助詞「の」は不必要
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助詞「の」は和歌文化において字数を調整するために用いられた言葉であって、
日常においては無用なものである。
■和歌における「の」活用例
ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲
↓省略しても意味は変わらない
ゆく秋、大和国薬師寺塔上なるひとひら雲
こうした、文章を冗長させる助詞「の」は日本語文法から抹殺すべきである。 現代日本語の文法に実は「の」は不要なんじゃね?
的なスレならもっと伸びそうなのに、抹殺が前提なのは…。 それでは「実は『の』は不要なんじゃね?」に訂正するので、諸君見解を述べられたい。 古代日本語では助詞は未発達で、後の時代になってからきちんと揃ったんだよね。
そういう歴史的な経緯を無にするようなことには賛成できない。
他の膠着語や屈折語と対応させるときも困るし。 まあ似たような韓国語のeuiや中国語の的よりも使用頻度は確かに多い
英語でもofとか-'sをこんなに連続して使ったら悪文もいいところだろう 私の本
私本
あなたの本
あなた本
のは必要だった…… 740 :今日のところは名無しで:2013/11/09(土) 01:38:41.99
>>732
そうそう 馬の話しは他所でしろ
あと、ナマポなら嫌嫌でも関わってくれてる周囲の人達の為にも1日でも早く精神科にい行く事をお勧めする
807 :今日のところは名無しで:2013/11/10(日) 00:34:26.72
>>804
>>740の「話し」を文法的にご説明願いますw
814 :807:2013/11/10(日) 00:41:53.93
>>809
>>740の「話し」は「馬の」の後にあることから、名詞と判断。
つまり、名詞であることから、「話=はなし」+「し」
よって、>>803への回答としては
「はなしし」
でいいのかな?w
816 :今日のところは名無しで:2013/11/10(日) 00:44:42.25
>>814
頭悪いね君
>>732には
「そうそう 馬の話しは他所でしろ」と書いてあるのであって、
「馬の話し」で終わっているものではないのに名詞と判断する君はまちがい。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/okiraku/1382226081/740-999 あしびきの 山鳥(やまどり)の尾の しだり尾の
長々し夜を ひとりかも寝む 「の」は多言語だとhaveに相当する動詞なのか?
英助詞は「が」相当のisならわかるけど
助詞で所有格表現するのは日本独自? テキとウィはのと同じ使い方ですか?
例えば進撃の巨人は
進撃テキ巨人と進撃ウィ巨人ですか? 進撃の巨人の例ではそうだね
http://img4.17dm.com/img/pic/litimg/140604/1R555J209352.jpg
https://rv.wkcdn.net/http://rigvedawiki.net/r1/pds/Attack_on__Titan_01.jpg
ただ使い方にもちろん差はある
一般的に日本語の「の」は他二者に比べて出現頻度が高いと言われる >>17
勉強になりました
ありがとうございます
やはり特亞の言語は共通点多いんですね >>8,15
韓国語で「eui」って書いてるけど「ui」じゃないの? それは韓国語のローマ字表記法の違い
ちなみに「の」の意味にあたる助詞の場合は
ハングルでこのよう(eu+i)に綴るけれども
実際の発音は「e」になる そうか「으」を「eu」と書く方式でも「의」は「ui」なんだね
申し訳ない
言い訳を言わせてもらえば、
・ふだん使ってるローマ字→ハングル入力方式(工振庁ローマ字?)では
euiと打たないと「의」が出てこない
・芸能人などで「Eui」の綴りを使ってる人がけっこういる
(Jung Eui Chulとか)
ので間違えた >>24
>・ふだん使ってるローマ字→ハングル入力方式(工振庁ローマ字?)では
> euiと打たないと「의」が出てこない
>・芸能人などで「Eui」の綴りを使ってる人がけっこういる
> (Jung Eui Chulとか)
>ので間違えた
いえいえ、間違い易い状況とは知らなかった。お気になさらずに。 以前からインターネット上のニュース記事やブログなどで、
以下の「」内の文のような「の」の使い方を見かけるたびに
違和感を感じており、私は以下の「」内のような文の場合は
「の」を「が」にするべきだと思っていますが、以下の「」内の
文のような「の」の使い方は適切だと思いますか?
