【いつでも夢を】青春歌謡を語ろう【高校三年生】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
遠藤&丘コンビ初のヒットは演歌である「襟裳岬」だろう。
この曲はB面曲だったが大ヒットしてただの寒村だった襟裳岬が
町名まで変えるほどの観光地になった。紅白のトリでも2度も歌われている。
その後二人がなぜ青春歌謡コンビとして組むことになったのか経緯を知りたい。 >>50
また知ったかジイサンの無駄なレポートかw 遠藤、丘両氏共に高校へは進んでいないのになぜ学園歌謡を作ったのか。 >>50 その後二人がなぜ青春歌謡コンビとして組むことになったのか経緯を知りたい
特にコロムビアが意識してこのコンビを組ませた訳ではなく,結果としてこういうコンビの作品になっただけの事。
そもそも丘灯至夫を昭和30年頃「高校三年生」の原型となる詞を岡本敦郎が歌う事を想定して書いたが、この時代は歌・岡本敦郎、詞・丘灯至夫、曲・古関裕而のトリオでヒットを出していた訳で
(たとえば「高原列車は行く」「あこがれの郵便馬車」等、岡本敦郎の一連の乗り物シリーズのヒットはこのコンビの作品)
当然、丘はこのときの「高校三年生」も作曲は同郷の先輩古関裕而を想定したらしい。ところがこの企画は立ち消えとなり(岡本敦郎は当時既に30才を越えていたのだから当たり前の話)
その後,長年にわたって丘はこの「高校三年生」を歌える歌手が出ることを期待して温めていた訳だが、遠藤教室にデビューを控えてレッスンに励む18才で高校卒業を控えた上田繁幸と言う青年がいる事を知り
デビュー曲の候補の一つとして「高校三年生」の詞に上田繁幸青年の師匠である遠藤実が曲を付けて世に出たのがまさに舟木一夫が歌う「高校三年生」だったのである。
前にも書いたが,舟木一夫はデビュー前に遠藤実と浜口庫之助の2人の作家のうちどちらに師事したいか聞かれ、舟木自身が遠藤門下を希望したということもあったので、
ここで図らずも、丘灯至夫の作品を遠藤実が作曲する、このコンビの新機軸である学園歌謡が誕生したのである。
そもそもそれまで丘灯至夫が組んだ作曲家と言えば、やはり同郷の古関裕而が一番多かった訳だが、「高校三年生」を古関裕而が作曲すると言う可能性は
舟木と古関に接点がなかったので,可能性は全くなかったという事になるだろう。
おそらく丘灯至夫の腹の中にも「高校三年生」を演歌の遠藤が作曲するとは、よもや想定はしなかっただろう。 ちなみに、52氏の問いの答えは、丘が「高校三年生」を書いた時のエピソードにも出てくる。
丘がまだ作詞家と新聞記者の二足のわらじを履いていた時代に,丘が新聞の取材で出掛けた東京の松蔭学園高校の校庭で
男女学生がフォークダンスを踊っているのを見て、本人曰く「腰が抜ける」ほど驚いたらしい。
丘の青春期は男女が手をつないで踊るなど考えられもしない封建的な時代だったし,丘自身は病弱で学校にも満足に通えず学園生活を謳歌するどころか
故郷の福島の温泉地で療養する生活が続いたので、戦後の新しい時代の若者が男女揃って踊る光景がうらやましく映ったと丘自身が後年述懐している。
だから「高校三年生」の詞の中で丘自身にとっての一番の肝は、2番の「フォークダンスの手を取れば甘く匂うよ黒髪が♪」と言うフレーズということである。
つまり丘灯至夫自身が学園生活へのあこがれを書いたモノであり,この詞を受け取った遠藤実も貧しさ故進学できなかった境遇なので丘同様に学園生活の憧れをこめて曲を付けたのである。
「高校三年生」が発売された昭和38年当時はまだまだ高校進学率は高くなく、中卒で就職する青年も数多くいたが,この「高校三年生」は丘や遠藤同様に高校三年生を体験できなかった多くの人々にも
多大な支持を集めたのは、まさに「学園生活への憧れ」が丘と遠藤によって曲の中に織り込まれていたからに他ならないと感じる。
