■■■フルトヴェングラー32■■■
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
1970年代に日本でFMステレオ放送がはじまって以降
朝のバロックなど普段聴けないレコードを掛ける番組以外にも
海外ラジオ局提供のライブ録音などをエアチェックした覚えのある人もいるだろう。
レコードとして販売されないため、放送を聞き逃すと二度と聴けないためだが
本来、ラジオでのライブ録音の放送とは、ほぼ一回きりのものだった。
これと同じ情況が1950年代のドイツについても言えて
毎週アップデートされるライブ録音の他に
NHK響のように放送局お抱えのオケが独自のアルヒーフを製作していた。
グラモフォンやシャルプラッテン、プライザーなどは
地元の放送局のスタジオ録音をレコード化することがあったが
ほとんどの場合はテープ保管庫にお蔵入りとなる運命にあった。
例えば、フリッチャイ&RIAS響のバルトーク録音集などは
弦チェレやP協などグラモフォンからレコード化された録音以外にも
多くの録音がされていた、つまり氷山の一角のようなもので
そこにはない「管弦楽のための協奏曲」の目の覚めるような音質で
オリジナルテープの弦チェレも録られていたという事実に遭遇する。
実はフルトヴェングラーの無数のライブ録音も同様であり
レコード業界と放送業界の文化の違いも含めて
ちゃんと評価してあげないと、またお蔵入りしてしまう可能性を感じる。 よくアメリカン、ヨーロピアンというふうに区別するが
1940年代にはWEもRCAもフラット指向のモニターに努めていた。
WE 755A
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/western_electric_755a2.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/we755af2.jpg
RCA MI4400B
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/RCA_64-A1.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/1950/RCA-MI-4400B.jpg
ところがエレクトロボイスのカタログをみると
多くの人が好ましいと感じる特性は2〜6kHzを強調したものだと書いてある。
ttp://www.hifilit.com/Electro-Voice/baronet-2.jpg
最終的には、高音質の録音が増えたため、フラット指向が残ったのだ。
この中高域を強調する音響理論が始まったのは
ベル研究所が発表したラウドネス曲線に沿ったもので
スピーカーの製造からすると1950年代に集中している。 一方でBBCのモニタースピーカー選びの過程はユニークで
1940年代末にパルメコ製スピーカーを選定する規準が
それまで使っていたGE製のエクステンデッドレンジとの上位互換性で
その主たる目的は、男性アナウンサーの声が明瞭に聴こえるという
報道局ならではの規準だった。
具体的には、1〜2.5kHzのクリアネスで、ここが沈んでいるのはNG。
タンノイをはじめアルテック、AXIOM80など多くの候補が無残に散り去った。
ttps://www.bbc.co.uk/rd/publications/rdreport_1948_04
旧GE社製スピーカー
ttp://www.orbem.co.uk/bh32/images/8dc_1.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/1950/BBC/RK-GEC1930s.jpg
新パルメコ製2way(最終的に独Lorenz社製ツイーターを加える)
ttp://www.orbem.co.uk/marconi/images/marconi5f.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/1950/BBC/BBC-M008-12.jpg
実はこの方針は1980年代まで有効であり
LS5/9の開発でもウーハーの特性で隠し味として適用されていた。
ttps://www.bbc.co.uk/rd/publications/rdreport_1983_10 こうした言語的な特徴というのは各国で異なっており
以前に日本の六本木の街頭ノイズの変化を調べていた話を聴いたが
ある時期から4kHzのピークが6〜8kHzのほうにシフトしたので
原因を調べてみるとロシア人の渡航者が増えたとのことだった。
イギリスとドイツの違いは、やはり中高域のところにあり
英語がクイーンズイングリッシュの独特な喉音を大事にするのに対し
ドイツはそこよりも2〜6kHzのクリアネスを意識している。
ttps://www.lup-berlin.de/images/Katalog/1959/Seite%2006%2007.jpg
これにツイーターを加えたのが1950年代のドイツ製ラジオ(FM放送対応)だった。 >>848
BBC の1948 の記事 からそこまで読み取るのは、少し無理がある。
Parmeko と Tannoy は同じ評価だし。 最後の方に、オケが良くてもスピーチが不自然なのはNGと書いてある。
90〜7,000Hzで混変調を起こさないのが肝だが
300〜900Hzで胸声でボヤける、5kHz以上が金属っぽいのじゃダメだと。
パルメコとタンノイが良かったのは、注文を付けると即座に改良版を出したこと。
つまりスピーカー自体の性能に加え、柔軟に対処できる開発力が買われた。
もしかすると、パルメコが1回切りの納品でそれ以外では存在しないところをみると
BBC以外への販売を禁止する条項があり、タンノイは契約しなかったかもしれない。 1948年のBBCレポートにはEMI製の電蓄が出ているが
これがEMI製の楕円コーンに加えデッカ製のリボンツイーターが装備された
1台きりの特別仕様だった。
後にデッカはステレオ電蓄 デコラを発売するが、そこではEMIのユニットを使用。
それぞれの思惑とは逆のチューニングをしていたのが面白い。 荻昌弘氏の「ステレオ(1968年)」を古本で購入したが
そこに1963年にステレオ購入にあたっての様々な思いが書いてあった。
興味があって読んだのは、1953年に購入したモノラル装置について
LP再生装置はフルトヴェングラーと会話する媒体だと思い込んでいた。
アンプはマニアの自作、スピーカーはグッドマン、愛聴盤はトリスタン。
残念ながらスピーカーの型番とモノラル用のカートリッジについては書いてない。
巻末にお気に入りのレコードがリストアップされているが
フルベンのライブ録音は、復帰演奏会、バイロイト、そしてブラ4のみ。
(バイロイトの第九については「総練習の実況録音」とされていた) 愛聴盤はワーグナー管弦楽曲集(EMI)だった(今で言う第1集)。
グッドマンズのスピーカーで咆哮するような音量で聞いてたらしい。 色々調べていると、英国製レコードプレーヤーはおそらくこんな感じ。
ttps://www.humsila.com/garrard-brochure-1953/
ガラードは様々な電蓄会社にOEMでプレーヤーを提供していた。
グッドマンズのスピーカーでHi-Fi対応は1953当時だとAXIOM150しかない。
AXIOM80は1954年からとなるようだ。
ttp://www.ajaudio.co.uk/AXIOM%20150.pdf
ttp://www.hifi-archiv.info/Radio-Werbung/Goodmans/ 背面開放型のスピーカーを見て思ったが QUAD ESL はどうなのだろう?