「彼はオランダやスイスに旅行することの多かったという。」 >26
訂正。以下の部分で、ちょっと表現を間違えました。
[私は以下の「」内のような文の場合は「の」を「が」にするべきだと思っていますが]
「するべき」とまでは思っていないので、考えを以下に訂正します。
[私は以下の「」内のような文の場合は「の」を「が」にしたほうがしっくりくると思っていますが] 中国語の「的(de)」は形容詞と名詞を結ぶときにも使われるため
脳内変換で勝手に「的」を「の」にしてしまう中国人が多い
例:美麗的風景(美しい風景)→きれいの景色 私の部屋の奥の机の上から二番目の引き出しの奥の赤いペンを取ってきて >>28
それだけじゃない
「的」は名詞的関係節(連体修飾語)にも使うので
私が昨日買ってきたの服←我昨天買来的衣服
のように日本語の動詞の連体修飾語に「の」を付けてしまう中国人は非常に多い 何で中国人や台湾人は
助詞の使い方がオカシイんだろ
中国語の助詞は
日本語、程使い勝手がよくないから
しょうがないんだろうけど >>32
>中国語の助詞
なにが「少ない」だボケ
そんなものあるわけないだろキチガイ
助詞が存在するのは膠着語だアホ 不要な助詞なんてないよ
>>33
中国語にも漢文にも助詞はあるよ
格助詞はないけど語気助詞や構造助詞があるし、介詞の役割はある程度格助詞に似ている
格助詞のつもりで助詞と言ってるのなら、膠着語でも格助詞を持っていない言語なんていくらでもある
膠着語という用語をいわゆるアルタイ系の言語みたいな意味で使っているのならそれは狭すぎる
スワヒリ語だってインドネシア語だって膠着語だ
>>35
「に」は移動の終着点、ほか用法多数で直前は人間も場所も物も可(○先生に送る ○先生の所に送る)
「へ」は移動の方向のみで直前には方角か場所しか来ない(×先生へ送る ○先生の所へ送る)
「海に行く」は到着が確定している
「海に行ったら混雑していた」「海に行って泳いできた」
「海へ行く」はだいたいその方向に移動を開始するというだけで到着は視野にない
「海へ行こう」「産卵を終えると川を海へと下っていく」
動詞や状況との組み合わせでどちらを使うかはだいたい傾向として固まっていたのだが
読書体験の少ない人が多くなったせいか「へ」を使う動詞が増えつつあるのと
使用範囲の少ないぶん「へ」を「に」の高級表現・正式な言い方だと思ってる節のある文章もちらほら
だから以前はなかった「〜へ対する」「〜へ着いた」などがよく見られるようになった
そもそも漢文訓読体には「へ」が無いので「対する」のような漢文訓読から生まれた動詞は
移動の方向かなという時でも「に」を使う >>36
んなルール誰が決めたんだ?また国語学会の人間か?
「あなたへ送る言葉」なんてのも非文だっつーのかよ
言語の変化を認められない偏狭な国語派の人間は言語学を語るな >>37
非文だなんて誰が言った
あなたへ送る言葉←あなたが聞いてくれるか、受け取ってくれるか、理解してくれるかどうかはわからないけれど
送りたいという私の意思を示した
あなたに送る言葉←あなたが聞いてくれること、受け取ってくれること、理解してくれることを期待し
また確実にそうしてくれると思って送る
意識すればニュアンスを使い分けることもできるぞ >>37
昔なら間違いなく非文だったろうな
どっちみち規範を決めるのは統計であって言語学そのものじゃないよ
反発するのはお門違い
国語学会って今あるのか? ggrks (AAry
国語学会は2004年に日本語学会に改名した。 >>37は変化を進化と勘違いしてる変化万能主義者だろ
お前の説明では「へ」と「に」はどう違うんだ?
簡潔な説明をしてみろよ >国語学会って今あるのか?
