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1904年答志島の日本人

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露出は文明度のバロメータ

●カッテンディーケ『長崎海軍伝習所の日々』1860年
我々は若い娘たちに指輪を与えた。その娘たちはどうしたのか胸もあらわに出したまま、
我々に随いて来る。見たところ、彼女たちは、われわれがそれによほど気を取られていることも気付かないらしい。(p. 86)

●グリフィス『明治日本体験記』1876年

暑い時の日本の町では、生きている彫像の研究にすばらしい機会がもてる。
働く人はよくふんどし一枚になっている。女性は上半身裸になる。身体にすっかり丸みがついたばかりの若い娘でさえ、
上半身裸でよく座っている。無作法とも何とも思ってないようだ。(p. 235)

●E・S・モース『日本その日その日』1917年

 奥地へ入って見ると、衣服は何か重大なことがある時にのみ使われるらしく、
子供は丸裸、男もそれに近く、女は部分的に裸でいる。(1巻, p. 80)

●イザベラ・バード『日本奥地紀行』1880年
家にいるときは短い下スカートをつけているだけである。何人かりっぱな家のお母さん方が、
この服装だけで少しも恥ずかしいとも思わずに、道路を横ぎり他の家を訪問している姿を私は見た。(p. 98)

●H・N・アレン『朝鮮見聞記』1908年
服といえばふんどししか着けていない人々が漕ぐ20隻の小さな三板が私たちの船を取り囲むのを見て、
何かがおかしいと思った。あのように暴風が荒れ狂う海で、私たちは道に迷って南太平洋の
どこかの島に錨を下ろしたのではないのか? (p. 39)