フルレンジだし。振動板は大きい。 ESL 57は波形も平面波なので、まずこれに慣れるのに時間が掛かります。
もうひとつは低音の応答がスレンダーなので、多くの人には痩せて聴こえることです。
高域の指向性が狭く15°程度だとされ、このビーム範囲内に頭をもっていけるように
距離と椅子の高さの関係を正確に合わせなければなりません。
ttps://www.stereophile.com/content/quad-esl-loudspeaker
クレッシェンドの盛り上がりや低音の迫力は期待しないが出ている音が正確なので
例えば室内楽などには一番向いています。フィリップスの録音を思い浮かべてください。
ハスキルやグリュミオー、ボザール・トリオ、イタリア四重奏団、中庸の美徳です。
フルトヴェングラーでも繊細な方向で新たな発見があるかもしれません。 ちなみに新しいESL 2805は低域のレスポンスを少し引き延ばしており
聴感的にもノーマルに整えているようです。(妥協点を見出している)
ttps://www.stereophile.com/content/quad-reference-esl-2805-loudspeaker-measurements
ただ指向性は300Hzでも完璧な球面波を作り出しており
サイズが大振りの割には小型スピーカー並のスマートな音像を出すと思います。
数あるスピーカーで正弦波を正確に出せるものはQUADだけです。
価格的にはかなり高い買い物になるので、他の可能性にも目移りしそうですが
コンデンサーマイク 1本に対抗する最終兵器かもしれません。 荻昌弘氏のステレオ装置のコンサルタントを務めた岡田諄氏が気になったので
1962年刊の「ステレオFM時代」という本を購入してみた。
この頃からデンオン製のステレオMC型カートリッジが購入できたことや
荻昌弘氏のステレオ装置はこの本が出版された翌年の1963年に構築されたが
その基本となる考え方は「理想のリスニングルーム」というところで伺える。
荻昌弘氏はモノラル装置からの移行にあたり、自身の養った音楽観と共に
ステレオ装置とどのように向き合うべきかを綴っている点が面白い。 岡田諄氏の「ステレオFM時代」(1962年)について
岡田氏がFM東海のハイファイ・クラブでDJをやっていたこともあり
この頃からデンオン製のステレオMC型カートリッジが存在してたことや
小会場でのレコードコンサート用に三菱 2S-305を勧めていることなど
1970年代初頭とほとんど変わりないモダンな内容になっている。
フルレンジから2wayへの移行を歪のないHi-Fi再生の前提にしている点も
この頃にはかなり思い切った割り切りだったように思える。
優秀録音の筆頭にアンセルメ、バースタイン、ワルター、ショルティが挙げられていて
これに関してはおそらく現在も同じ評価だろうと思う。
この時点でフルベンがステレオを残さなかったという禍根を残すのは
モノラル再生での本格的なシステムを組むことなくステレオに移行した
日本の戦後のHi-Fi史(ステレオの歴史)があるように思える。
イギリスのレコード文化は、五味康祐氏が述べていたように
1960年代初頭でもSP盤が続けて聞かれていたし
QUAD 33に存在したハイカットフィルターなどにその保守性が伺える。
ここではドイツのラジオ文化の特異性がフルベンに影響している。 イギリスでのレコード文化は
放送法でラジオでのレコード演奏を禁じていたことで独占的な地位を確保できた。
つまりイギリスにはDJがおらず、基本的に生演奏の実況中継に頼っていた。
最近になってicaというレーベルから、アマチュアのエアチェック音源が出ているが
これらの記録はBBCにはほとんど存在していないのだ。
フルベンのほうは、1970年代のユニコーン音源で苦渋を舐めさせられたので
この手の音源には抵抗(もしくは免疫)があるかもしれないが
icaの音源を聴く限り結構いい音質で放送されていたことが判る。
一方で、ドイツの放送録音は、特にクラシック音楽のテープが多く保管され
そもそもテープ録音機の開発が放送局主体で進んだことから
当時のライブ録音はドキュメンタリーとして存在していたように思える。
つまり普通なら放送設備のある会場でなければ不可能だった実況放送も
録音機とマイクを持ち込んで演奏会の情報を掻き集めることができたのだ。
その音質の優れていたことは、21世紀になって改めて判明したといえよう。 フルトヴェングラーのスタジオ録音のうち
SP盤からLPへの移行期に録られた演奏に
ベートーヴェン7番(1949)とシューベルト9番(1950)がある。
これらのオリジナルテープは存在しないが
特にベト7のテープを廃棄したという理由に挙げられている
テープの保管情況が不安定だったというのは嘘だという感じがする。
おそらく原盤を作成した時点で、コピーされて流出するのを恐れて
破棄したのではないかと思えるのだ。
