デュトワを聴いた後で朝比奈時代の音源(大フィル)をアトランダムに聴いてみた。
やはりそうだった。稀有壮大な音楽は、的確なテクニックに裏打ちされたものだったのだ。
最近、朝比奈の評価は高いとは言えないが、
音楽の深淵を抉る様なダイナミックな演奏は当時から緻密なアンサンブルを形成していたのだ。デュトワのデリケートさとは異なる真実の叫び声が、聞こえてくるが如くである。
大フィルの伝統の灯火は消えておらず、異才デュトワの下で燦然と輝きを放ったのだ。
デュトワの偉大さは確かに凄いが、大フィルの素晴らしさは綿綿と生き続けていたのだ。