3番の最後のフレーズ「クラス仲間はいつまでも♪」という部分は、クラス仲間に限らず職場の仲間にも置き換える事ができるし、
高校という舞台設定を示しながらもあらゆる立場にいる青年達の友情や絆を歌った応援歌として若者に受け入れられたからこそ戦後三大ヒットとまで言われたくらいのヒットになったのである。 このスレで、年配者の書き込みを薄汚く罵る輩が居るようだが、
まともな歌謡曲を語る書き込みに着いていけないと言うか、
長文を読む読解力が無いんだろうな・・・南無・・・。 >>60
そっくりそのまんまあてはまるジジィもいるよ
あの駄馬に蹴られたのかも・・・・お陀仏・・・・ 「あまちゃん」で 《いつでも夢を》 が取り上げられたので、橋のファンが
橋も「紅白」に出られるとのたもうておられる。
あの歌は吉永小百合様とのデュエットなんだがねぇ・・・
おめでたい話じゃな。 吉永のババ声は不快だから朝ドラのヒロインとデュエットすればいい >>62
「いつでも夢を」はそもそも吉永小百合の歌なんだから、吉永小百合が紅白に出てもいいと言わない限り紅白出場は無理な事。
橋幸夫のソロではこの曲の本質はつかめない。橋は吉永小百合の歌唱力の甘さを補完するためにデュエット役に抜擢されただけの話で
今になってあたかもこの曲が「橋幸夫の曲」だと思い込ませるのは大間違い。
それは、吉永小百合のデビュー曲「寒い朝」と、第二弾の「いつでも夢を」を続けて聞けば、
吉田正が吉永小百合の曲作りをどういう方向性で考えていたかが分かるし、吉田自身が述懐していたように
「小百合ちゃんの清純なイメージをそのまま曲にしたのがいつでも夢をだった」という言葉の重さも理解できるだろう。
「いつでも夢を」は吉田正が,吉永のデビュー第二弾の曲として書いた曲なのだから、吉永抜きでこの曲を語れる訳が無い。 別に橋幸夫とのデュエットで無くて、吉永単独で歌った方が良かった
かも知れんな。 吉永小百合はデビュー曲「寒い朝」でマヒナが参加している。
これは吉永の歌唱力の甘さを補完する意味で、女性デュエットで結果を出していたマヒナをバックに付けたわけで
マヒナがバックに付いた事で寒い朝のイメージが強調され、それを乗り越えて春に向かって頑張ろうと言う曲のテーマの演出に成功したが
吉永の第二弾「いつでも夢を」は吉田正は最初から吉永のソロを想定して曲を書いた訳だが、やはり歌唱力の甘さをビクターのディレクターに考慮されて
当時ビクターで男性若手人気ナンバーワンだった橋幸夫がデュエット役に決まったと言う経緯がある。
だからあくまで吉永小百合抜きの「いつでも夢を」は曲の本質的に合わないのである。
橋幸夫はデュエットを務めたが、それは吉永小百合の歌唱力の甘さが生んだ結果であり,純粋に「橋幸夫の持ち歌」とは言い切れない部分がある。
吉永小百合に,同時期の同じく映画女優の倍賞千恵子くらいの歌唱力があったなら当然ソロでこの曲を出して大ヒットを得ていただろう。 吉永小百合の持ち歌でもあり、橋幸夫の持ち歌でもある。
橋にリンゴの唄の霧島昇、青い山脈の奈良光枝のような影の薄さはない。 >>68
それは当たり前の話。吉永小百合は女優であり歌手活動はしていないのだから、
時代が経ればプロ歌手である橋幸夫の方がステージ等で歌う機会が多くなり当時を知らない人間には
橋幸夫のソロ曲だと思い込む人が出て来てもおかしくない。
あくまでこの曲の出自は吉永小百合本位であったと言う事実を指摘しているまでの事で、
吉永小百合の存在が無ければそもそもこの曲は世に出なかったのである。
吉田正は生前にテレビの自身の記念番組でこのことを述懐している。
だから厳密に言えばこの二人がデュエットしない「いつでも夢を」は、曲の本質的意味を為さない。
返す返すも吉永小百合の歌唱力の甘さが残念である。 2人とも下手だったから、帳尻が合って、違和感がなかったのだろう。
吉永の若い時は、言われる程下手ではないと思うけどね。
「踊り子」や「天満橋から」などはそこそこ聴ける。
ただし、50過ぎてからは酷い。 >>70