同じ時期にFM放送用に録音されたケンペ/ドレスデン歌劇場のオペラは
コピーされたテープがアメリカで海賊盤として出たおかげで
ケンペのメト進出の足掛かりになったという。
現在のグランドスラムの個人蔵のコピーテープもおそらく同じ流出音源で
その範囲もそれなりに広く存在していることが判る。
コンパクトで高音質でのコピーが容易なテープレコーダーは
良くも悪くも従来のメディアの方法を変えていったのだ。 読んでると言った奴、ちゃんと責任持って全部読んでるか? 一方で、グランドスラムについてやや不可解なのが
Auditeのリバーブを掛けた音が気に入らないとして
セカンドコピーのテープを蒐集&リリースするのは有り難いが
AltusがORFのオリジナルテープをリリースできるのと同じように
正面突破ができない理由があまりよく判らない点だ。
というのも、この手のテープは文化財団のような機構で管理されてて
基本的にマージンさえ払えばオープンに利用できると考えられる。
このためサブスクなどでの音源公開に関しても積極的で
むしろより多くの人に広く知られることを目指しているともいえる。
個人的にはCDのほうが音質が良いので購入する方向なのだが
この辺も文化遺産の継承方法として考える必要のある課題だと思う。 まぁ戦時中マグネトフォンの重箱よりは良心的かと。
流出コピーテープの音質がレコード会社の所持しているものよりも
良いというのも見つけもんかも。
そういう地場のコミュニティも本当は知りたいところ。
例えばライトナーだったか、多くの放送テープのコピーを
夫人が一番多く所有しているけど、なかなか手放さないとか。
色んな運命のもとで伝承され記憶されていくもんだと思う。 ここでレコード文化と放送文化の違いだが
レコードが照明など手の込んだポーズをとったものである一方で
ラジオはありのままのスナップショットに近いようなもので
いわゆるブロマイドと生写真のような違いがある。
カメラの世界では、ファッション関係などのカメラマンと
報道系のカメラマンとのスタンスが別れているが
そのスタンスの違いは録音の世界にもあるのだと思う。
フルトヴェングラーの場合は、圧倒的に報道系の録音が多く
あえていえばスポーツ観戦にも似ているように思う。
やはり白熱のプレーをしている最中の表情やポーズが良いのであって
全てがベストなのではなく、エラーもすれば空振りもする。
ライブ録音にはそうした全てがドキュメンタリーとして収められている。 写真の印画紙に光沢紙を選ぶか、マットなものを選ぶか
そうした選択はモノラル録音にもあって
古いライブ録音なら、雑音や歪みの目立たないマットなものが良い
以前ならそう思っていた。
しかし実際は、艶のないマットな表情には音楽表現の限界があり
交響曲を迫力をもって引き出すというものは最初から諦めていた。
なので、多くの人はフルベンの演奏を精神的だと言ってきたのだと思う。 一方で、ビンテージのオーディオ製品の音には独特の艶があり
むしろモノラル録音には、こっちのほうが合っていると見直すようになった。
それが真空管のリンギングだったり、トランスの高次歪みだったりしたが
やはり一番の違いはスピーカーで、分割振動を積極的に音色に加え
か細い表情まで積極的に鳴らす方向のものが多い。
その変わり、ステレオになるとリンギングが音の広がりや定位感のじゃまをするので
そうした設計思想はモノラルLPと共に立ち消えになった。
これも文化の違いというか、1950年代の音響機器の基本が
大勢で聞くPA機器からダウンサイズすることにあり
それも生楽器と共演しても出音が遅れないリアルな反応が要求された。
4kHz付近にある共振峰は、子音が埋もれて胸声にならないためだが
実際には他の帯域もかなりのスピード感をもって再生する。 モノクロ写真での醍醐味が、黒の諧調だったり構図の面白さだったりするけど
ほとんどの人はフルベンの演奏の面白さを、構図だけで語っている感じがする。
低音〜中音域にある諧調が、全体の迫力につながる過程が面白い。 荻昌弘氏が1968年の著書で、バイロイトの第九について
「総練習の実況録音、といわれるもので、聴衆の咳なども入っている」
と記しているが、この噂の出所について知ってる人いる? GPは客入れる場合もあるな
ウィーンフィル定期土曜日とか 昔はきちんと情報伝わってたのか。
バイエルン放送盤が見つかった時に本番とゲネプロとかで騒いだのに。 ライヴであることを装う必要がない
日本の販売戦略がそれを望んだだけ? 事実はどうあれ、荻氏がどこからそういう話を聞いたか?
LPのジャケに書いてある程度じゃ、誰でも判るんだけど
関係者の話であればどういう人たちか? EMI?放送局?親族?
あまりにもサラッと書いてあるので、周知の事実だったのだろうが
それだけにどれだけの人が知っていたのかも気になる。
逆に公式ルートでは総練習だと伝えられなかった理由は?
