打楽器音楽と現代音楽
打楽器アンサンブル総合スレッド4
http://music8.2ch.net/test/read.cgi/suisou/1171102665/l50
841:名無し行進曲2008/01/06(日) 08:59:36 ID:YcyYpQs4
フィリドール兄弟や軍隊のドラムマーチは別として、「打楽器のみの音楽」が芸術化したのが20世紀なんだよね。既存の音楽からの脱却を図り、試行錯誤して何人かが「打楽器音楽」や「電子音楽」なんかへと辿り着いた。
クセナキス・ケージ・ヴァレーズ・ライヒ・アイヴズの様なタイプとは別の流れ、もう少し分かりやすい曲調(調性音楽・従来寄りという意味で)のタイプとして、エーベル・カウエル・チャベス・フィンク・ラッセルなんかがいるのかな。
842:名無し行進曲2008/01/06(日) 09:21:55 ID:fuC+8W33
CD屋に行くと打楽器アンサンブルのCDは「器楽曲」じゃなくて「現代音楽」の棚においてある店もあるからなあ
*クセナキス・ケージ・ヴァレーズ・ライヒ・アイヴズの様なタイプ*
そういわれてみると,私はこっちばっかり聞いてきました.
*エーベル・カウエル・チャベス・フィンク・ラッセル*
こちらのお勧めを,ぜひ教えてください.
>>クセナキス・ケージ・ヴァレーズ・ライヒ・アイヴズ
ここらへんの作曲家、一昔前だけど今現在はどうなの?作曲家と打楽器のかんけい >>3
>*エーベル・カウエル・チャベス・フィンク・ラッセル*
>こちらのお勧めを,ぜひ教えてください.
フィンクならズー・ルー・ウエルカム、チャベスならトッカータかな
シュトックハウゼンもツィクルスというソロ曲を書いてるな。あれは挑戦してみる気になれない。 >>5
例えばスペクトルの人たちとか、今現在の作曲家と打楽器のかんけい
>>7シュトックハウゼンもツィクルスというソロ曲を書いてるな。あれは挑戦してみる気になれない
なぜに?
>>8
あの楽譜をどのように進むか、1ページからやればいいのか終ページからやればいいのか、右からやればいいのか左からやればいいのか、上下どちらでやるか…
あの譜面は自由すぎるんだよ。
>>7
フィンクならズー・ルー・ウエルカム、チャベスならトッカータかな
どうもありがとう!
さっそく,調べて聞いてみます. >「打楽器のみの音楽」が芸術化した
“芸術化” とはなんですか?
“芸術化する” とはどういうことですか? 「第三世界の打楽器音楽なんぞ芸術じゃねえよ。ぷ」という意味です。 Carlos ChavezのToccataを収録したアルバムがemusicにあったので
さっそく聞いてみました。
http://www.emusic.com/album/Michael-Udow-Director-Historic-Works-for-Percussion-Ensemble-1931-1942-MP3-Download/10997903.html
なるほど...たしかに、調性よりという言い方になるのでしょうね
#いやみでもなんでもない..ミニマルでもなければtone clusterでも
ないし、12音でもなく、アフリカンなリズムでもないので
そうとしか言いようがないですね
収録されている、Alan Hovhanessという人の作品も気に入りました。 邦人だと西村朗がヒンドゥー音楽をモティーフとした曲を書いてるな。 >>15
むしろ南〜東南アジア系じゃないか?ケチャ、ターラ、エクタール、インプロヴィゼーションetc・・・ 金子仁美 ねじれた時T・U・V
一柳慧 リズムグラデーション
福士則夫 グラウンドT・U グレイオブグレイ
新見徳英 風のかたち
ターラってインドのリズムじゃなかったっけ?
だったらヒンドゥー音楽でいいはず。 20世紀に入って打楽器の機能が上がったのと、新しい楽器が登場したのも重要な要素かな。新しいっていっても、昔からある単純な楽器が洗練されていったものだが。
>>16
ケチャって伝統芸能じゃないでしょ
ドイツ人画家だったかがプロデュースした新しいパフォーマンスアートじゃなかったっけ インプロヴィゼーションって南〜東南アジア系民族音楽に固有なのか? >>20
その通り。あれは1970年代に作られたもの。
ただし、原型になる音楽は存在していた。
>>21
ルネサンスのヨーロッパの音楽は、旋律のみが決まっていて伴奏やテンポ迄その場の雰囲気でインプロしてた。 >>1
着眼点はいいと思うが、ものすごく深い内容になっちまうな。 「いまどき、調性で作曲する作曲家は存在する価値がない」、これは、ピエール・ブーレーズの暴言である。
先日亡くなったシュトックハウゼンもその一人だ。この連中は、報道出版産業と癒着これを独占し、
彼等の言動を圧力的に発信した。言論の権力と暴力をを振るったのだ。国際的にも「現代音楽マフィア」
と呼ばれた。私はまだいい方で、別宮貞雄さんなどはもっとひどい目にあった。1960年代が一番ひどかったが、
次第に影響力を低下させ、昔日の力はいまはないかもしれぬが、彼等の暗示はまだ残っている。
「現代的」であるために、「古い」と言われないために、どれだけ若い才能が不自然に自分をいつわり筆を
曲げたか、いまでも曲げているか。進歩の幻想、いや、Popperにならい「迷信」と断ずべきである。
この迷信を売って商売した所もある。「いまは新しいから分りにくいが、時間が経てば真価が認められる」、
こんな言い方を盛んにふりまいた。げてもの商品の先物取引である。こんな手形は決して落ちない
不渡りものである。先物取引が商売になったのだ。私がかつて、「現代音楽原野商法」と名付けた通りである。
>>27
面白いというか、元気な人だな。
既に何を言っても許される、双六でいえば上がっている人。
満ち足りた余生を送って欲しい。
フィリドール兄弟は古典に分類されるが、現代ってのはどこからになるんだ? これを聞いてみてくれ、3分以降な。
1.Camerata en Guaguanco
http://es.youtube.com/watch?v=wvR3yvDC3ZE くだらんことはないだろ。
ゲソ的ではないけどもこれはこれでおもしろい。 ttp://www.youtube.com/watch?v=ziQjykdLDVU
クセナキス ルボンB なぜ現代になって打楽器曲がドンと増えたんだ?
楽器の質が上がったのか?
旋律よりもリズムに目を向けるようになったのか?
管楽器に限界を感じた作曲家が増えたのか?