みっともないから、くだらんレスはやめとけ
、 青春歌謡というのは特に女性歌手の場合美声が絶対条件。その上器量も求められる。
とにかく歌唱力は二の次でも構わないから清い声で、その上可愛らしく甘い声ならば完璧。
過去に青春歌謡を唄った女性歌手で低音や嗄れ声はいないしブスもいない。 橋幸夫は紅白で単独で「いつでも夢を」歌った事 2回くらいあるよ。 つまらんジジイがつまらんコトばかり書くスレかここは >>73
昭和37年の紅白では吉永とのデュエット。
昭和45年の紅白で本来なら「俺たちの花」を歌う予定が急遽「いつでも夢を」に変更になった。
後は平成になってから久しぶりの出場で「いつでも夢を」を歌ったが、昭和42年以降は吉永の紅白出場は無いので
橋幸夫のソロになったのだろうが、これこそまさに「庇を貸して母屋取られる」の典型と言えるだろう。
こういう積み重ねがいつの間にか「いつでも夢を」は吉永の曲ではなく橋幸夫の曲だと誤解されるようになった所以と言えるかもしれない。
あくまで「いつでも夢を」は吉永小百合を想定して作られた吉永&橋のデュエット曲であることは明確にしておかないと作者吉田正の意に背く事になるだろう。
ちなみに吉永小百合は膨大な数のレコードを出しているが、その中でも代表的なヒット曲は全て男性ソロ歌手かグループとのデュエットである所が面白い。
「寒い朝」「いつでも夢を」「明日は咲こう花咲こう」「勇気あるもの」・・・・・ 中学生の頃、御三家が全盛だった。
クラスの女子の中で、オムツがあんまり良くなく、不良掛かった女子は西郷のファンが多く、
大人しく成績が優秀な女子には舟木が人気があった。
橋のファンは殆どいなかった。 >>76
そういうあなたはオムツ(笑)が良くないのですね >>76
かつて玉置宏の記念番組で御三家が総出演した番組で、玉置宏が御三家の3人の当時のファン心理を明快に説いた事がある。
つまり、遊び相手として見るなら西郷輝彦、結婚相手として見るなら舟木一夫、そして橋幸夫は何かベールに包まれた向こう側に居る大スターというイメージ。
これは青春歌謡ブーム時期におけるこの3人の立ち位置を明快に示している面白い指摘だと思う。
つまり、橋幸夫は戦前のスター歌手から続くラジオやテレビの向こう側にいて手の届かない大スターの系譜上にいる歌手なのである。
ところが1960年代青春歌謡ブームは、前にも書いたように当時の若者世代の身の丈の青春を描いた作品であるから、当然その歌い手も身近な存在のイメージを持たれないと成り立たないのであったが、
舟木の詰め襟は、ベールの向こうにいる手の届かない大スターではなく、あくまで自分達若者と同じ目線で同じ身の丈にいる歌い手であるという親近感を植え付けたからこそ大ブームの火付け役になったのである。
基本的に「アイドル」とは手の届かない遠い存在では存在意義が無い。身近にいそうなタイプで自分達と同じ目線で歌うスターこそ「アイドル」なのであり、そのハシリが舟木一夫の詰め襟だったと思う。
だから舟木一夫は青春歌謡ブーム全期間を通してプロマイド売上では橋や西郷を寄せ付けず独走状態だったのである。
76氏の指摘の通り、当時の保守的な女の子の人気を一身に集めるようなキャラはやはり舟木一夫の優等生イメージがダントツだったのだろうと思う。 半世紀も昔のひからびた話題で、よく遊べるねえw
ここのアナクロジジイたちはw
いまだにこんなどうでもいいことが、ここのジジイには日々のよすがに
なってるんだろうねえ
さびしい人生だねえ
特に>>79のジイサン、可哀相だねえ
滑稽だねえw
、 >>78
私は舟木ファンなので、当然オツムが良い 優等生でありましたよ。
>>80
ここはそう言うスレですから、興味のない方は来ないでね。 僕は石原詢子大ファンで、詢子のションベンした後のオマンコでも舐める覚悟の、
『奈良のダイスケ』股の名を『クレヨン赤時』ラジオ大阪では『クレヨン赤ちゃん』だw
僕のカキコ読め!!!!!!