例えば当時は本番前のゲネプロ中にセッション録音するのは一般的だった。
(1952のEMI英雄、ワルター大地の歌など)
それだと通しでなくて編集するのは当たり前だし
ゲネプロで見学者の封鎖に失敗して咳まで入ってしまったので
ライブだと断りを入れることを思い付いたとか。
どれも想像の域を越えない。 演奏会を編集して大きな傷を無くすのはわかるけど、拍手と足音を付けるセンスがな。
あと、プロデューサーが編集で色々イジったと思われのは
レッグのEMIのせいだ。
他でやってるせいで。 荻氏の1968年の著書に近い年代では、オルセン1973年版で
バイエルン放送局での生中継とテープの存在が指摘されているため
編集跡の問題も含めて知ってる人は知ってることだった。
しかしその記述からEMI盤がゲネプロ主体の編集ということまでは誰も想像できなかった。
EMIがバイロイトと契約していた7年間の録音権が大きく幅を効かせているなかで
放送局テープは厳重に管理されてたので聞き比べは不可能であり
そうなると「総練習の〜」というくだりはEMIの中の人しか知らないことになる。
「聴衆の咳なども入っている」という書き方も総練習という前提で
拍手と同様に後からミックスしたという疑惑まで臭わしているのだ。
では、なぜ、誰が、わざわざそのことを話し、荻氏にまで伝わったのか? >>877 あの当時の騒ぎは…
新聞にも載ったよな。 フルトヴェングラーのライブ録音が真正であるべき理由を考えてみると
全体の構想のなかでテーマの表情に天才的なひらめきがあり
そこを編集するということが神聖を汚すように思われている。
ホロヴィッツのNYライブがミスタッチを後で修正したと咎められたが
本人の了承のもと長く鑑賞に耐えるように修正したと考えるのが妥当だ。
スケジュール上でゲネプロと録音セッションをぶつけた場合
テープの編集は当然ありえるわけで通常は問題視することではない。
それがフルトヴェングラーの演奏であること自体に何の違いもないのだ。
ただライブで期待されるフルベンの即興的な曲想の流れを考えると
巨匠以上にその是非を判断できる人はいないと誰もが考える。
ここに真正の意味が問われるのだ。
しかしフルベンらしい演奏とは、はたして何か?
私はフルベンの晩年の田園がウィーン、ベルリン共に好きで
第九の3楽章が永遠に続いているような時間の流れがユニークだ。
しかし一般にはフルベンらしい魅力がないと隠避される演奏でもある。 フルトヴェングラーの演奏スタイルが1952年以降に晩年様式に変わったきっかけは
肺炎を患って長い療養を強いられて以降に体力が衰えたと思われる一方で
トリスタンのスタジオ録音が本当の理由だったかもしれない。
つまりまるで夢遊病のように演奏中は忘我の状態であった演奏を振り返り
どの角度からみても古典的な風格をもつべきだと気が付いたのかもしれない。
実は同じようなことがスキーで骨折した1941年にも起きており
そのときラジオ放送を聞いたことで一連のマグネトフォン録音につながった。
戦後のラジオ放送にも協力的で多くのライブ録音が聞けるのは幸いなことだが
1本マイクへのコダワリは最後まで続いた。有機的な響きを大切にした結果だ。 戦後のバイロイト祭については、レッグEMIの強欲が全くの弊害になって
1951年から7年間の録音の独占契約とレコード化の不履行により
音楽祭の名演の録音テープが全てお蔵入りとなった。
このことには長らくヴィーラント・ワーグナーが頭を抱えたことで
21世紀になって次々にリリースされたオルフェオのORF音源は
1960年代のフィリップス音源に比べて、暗中模索だがワクワクする感じだ。
そのなかにバイロイトの第九があったわけで、生き馬の目を抜くような
バイロイトの政治力というか、オペラ興行者の意気込みが感じられる。 >>885
1954年ルガーノでの田園が一番好きです。 >>886
難聴になったのも大きいね、聴覚障害起こすとか、ストマイ系を馬鹿すか使ったのかな
52年以前は、音が自ら語り、音楽が自らドライヴしていくのをフルヴェンがコントロールする感じだけど
52年以降は、ドライヴしていく音が良く聞こえない所為もあるのか、フルヴェンが鑿で自らフォルムを彫琢していっていると感じる
特にパリの運命とか >>889
1953年のローマ指輪を聞く限り、まだ演奏に慣れないRAIを相手に
ちゃんとドライヴしているところをみると、日によって調子が違ったのかな? 私は難聴で赤い手帳持ってますが、日にちより時間で違いますね。
突然聴こえが酷く悪くなったり、そこそこ聴こえたり。
まっ金属音は全く聴こえず駄目ですが(笑)
シンバルやトライアングル等高い音は脳内補正です。 >>886
フルトヴェングラー録音芸術の極致はトリスタンと53年のシューマンだよね
でも、何故シューマンだったんだろう
本流というべきベートーヴェンでもブラームスでもなく
しかもオーケストレーションが良くない曲で
アマオケをやっているけど、シューマンは人気のある方ではないのに >>892
同じ感覚はウェーバー「魔弾の射手」やバッハ「マタイ受難曲」にも言えて
ウィーンで振ってもらいたい演目は色々あるのに何かのコダワリがあるんだと思う。
その辺はフルベンが本来はウィーン楽派の流儀に属さず
むしろライプツィヒやベルリンの血筋を汲んでることと関係してるかもしれない。
両都市は大バッハと息子カール・フィリップ・エマニュエルの思索的な音楽に始まり
シューマン、ブラームスまで引き継がれるドイツ音楽の本流でもあった。
バッハを「音楽の父」という言い方が、まだ歴然と残っていた時代の価値観だ。
ブラームスを多感様式の最後の灯だ、なんて言うとおかしな気がするが
フルベンの演奏はそういう感性で一貫していると思う。 たまたま1950年代のリヒテルのシューベルト・ソナタ集を聞いているんだけど
この頃のリヒテルの演奏ってフルベンと同じ雰囲気をもってると思う。
