなあ。
ちなみにあの演奏は宇野功芳が指揮した時に真似た演奏だよ。 賢者はこれを駄作などとは言わないものだ
よしんばそう思っていても口の端には掛けぬものだ アーノンクール/ウィーン・フィルの来日公演良かったなあ。
アーノンクールが亡くなった時NHKで再放送してくれたのもありがたかった。 カラヤンが安くなったから
グラモフォンの後期交響曲集を買ったわ。
40番、よかったわ カラヤンBPOのモーツァルトは、コレジャナイ感があるんだよなあ
あくまでも好みの問題だけど でももともとアンノンクールしかなかったが、
カラヤン買ってこちらのほうがいいんだよな。
あくまでも好みの話だよね、失礼 この曲は、クラリネット有り版と無し版で、印象がかなり変わるから
無し版の、ベームやフルヴェン、サバリッシュやらを愛聴してるなら、
ワルターやカラヤンの有り版名演奏にも違和感を覚えるかも知れないね 生はすごいよ
震えるよ
もう生しかダメになっちゃうよ 第3楽章をワルツ並の高速度でやってる演奏は有りませんか? >>47
ブルュッヘン&18世紀オーケストラあたりはどう? >>48
おぉ、良いですね、この位で聞きたかった、ありがとうございます。ピリオド系は大体速いので、ピノックが最速かなと思って居たので、気に入りました。
まだ、もう少し速くても良いかな、3つに振ってる様だし。 比較的最近ではソレル/アポロズ・ファイアが良かったな Mozart: Symphony No.40, No.41
ペーター・シュタンゲル 、 タッシェン・フィルハーモニー
http://tower.jp/item/4201267
史上最小編成オーケストラによるこの演奏が最近おもしろいと思った 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
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LBJ2Y この曲の第4楽章の展開部は何度聞いても凄いとしか。
真剣を振り回してる、音楽的殺陣。
ベートーヴェンもビックリしたんじゃ無いかなぁとか思うんだ。 >>6
久し振りに、本当に久し振りに、この曲を聴いた。
まさに音の洪水である。
然し、何と美しい洪水であることか!
最早、彼は誰の為にも書いていない。己を明らかにする為に書いたのだ。
感動した。 >>59
今日は、「アバド&ロンドン響盤」で聴いた。
モニターGoldは、晴海のトリトンスクエアで聴いたザルツブルクモーツァルテウムの実演より遙かに立派に鳴った。
だから実演を私は好まない。
今日は私のベスト盤である「カザルス&マルボロ盤」は控えた。
この程度の充実感では演奏を受け止めきれる自信は無い。 どの演奏も第2楽章だけが極端に演奏時間が長いよね
すごくバランス悪いと思うんだけど >>61
この曲とジュピター。
2楽章は、永遠に続いてくれても私は一向に困らない。いずれも『音の洪水としか名状しよがないのだが、その洪水の何と美しいことか!』、が終楽章に予感される故に。
水は重力のままに、ただ一つの方向に流れる。モーツァルトと言う、確かに嘗てこの世に存在した男が書いた音楽も同じ軌道を描く。
意図を感じない事が、この男の音楽の本質なのだろう。
モーツァルト/ピアノ協奏曲スレッドに書いたが、私は仕事に出掛ける際、また仕事から帰宅の途につく際、この2曲の2楽章を気付けば口ずさんでいる頻度が高い。
行きはジュピターの、帰宅時は40番の2楽章を。無論、カザルス&マルボロ響盤で。 すごくおもしろい在宅ワーク儲かる方法
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QND 7月25日はこの曲が完成した日ですよ
さてあなたは今からどのディスクを聴く? >>66
私の場合、この曲とジュピターのベスト盤は
「カザルス&マルボロ響盤」だと再三書いたが
プラハのベスト盤/40番のsecondベスト盤は(SACDと言うこともあるが、「ワルター&コロンビア響盤である。
(この両曲がカップリングされているのだから嬉しい限り/紙ジャケというのも有難い)」
やはり何度聴いても飽きない。
私のクラシック入門曲はこのワルター&コロンビア響盤(LP)だった。
k.550のthirdベスト盤は「パウムガルトナー&カメラータ・アカデミカ盤」
ピリスのトルコマーチ同様、ゆったりとしたテンポで1楽章の美しさを心ゆくまで堪能出来る。
プラハのsecondベスト盤は「シューリヒト&パリオペラ座盤」
1楽章展開部の内声部の充実感、終楽章はルチオシルラ序曲/ポストホルンセレナーデ終楽章と並び、これぞ「モーツアルトプレスト」の代表だろう。 ワルターって第1楽章の展開部の途中でブランクが入るよね 私だけが知っているという感じのマイナーな演奏で良い第40番教えてください 宇野功芳の第40番は誰にも出せないような独特な味のような感じで口直しにたまに聴いてる。でもいつも聴くような演奏ではないと思う。 いっぱいCDが出ているが、結局、ケルテス/VPOを聞くことが一番多い
モーツァルトではあんまり超人的な演奏をしてほしくないんだな 数年ぶりに宇野功芳聴いてみた。
やっぱり"溜め"が長すぎる。
あいつはやり過ぎなんだよ。
でも中途半端じゃなくて、あそこまでやってくれたら逆に気持ちいい。
たまに聴くと新鮮に感じるけど、いつも聴く演奏ではないね。 ジェフリー・テイト指揮イギリス室内管がいい演奏だな。
ドイツ系とは全然違うオケの冷たく厳しい響きがこの曲によくマッチしていると思う。 マイナーなところではグシュルバウアー/バンベルクがいいと思います >>90
ハルくん、ハルくん、うるせーよ
あちこち、荒らすんじゃないよ 弦楽四重奏曲のような少人数のシュタンゲル&タッシェン・フィルハーモニーが面白い 中学生の時、初めてこの曲のレコードを買った。ベーム/VPOの演奏だった。
しかし、聞いてみると面白くない。テンポが遅いし、第一楽章第一主題の音が
小さすぎて物足りない。がっかりした。
おっさんになって同じ演奏のCDを買いなおした。聞いてみたら、テンポは
全く気にならなくなっていた。演奏も腹にどっしり響く聞きごたえのあるもの
と思った。なんでこんな感想が変わったのか自分でもわからない。 カラヤンはヴィーンフィルとのDecca盤が良い
ベルリンフィルとの盤はボテボテの肥満体だ >>94
同じ演奏でも聴く時期によって印象が変わるのはわかる >>92
亀レスだけど、いいよね。
オケの編成をとことん絞り込むっていうのはいいね。 >>95
DGのでしょ
EMIに録音した演奏はそんなに悪くない
DGのはスイスのサンモリッツっていう避暑地で録音した演奏だからオケも気が抜けてる
サンモリッツの録音は全般的に良くない