11月28日(水)プロムナート82.4エ 「フエムもりぐち」ゲスト:演歌歌手:石原詢子さん,宛、
詢子さん、25周年記念「よりそい草」大ヒットしてますね。
この前は、NHK「歌謡コンサート」テレビにて楽しませてもらいました。
無口になり、シッカリと詢子さんの歌声聞き取りましたよ。もちろん録画もしました。
これで、また、オリコンチャートの方もアップし、年末あの番組出場にも名が発表!!!されるのを心から応援しています。
来年が、25周年本場ですし、記念リサイタル・アルバム・DVD,ほか、色々と楽しみにしていますよ。
リクエスト:石原詢子さん
「よりそい草」
奈良県 大和郡山市
ラジオネーム:応援団ファン一同,17年歴 クレヨン赤ちゃん 33歳
(赤時 大介)
文句はココに書き込め!↓
http://6110.teacup.com/0112/bbs
俺こと奈良のダイスケが見つけたサイト ↓
http://www.dainipponshinseikai.jp/naitou.html
|:::ハ:.:.:.:.:.:i:.:.:i.:.:i./.:.://メノ 左ォ}::::ノ::ノノ
|::::i:::';::::::::l、::i:::ハ:/,ィチ爪' {ヒチ'!::イイ
|ハ::::::ヾ::::ハ 'Vリ ゙´ {、込ソ ゛″!:::i:.:l
|:.::ト、:.:.:ヾ:.ハーi| :::::::: 〉 ノ::::i::.|
{:.:.ト、ヾ.:.:.:ヾハ lト、 _, , イ:.:.:.:i.:ハ
ヾ::ヽゞ、\.::.\!! ヽ、. ´ /!.::!.:.i:.:!:.!:l
, '" ヾ\ \:::::::::k /` ー ' `メ'リ:.:.ノ.ノ:ノノ
/ 川 リllVハ. ( i `\ ,イイ// //
/ |l ̄`ヽ ノ `メ、
,/ {:} `ー'- ニ_
,/ _∠ |l \ , \
/ _ ,. イ´: |l \ ,λ
/ -‐‐‐-<´ .! / |l ' , _,ィ'ンy}
〈 \ .ノ`ー斗rェ,,_,_,_|l ,.ir'彡イy-´ !
`ヽ、 ` ' <._ {jt=t-t-ミ`^Yーrヘr-彡'水k} !:} .ノ
` ー- .._ ` -ヽ. l`亠^{:i ̄ {:リ |ハ ノノ/ノ
_,. -‐ '  ̄ ´ ̄` ー- 、 \{{ {:l {:i ノ_,ィニ_ン´
// `ヽ 、\ \ {:l {∠ニァ--'
/ / `ヽミニ>ァ┴ '´
/\V| /
./ ヾ.、 ,. ' ´ 私は青春歌手と云うのなら
美空ひばりと島倉千代子を
挙げるよ。
どちらも10代でデビューしたんだが
^可愛かった^事。
美空ひばりの「越後獅子」
島倉千代子の[恋しているんだもん」
なんかは最高でした。
映画で見たひばりちゃんの子役の
「越後獅子」なんか本当に^最高^でした。
なんでも鑑定団 愛のエメラルド 男子では一人
お忘れじゃァありませんか。
圧倒的に若者の心を掴んだ
銀幕のスター
ナイスガイ小林旭 。
小林旭を除いて
青春歌謡は語れない。
なんでも鑑定団 愛のエメラルド オリジナル演歌の作詞・作曲を行っています。
youtube.com/user/enkahanamichi
に演歌曲をアップロードしていますので聞いてみて下さい。 涙の谷間に太陽をのように児童合唱団と歌う青春歌謡はありますか 20年前の映像のようだが、御三家が揃っている動画を
発見した。三人ともイイ表情している!