ダイナミックの過剰な変化、リズムの畳みかけ、若いという理由だけではない。
ロシア出身とはいえ、父がブルックナーに師事したことのあるドイツ人音楽家で
リヒテル自身もワグネリアンのひとりだと自負していた。
ただ米RCAがバドゥラ=スコダによるソナタ全集を出す際に
「ウィーン音楽の様式が血脈となって流れている」と評価されたのとは異なり
リヒテルは遠い望郷にも似たドイツ的なものを手探りで問い直す感じがする。
面白いことに、ずっとドイツで活動したフルベンも同じスタンスなのだ。 以前から疑問に思ってる事が有ります。
歌手のモノマネをする人は数多おり、そのエンターテイメント性に感心しますが、
何故にフルベンを完全コピーで演奏するとかのオケがひとつたりとも存在しないのでしょうか。
しょうもないオケの独自の音楽性とかどうでも良いです。プロのオケならテンポ感の完全コピーくらいは容易くできるはず。
うちのオケはフルベン完全コピー専門のオケです。そういうオケが有るなら是非聴きたいし、断然支持する。 連投すみません。
指揮者で今回の演奏はフルベンの完全コピーで再現するとか言う人はいないのですか? >>893
ライプツィヒ的伝統か、確かにねえ
リストやヴァーグナーがメンデルスゾーンだかシューマンだかの室内楽曲聴いて
「ライプツィヒ的」と吐き捨てたそうだけど
独墺は宗教も歴史的沿革も地域ごとの差が大きいし、
日本人には分かりづらいコンテクストがあるんだろうね、
それにフルトヴェングラーはゲヴェントハウスとBPOを兼任してたしね
ただミュンヘンがどうなのかは良く分らないけど
読みかけで放置してた「フルトヴェングラー家の人々」連休中に読んでみよう
ところで、「フルトヴェングラーとトーマス・マン」という本の巻末に
訳者が、邦訳されたフルトヴェングラー評伝について
かなり詳細な論評を書いていて、中々に面白かった >>899
フルベンの戦時関連のものは、まだ読む気がしないんだな。
というのも、当時は誰だって何らか形で戦争に関わっていたし
なぜあそこまで庶民レベルで殺害が繰り返さなければならなかったか
到底理解できないように思えるからだ。
リース著「レコードの文化史」と「フルトヴェングラーと政治」も
興味があるのだけれど、どうもそこまで踏み込めない。
あとミュンヘン、ドレスデンなどウェーバー〜ワーグナーに所縁の地があるが
フルトヴェングラーは南から北へと向かっていったようで
キャリアの初期以外に客演した形跡がないようにみえる。
R.シュトラウスのオペラと距離を置いていることもあるかと思うが
こっちの地域性(バイエルン訛りの貴族)に馴染めなかったのかも。
でもワーグナー自体は南部の騎士道ロマンスが好きなんだよな。
クリュイタンスのバイロイト演奏を聞くとその感覚がよくわかる。 戦後のフルベンはモダンとは程遠い19世紀の骨董品のように思われるけど
演奏会場にはティタニアパラストやRAIローマなど近代的な会場に乗り込んで
伝統的なドイツ音楽をやるのを好んでいたように思える節がある。
戦中のAEG工場でのフィルムもプロパガンダ映画だと判っていながら
ドイツ音楽のヒューマニズム、近代社会での経済とテクノロジーなど
20世紀が抱えた対立的な文化形態の挟間に立って
人間賛歌ともいえる実存的な意味を説いているように思える。
チャップリンのモダンタイムズと比べると、ずっとシリアスに演じている。
その意味でも、フルベンのレコードというパッケージメディアは
本人が意識しようがしまいが、機械が語る不思議な遺物のような気がする。 19世紀ドイツのオペラ脚本で異彩を放つのがゴシック奇譚で
「魔弾の射手」「さまよえるオランダ人」など
悪魔や幽霊が主役となるホラーな内容のものが多い。
流行した時代が19世紀末より50年前後の幅があり
この手の脚本のメッカは「ファウスト」のようにパリにあったのだが
オーベールなどがドレスデンやベルリン、ライプツィヒに進出し
ドイツ語訳の上演を手掛けるにあたり、ドイツ音楽にも飛び火した。
しかしウィーンでは官憲の働きで抑制された歴史をもち
むしろオペレッタのほうが健全な社会を代表してた。
これと対抗するかたちで、シェークスピア劇をオペラ化する活動もあり
発祥がどちらもイギリスなだけに、本来はブラームスvsワーグナーよりも
より具体的で判りやすいものなはずだが、同じクラシックとして扱われる。
ヴェルディvsワーグナーのほうが、言語の違いと相まって深刻なはずだ。
フルトヴェングラーの演奏が霊感に満ちているという意見は
実は19世紀風のゴシック趣味と共鳴しているのかもしれない。
個人的には戦中の運命、英雄、ローエングリンなどを聞く限り
リズムの緩急が激しい割に極めて構築性の高い結び付きがある。
一方で戦後のそれは廃墟と化した古城の奇譚を聞くような感じだ。
そこがフルベンの芸風に決定的な価値を与えているように思うのは
後継者のカラヤンとのコントラストがあまりに明瞭だからだろう。
クナッパーツブッシュだって戦後の数年間まではスタイリッシュな演奏だった。
フルトヴェングラーの死後に何かが変容していったように感じる。
(顔立ちがフランケンみたいというのは抜きにして) >>900
読む気しないのは、やむを得ないと思う。
もともと日本人に、まったく歴史、地理、政治的前提環境が違うドイツのことを理解するのは難しいし、
その点からしたら、ドイツと日本なんて敗戦国という以外の共通項はないに等しい。
なにせヒトラーは反教養主義の権化とも言え、我がニッポン含め近代の政治指導者でそんな人他にいないし。
日本だと陸軍大学を中心とした閉鎖的タコ壺的人事組織環境の中で合目的的な視点をかなぐり捨てて組織防衛的行動に皆で走っただけだしねえ、まあ、今回のコロナ騒動でもなーんも変わってないことだけは十分わかったが。
スターリンがどうかと言われれば、あれが辺境グルジア出のボリシェビキでなく欧州中央の出ならタダの柄の悪い権力政治家止まりだったろうし。
