神学教授マルティン・ルターが「贖宥状に対する95か条の論題」を
協会の壁面に張り出したのです。
「人間の罪を身代わりになって宥(ゆる)すことのできるのは、
神のみである」という正論です。それが広がり、
聖職者たちの堕落や贅沢に批判的な人々はルターの意見に同調し
ローマ教会を強く批判しました。
これに対して、神聖ローマ皇帝カール5世がルターに教会を弾劾するのを
止めるように迫りました。しかし、ルターはそれを拒否。
カール5世はルターを追放したのです。ところが、
ドイツのザクセン選帝侯が彼を城に匿ったのです。
安全になったルターは、聖書をラテン語からドイツ語に翻訳しました。
ドイツから、教会を批判するとともに聖書に返れという
大きなウェイブを作ったのです。
ルター派は、ローマ教会が聖書に書かれていないことを勝手にやっていると
批判したわけです。常識的、保守的だったわけですね。これが宗教改革です。