この瞬間にも、時代や地域を越えて世界中の人々が同じ脅威の前で
立ちすくんでいる。危機の中にあって、世界同時的に、皆が一斉に、
真剣に、同じテーマに向き合わざるを得ず、模索せざるを得ない、
ということは、あまり経験のないことだと思う。

これまでよいとされていたものに疑問が生じ、見えなかったもの、
拒否されてきたものが見直されたり、新たな解決策を模索してみたり、
結局はどうしようもなく、家にこもったりと堂々巡りが続いている。

それでも、これだけの規模や危険性のなかでは、やはりとてつもない
意味があるのだと、思わざるを得ない。継続してきた日常が中断し、
人々の様子が一変するのは、これまでの災害と共通するのだが、
さらにもっと世界的に巨大な異変が、人間を媒介にして、見た目の
破壊もなしに、静かに急所を襲ってきている。

災害に意味を見出す。

これは、災害をただの偶発的な事故とみるのではく、なんらかの意味、
人生や社会に対する問題提起だととらえ、単に問題の解消を図る、
といったことの枠を超えて、これからの社会の在り方や一人ひとりの
生き方を見つめ直す、ということになるのかもしれない。

それが、どのようなものなのか、具体的にはよくわからない。
わかっているのは、とにかく今日から明日へ確実に危機が迫っており、
わたしたちのやり方次第で、破滅も再生も丸投げされており、
どのような社会や人生になるのかを試されている
ということなのだろう。