何にしても、中々に我々の手には負えそうにない。
「フルトヴェングラーとトーマス・マン」巻末紹介の評伝は「フルトヴェングラー家の人々」以外全部読んだけど
結局著者の立場によりけりという分裂した読後感を総括するなどこちらの能力外だったし。
ただ、岩波新書黄版の「フルトヴェングラー」はそれでもお薦め。
丸山眞男以下著者のリベラルアーツ的教養の深さが圧倒的なのもあるけど
なにせ日本人が語っているから、我々と同じ土台からの視点を提供してくれている。 >>903
どうもリベラルアーツというと、ダヴィンチやキルヒャーを思い浮かべるのだけど
戦後日本のリベラルアーツの論客たちがフルベンにぞっこんだったと聞いて
1970年代のフルベンのライブ発掘ブームの謎が何となく判ったように思う。
荻昌弘氏のオーディオ読本で感じた漠然としたものは
吉田秀和氏のヨーロッパ巡りのレコード鑑賞版という感じで留まってたけど
1980年代にこうした議論に熱中してたというのが初々しいというか
まだブラームス1番の決定盤捜しが残ってたとか、ピリオド的にも面白そうだ。 1970〜80年代のフルベンのライブ発掘が、どちらかというと考古学に近い印象があって
最近のオリジナルテープからくる音質改善は、この手のクロニクルの地勢図を換えつつある。
音質的にレコード会社の正規録音と遜色ない形でオーソライズされたからだ。
それは精神的と言われるフルトヴェングラーの演奏をフィジカルに体験する手段と
アルヒーフの構築方法の改革に近く、フルトヴェングラー放送局というべき
当時の実況録音がもつドキュメンタリー性の再現となるだろうと予想している。
かつてあったことの備忘録ではなく、繰り返し追体験されるニュースなのだ。
それは他のドイツ音楽家の録音にも言えて、戦後の荒廃というイメージとは裏腹の
FM放送によって築き上げられたリアルタイムな時間共有のシステムとして
残されたテープの時事と体験とが交錯しながら組みあがっていく。
それが曖昧になったドイツのゲマインデの思想とほぼ一致しているように思える。 問題は当時は精々1週間前に留まっていたニュースの鮮度が
50年以上も経ってしまっていることである。
レコード会社が警戒していたのは、放送インフラがもつ絶大な配信力で
もともと税金を投入して整備された放送網の存在は
レコードを個人で購入させるための仕組みを前提から覆すことになる。
この利権を封じる手段が専属契約に含まれていたわけで
フルベンの場合は、どちらかというとイギリスでの国内法
つまりレコードのラジオ放送を禁止する法律が厳しく適用された。
ところが普通に考えてみると、ほとんどのクラシック演奏家は
レコード売上げで生計が成り立つようなことはほぼ皆無で
ステージでの演奏を中心に全ては巡っていた。
実はこの記録を膨大に所有してたのが、ドイツの放送局なのだ。
それもドイツ国内のみで有効だったFM放送向けに保管された。
今更気付くのは、1970〜80年代のライブ録音のリリースは
ラジオ音源=AM放送ということを偽装してレコード化されたことだ。
公式のラジオ実況が非正規録音という形で世に出ることのカラクリは
一層不可解な歴史として語られなければならない。 戦後の荒廃の時期はまだFMがなくAMだし
1970〜80年代のライブ録音はFM放送前提が多い FM放送は1949年のバイエルン放送局からはじまり、1952年までにはドイツ全国で放送網が整った。
ttps://www.br.de/unternehmen/inhalt/70-jahre-br/70-jahre-ukw-welle-der-freude-100.html FM放送なんてもう20年以上聴いてないな
昔はよくカセットテープでエアチェックしたものだった
FM fanとか今でも売ってるのかな RIASのFM放送は1952年までずれ込んだが
理由は1950年に東側のSFBがFM放送を先行開始したことで
冷戦下でのプロパガンダ放送を懸念して西側では許可が遅れた。
同じことはORFでも起きていて1953年までずれ込んだ。
一方で、ドイツ国内では1952年には従来の10kHzまでの放送規格を
15kHzまで拡充し内実共にHi-Fi放送の体制が整った。
実際にはそれ以前からマグネトフォン、ノイマン製マイクなど
録音機材の性能は確保されており、フルトヴェングラーのRIAS録音も
1949年から徐々に音質が改善され、1952年にはかなり安定している。
ちなみにこの時代のドイツ製ラジオは2wayスピーカーが標準装備され
音場感を出すためにラジオ筐体の両脇にツイーターを付けており
グルンディッヒの3D-Klang方式は、エコー感の調整も可能だった。
つい最近までこの手の真空管ラジオは輸出向けと紹介されていたが
ラジオ内蔵スピーカーの2way化は1937年の製品から存続しており
AM時代から10kHzまでの準Hi-Fi規格で放送されていた。
(戦中にシベリウスがテレフンケン製の高級ラジオを愛用していた)
当初は生中継が主体だったが、1942年にマグネトフォンコンサートが始まり
これによってフルトヴェングラーのライブ演奏がヨーロッパに広く知られた。 リースの評伝を読まないのは勿体ないぞ
非常にドラマチック 映画を観ているようだ エリーザベト夫人は
「主人は、オーケストラと聴衆の間に産まれる
ゲマインシャフト(有機的連関と訳)こそ大切に
していました。」と述べていた。
自分は、この言葉の典型として51年の
バイロイト祝祭管との録音があった。
ゲネプロ録音編集説も出て来ると複雑な気分。 そのGemeinschaftの訳は「一体感」でいいと思う >>913
・・・ですよね。
>>914
はい、その方がぴったり来ますね。 ゲネプロでもちゃんと観客は居たみたいだからご心配なく。
おそらく地元のお偉いさんや祝祭関係者かもしれない。
咳声もエッヘンと偉そうでござろう?