https://www.youtube.com/watch?v=Ald4AOiXBAM 戦後 日本人の心に残る4大歌謡曲と言えば
「りんごの唄」「青い山脈」「上を向いて歩こう」「高校三年生」と
言われているそうじゃ。 >>90
あゝ上野駅
それはそうと先日、TBSで放送された爆問が司会の番組で三田明の過去を特集してが、かなり違和感を覚えて見てた。
というのは、若きし日に自ら強行した顔の整形のことだが、番組ではS50年代、自室で調理中の鍋の油が発火して顔にヤケドを負い手術した所為だと報じてたのだが、
どう見ても時系列を曖昧にしてる上に話を擦り変えてると思った人は多いのでは…? 愛読者が選んだ今月のベスト30
01 ブルー・トランペット 舟木一夫 (5161)
02 まだみぬ恋人 加山雄三 (4998)
03 初恋によろしく 西郷輝彦 (4760)
04 今夜は踊ろう 荒木一郎 (4212)
05 シンガポールの夜は更けて 橋 幸夫 (3649)
06 二人の銀座 山内 賢・和泉雅子 (3600)
07 レット・キス 坂本 九 (3008)
08 勇気あるもの 吉永小百合 (2875)
09 帰りたくないの 園 まり (2643)
10 夜空を仰いで 加山雄三 (2572)
11 なんとなくなんとなく ザ・スパイダース
12 想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ
13 恋人ジュリー 三田 明
14 霧の摩周湖 布施 明
15 白樺に涙あり 都 はるみ
16 霧氷 橋 幸夫
17 絶唱 舟木一夫
18 夢は夜ひらく 園 まり
19 夜霧よ今夜も有難う 石原裕次郎
20 禁じられた愛の言葉 島 和彦
21 柳ケ瀬の女 美川憲一
22 マァいろいろあらァな 東京ぼん太
23 信じていたい 西田佐知子
24 眠られれぬ夜のブルース 青江三奈
25 恋人をさがそう 西郷輝彦
26 赤い風船 加藤登紀子
27 何処へ ブルー・コメッツ
28 忘却 城 卓矢
29 君が好きだよ 佐々木新一
30 女の波止場 森 進一
次 君こそわが命 水原 弘 1964(昭和39年)3月
[平凡](開始前)
[明星](第6回)
(1)学園広場(舟木一夫)
(2)白い制服(橋幸夫)
(3)美しい十代(三田明)
(4)仲間たち(舟木一夫)
(5)こんにちは赤ちゃん(梓みちよ)
(6)若い明日(北原謙二)
(7)夕陽の丘(石原裕次郎、浅丘ルリ子)
(8)私も流れの渡り鳥(三沢あけみ)
(9)みんな名もなく貧しいけれど(三田明)
(10)高校三年生(舟木一夫)
(次点)長崎の女(春日八郎) 1967(昭和42年)6月
[明星](第45回)
(1)星の広場に集まれ(舟木一夫)
(2)ブルー・シャトウ(ブルー・コメッツ)
(3)君こそわが命(水原弘)
(4)夜霧よ今夜も有難う(石原裕次郎)
(5)恋人をさがそう(西郷輝彦)
(6)バラ色の二人(橋幸夫)
(7)二人だけの海(加山雄三)
(8)カリブの花(三田明)
(9)勇気あるもの(吉永小百合)
(10)なんとなくなんとなく(ザ・スパイダース)
(11)女の波止場(森進一)
(12)紅の渚(荒木一郎)
(13)帰りたくないの(園まり)
(14)いっぽんどっこの唄(水前寺清子)
(15)霧の摩周湖(布施明)
(16)待ち呆け港(都はるみ)
(17)喜びの日の涙(美空ひばり)
(18)ギター子守唄(加賀テツヤ)
(19)新宿ブルース(扇ひろ子)
(20)こまっちゃうナ(山本リンダ)
(21)花はおそかった(美樹克彦)
(22)レット・キス(坂本九)
(23)今夜は踊ろう(荒木一郎)
(24)一心太助・江戸っ子祭り(舟木一夫)
(25)殺陣師一代(橋幸夫)
(26)願い星叶い星(西郷輝彦)
(27)小さな倖せ(ザ・ワイルド・ワンズ)
(28)星空の二人(山内賢、和泉雅子)
(29)女っぽいね(マヒナ・スターズ)
(30)信じていたい(西田佐知子)
(次点)限りある日を愛に生きて(大形久仁子) >>95
「ギター子守唄」ってそんなに売れたのか。
どうりで中古市場で良く見かけると思った。 このジャンルにLivin' La Vida Loca(アチチアチ)の元祖みたいな曲があったような。
ラテン系の楽曲と演奏にテケテケエレキがからむやつ。 音楽に精神性を求めるのってメタルだけなのかな?
あれはメタルだ、これはメタルじゃないっていう区分ってすげー不毛だと思うのよね。
つまり、Burrn に B'z 載ってもいいじゃないっていう。
さすがに Perfume や米津玄師が載ったらそれはジャンル違うじゃない?と思うけどw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています