1998(平成10)年の日産は、まさにジリ貧と呼べる状況でした。

国内シェアは20年以上も下降線。

世界シェアも90年代に入って落としており、

1991(平成3)年以降の8年間で7度の赤字。

自動車関連事業の有利子負債は、

90年代を通してつねに2兆円を抱え、

1998年には2兆1000億円が残っていました。

また同年の世界生産台数は255万5962台でした。

そのような窮地に手を差し伸べたのが、フランスの自動車会社、ルノーでした。

1999(平成11)年3月に、日産とルノーのあいだでグローバルな提携契約が結ばれ、

ルノーが6430億円(約50億ユーロ)を出資して日産と、日産ディーゼルの株式を取得。

日産が事実上、ルノーの傘下となります。そして、ルノーからは

カルロス・ゴーン氏が最高執行責任者(COO)として派遣されます。

ゴーン氏は、ルノーやフランスのタイヤメーカーであるミシュランなどで、

業績が悪化した工場の立て直しなどを手掛けてきており、

「コストカッター」と呼ばれる、再建のプロだったのです。