ゲマインシャフトというのは、一般的には共同体という訳だけど
この場合は地域社会の繋がりよりもさらに踏み込んで
コンサートによって生じた家族のような親密感というほうが良いかも。
地域の教会の信徒たちを総じてゲマインデと呼ぶので
隣人を互いに赦し合うことで生じる博愛とも重ね合わせているのだろう。
終わりに隣の人と抱き合って祝福するくらいのものだと思う。 >>908
>>906
>今更気付くのは、1970〜80年代のライブ録音のリリースは
>ラジオ音源=AM放送ということを偽装してレコード化されたことだ。
ステレオで出せないねそれじゃ
そんな偽装初めて聞いたがどういう根拠? >>917
オリジナルテープのほとんどが50年間公開されずに封印されてた。
フルトヴェングラーのライブは音の悪いのが当たり前になっていたが
実際にはそれとかなり掛け離れた優秀なモノラル録音だった。
それがなぜ、あんな無残な音質でリリースされたのか?
専属契約を結んだ正規スタジオ録音が独占的な地位を確保してきたが
非公式の録音に位置付けられた放送録音の音質、演奏ともに
平等の土俵に立った現在では、その地勢図が変わると言うべきだろう。
この封印はレコード会社が慣例的に行っていた専属契約によったものだが
バイロイトなどはEMIが7年間の録音権を買い取っていながら
カラヤンが主催者と喧嘩別れすると録音計画を早々に白紙にしたため
1950年代のバイロイト録音も長らくお蔵入りになっていた。
それでも放送録音は大切に保管され、現在に引き継がれて
ラジオ局がオーソライズした正規録音として堂々と名乗れるようになった。 あー言いたいことは理解した
70〜80年代に登場したフルヴェンの過去の録音ってことね ドイツの放送局の技術が高かったのは理解しましたがステレオ録音・放送は遅かったのでは?
なぜでしょう? ただEMIが一方的に悪いというよりも
イギリス国内では当たり前だったラジオでのレコード演奏の禁止法令を
他の国にも厳格に適用したことの弊害だったと考えるべきだろう。
この点は戦勝国なりのコモンセンスの押し付けが
国際ルールの取り決めで重要だと考えられたのだが
英米両国ともにDIN規格に代わるものを提供できないまま
ドイツ国内のHi-Fi放送網の整備と録音活動は進んでいった。
英米側の都合で考えれば、その頃にドイツのラジオがHi-Fiで
市販されているレコードより音質が良いとなると非常に気まずい。
コモンセンスの質が悪いことの結果は見ての通りだが
フルトヴェングラーのレコード批評がこの価値観に縛られているのは
1980年代に比べブームが冷めた後なだけに残念な気がする。 >>920
FMステレオ放送はアメリカで1964年からボチボチ
イギリスや日本でのの全国ネット化は1970年代なので
ドイツの1965年の切り替えは逆に早いほう。
レコードのほうは、バイノーラル録音の特許が英EMI
45/45ステレオレコードが米Westrexなので、そっちで出遅れたかも。
イギリスはアメリカ主導のLPレコードのパテント許可が遅れて
フルトヴェングラーのベト7のダビング事故が起きたし
初期の1955年時点では、まだコロンビアもRCAもテスト段階だったので
逆に封印されて、EMIはテープでのステレオ録音を展示してた。
ドイツの情況などは推して知るべしである。
タンノイのアメリカ版GRFも、米クリプッシュの特許に触れていたから。
逆に米シュアーは、独ElacのMM型の特許を買い取って攻勢に出た。
日本の品川電機の15度傾斜の件は黙殺した。
各国の特許闘争も意外にややこしい系図がある。 ただちゃんと理解してもらいたいのは
ステレオだから音場感があって、モノラルだから音が直接的というのは
再生装置をステレオ録音に合わせすぎている結果だと思う。
それもプレートリバーブを多用したマルチトラックに最適化されている。
モノラル録音が中央定位しかしないなら、それはモノラルの再生に適していない。
1本のスピーカーの音が左右の耳に届かないように高域の指向性を絞ってあるからで
リバーブ処理をしてないモノラル音声だと逆相成分が貧弱で広がりのない音になる。
そこを録音のせいにされても困るんだよね。 >それもプレートリバーブを多用したマルチトラックに最適化されている。
いつの時代の話をしているのか 今はもっと高域のパルス波だけを敏感に拾うので症状が悪化してる。 >>922
日本でのFMのステレオ回線が開通したのはもっと遅かったのでは
地方局へはあらかじめ録音テープを送付して再生していたのでは? 録音の質も大事だが、当時のベルリンフィルの楽器配置を知りたいな
フルヴェンは両翼配置を終生貫いたのか? 昔より今のほうが周波数特性がフラットになったと思ってるかもしれないが
それは規格上の話であって、実際はもっと変なことになっている。
例えば、定位感は、昔は左右の位相差程度で区分していたが
現在では立ち上がりのパルス成分を約30cmの音速差で正確に出すことで
他の楽音をマスキング効果で抑えてようやく成り立っている。
