「ここちよい」=「美しい」ではないし「最もここちよい」=「最善」でも「最強 」でもない
限定された状況ないし条件(「ある特定の聴き手がここちよいと感じる音楽」とか)ならそう遠くない将来人間よりAIの方が上になりそうではあるがおよそAIは「価値判断」というものができない
「価値」という言葉に限定された定義を付与してやりゃイケるだろうが人間間の議論なら「いや美とはそういうものではない」というような声がすぐに出る
そういう議論にAIが参戦できるようになるのは相当先の話だろう

「最強」というか「強い」という言葉は「美しい」とかいうよりは限定的で定義しやすい言葉ではあろうがクラシックの文脈で「最もここちよい音を鳴らすのが最強」というのはいくらなんでもレベルが低すぎる
それでも聴き手の感覚を考慮してるだけマシな方で「ちょー難しい曲を楽譜通りに弾きこなせるのが最強に決まってんだろ他に何があるんだ?」っていうバカがいる
ここまでの大バカだと自分がバカであることが理解できない…どころかむしろ客観的には相対的にソイツよりリコウな周りのやつらがバカに見えるらしい