しかしながら、彼が一旦俗世に望みを絶って以後の悠々たる生活を見ると、秀吉
よりも、家康よりも、数等立ちまさった人物ではなかったかと思わせるものがある。
家臣の幼児らにとりまかれて無心に遊んでいる老雄の姿を想察する時、無限の興趣
なきを得ない。中略。如水のえらさは、陸かにまさるともおとらないと、ぼくは
思う。「今の世にいて古人のふるまいをなすとは、そなたのことじゃな」と、
家康が嘆じたのも、この意味であろう。慶長九年三月二十日、伏見の藩邸で死んだ。
行年五十九。法名竜光院如水円清。
海音寺潮五郎 武将列伝四 文春文庫。