ところが1950年の録音は、その帯域がパチパチ、シャーシャーのノイズだらけで
全体に雑然とした印象だったり、テープの音割れに過敏に反応したり
咳の音が楽音より大きく聴こえたり、不自然なバランスになってしまう。
かといって高域をカットすると、ウーハーの反応の遅さが目立ちモゴモゴ。
設計思想からして違うのに、うまく鳴らないと録音のせいにする。 >>926
おっしゃる通りで、旧帝大のあった都市で全国制覇と言ってるにすぎない。
アメリカも先駆的な局はあったが、メジャーが設備投資するまでは時間がかかった。
ドイツは良くも悪くも船団方式。日本では松下電器のようなスタンスだが
ソニーのよう役割はフィリップスに任せてたかな。 >>927
戦中のフィルハーモニーは両翼配置。
ウィーンフィルはどこでも両翼配置。
ルツェルンの写真(年代、オケ不明)も両翼配置。
1947年の復帰演奏会は両日ともチェロ右翼配置。
1949年のパリ公演は両翼配置。
1951年のバイロイト(?)も両翼配置。
1952年のティタニアパラストは両翼配置。
ということで、基本的には両翼配置だが
復帰演奏会だけチェロ右翼になってたらしい。
1946年とされるチェリビダッケでも確認できるので
戦後まもなくはベルリンフィルはチェロ右翼だったが
後に両翼配置に戻った。 ベルリンフィルとのわずかな写真・動画を見る限り、弦は左から
vn1,vc,va,vn2 または vn1,va,vc,vn2(cbは右端か左奥)のようだが
フルヴェンは生涯これで通したのかどうか、知ってる人教えてくれ >>930
行き違いになったけどありがとう
カラヤンが片翼にしたわけね >>932
それも急にやったわけでもなくライブでは両翼配置もちょくちょくみかける。
1970年の東京公演は両翼だったし。やはり録音用のパフォーマンスかと。 フルベン愛好家でなくて良かったよ。
大変すぎるな。 >>897
バカの一言で片付けるのではなく、何故に存在しないのかこのバカな私に教えて下さい。
過去には、パパマンがゴドフスキーならこうやって弾くよと言いながらマネをしてみせたレコードが存在し、大変面白いと思ったので >>931
Vn.1-Vla-Vc-Vn.2 の配置はないのでは?
現在のオケの弦配置は
1)両翼 Vn.1-Vc-Vla-Vn.2 これは外声を左翼、内声を右翼にする配置
2)アメリカン(ストコフスキー考案とも) Vn.1-Vn.2-Vla-Vc これは右から左のピラミッドバランス
3)修正アメリカン(フルヴェンが考案とも) Vn.1-Vn.2-Vc-Vla これはチェロだけ音が前へ飛ぶ(Vn、Vlaは上へ飛ぶ)ので、Vn.1の次に重要なチェロの音が通る
の3パターン。
両翼を採用するのは、昔の大概の作曲家の時代はこの配置だったので、それを想定したオーケストレーションがなされていることが多いから、例えば悲愴の4楽章、あとよくあるストバイセコバイの掛け合いもそう
ただVn.1と2は似たようなことをやるので、両翼で開離配置すると、アンサンブルを合わせづらい、
そのため、ヴァイオリンを左翼にまとめる配置法が出てきた筈。
Vn.1とVlaをくっつけてVn.2を離すのは、あまり合理性がない。
なお、ヴァイオリンとヴィオラは、案外見分けにくいよ。
弦楽器経験者はすぐ見分けられるけど。 HDTTの運営者の人か
フルトヴェングラー音源もっとリリースしてほしい >>939
だからそのバカに何故ゆえバカなのかちゃんと説明出来ずに、一言で片付けるあなたはバカではないのだろうが、頭の悪い人なのでしょうね。 >>940
バカに説明するほど教育家ではない。
自分の不明を恥じないあんたはバカの上に
自分がかわいくてたまらない◯◯◯。
自分で言い出したことを自己検証するというステップも知らないようだから
思いつきが口をついて出ると
何かすごいことを言ったつもりにでもなるのか?
自分のバカを本心直すことが出来るのは
遠慮会釈なく己を苦しめる自省の積み重ねしかないということをどうも知らないらしいな?
口トンがらかして抵抗しているところを見ると二十歳以下かな?生物年齢ではなくて社会的成熟年齢だけど。ま、ここまで言ってもわからないなら、一生バカと言われることに。お気の毒さま。 フルベンと同じ様式で演奏すれば面白いと言っただけで、バカ扱い。
何故バカなの?本当になんで自分がバカな事を言っているのがわからない。
教えてよ、バカじゃない賢い人 >>942
子供の言い訳。リンク先とバカにはなんの関係もない。こういうねじ曲げた言い方、ひょっとしてあんた東大卒?あるいは官僚?
ギャハハ。
自己検証に言及したのにまるで見てないかのようなのは、治りようがないビョーキだわ
フルベンコピーが流行りますように!
だはははははははははははぁ これの8分あたりのジュリーニのコメントがおもしろい。
ttps://www.youtube.com/watch?v=ZfXHJbdJTHg レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。