「て」を主格の如く使う知恵遅れが増えたよな。 日常会話ではたしかに助詞が省略されることが多いが、「の」だけは例外。 >>36
日本語の「へ」と「に」の違いについてのその説明は、
まるで英語の前置詞forとtoの違いについての説明を読んでいるかのようだ。 「便所に行く」
便所に行ってその便所に入ってそこでうんこする。
「便所へいく」
便所のある場所には行くがその便所に入るとは限らないしうんこするとも限らない。
こういう理解でいいのか? >>48
たぶん、いいと思う。
「便所に行く」:便所まで行き着く 転じて 便所の用途どおりに用を足しに便所に行く。
「便所へ行く」:便所に向かうが、便所に入るとはかぎらないし、用を足しに行くとも限らない。
便所の入り口付近で友達同士ひそひそ話をするために行くだけかもしれない。 たしかに、「に」ではなく「へ」を使うと、遠方にある場所や人を不確実に展望しているニュアンスが出る。
「に」になるとatやtoのニュアンスが出て、その目的点と確実に接触するニュアンスが出る。
だから、「この手紙が遥か遠方のAさんのもとへと無事届くといいんだけどなあ」みたいなニュアンスが「へ」にはあり、
「この書類をAさんだけに確実に手渡しして欲しい」というニュアンスが「に」にはある。 「向かう」というのもある意味では当たっている。
「へ」はその道のりが遠くて届くまでの過程にさまざまな経路と困難や経緯があることを想定している。
「に」はもっと直接的。その目的点を直接指し示している。道のりや媒体を考えていない。ワープしているイメージ。 「に」は、1. 目的地が点で排他的、2. その過程や寄り道を考えず、極めて直接的
「へ」は、1. 目的地がやや漠然としている、2. その道のりがあり、到達するかどうか不確実さがあることを考慮 無駄、無駄。
現代の日本語では「へ」は「に」でほぼ代用できる。
「へ」が含んでいる微妙なニュアンスも「に」+αでほぼ表現できる。不自然にならずに。
要するに「へ」は現代日本語では確実に廃れてきているんだよ。風前の灯火。
おそらく100年後か200年後の日本語話者の間では教養のある人以外に知らない古語になっているよ。 >>56に同意
「へ」と「に」に意味上の差なんてない
少なくとも現代日本語話者のほとんどはそういう認識だろう
若干「へ」の方がフォーマルというモダリティの違いがあるだけだ 「に」と「へ」の違いを論じているのに、
「行く」を「向かう」に変える奴なんなの? >>54
彼に贈り物
彼へ「の」贈り物
慥かに「に」のはうが直接的になりますな。「へ」のはうは少しぼやける感覺でも
あるし、「に」と違ひ助詞「の」を後接させることも出來ますね。
かなもじかい等の連中は「へ」は「エ」と發音され、一字一音の原則を強制出來ない
事から潰したいだらうし、移民推進派の連中も接續が煩雑になる「助詞+助詞」の面倒
な用法はなるべく葬り去りたいだらうから廢れて行くのでせうな。
ここでも胡散臭いのが煽つてゐますしね。 「へ」を使うと「行く」が「向かう」という意味で使わたのと同じような
ニュアンスになると言いたいんだろう。
実際、「行く」という語の中には「目的地へ向かう」という意味も含まれている。
「行く」の意味とは「どこかへ向かうこと」だと言われてもだいたい通用するくらいだ。
語の意味なんてのはそんなもんだ。 「この手紙をA君だけへ渡してね」よりも
「この手紙をA君だけに渡してね」のほうがしっくりくる。 >>62
「だけ」要らなくないか?
「だけ」を挟まなければどっちでも大差ない。
というかどんな手紙やねん。
初めから一通しか無いなら「だけ」は要らない。
誰も経由せず、おまえが直に渡せってことか? >>63
「だけ」を入れることで「に/へ」の区別が明瞭になる例を挙げたが、
仮に「だけ」を省いたとしても、
「この手紙をA君へ渡してね」はどうもしっくりこない。
「この手紙をA君に渡してね」のほうがより正常な日本語ではないかな。
「へ渡してね」だと人から人へバケツリレーをしてA君のもとへ届けてもらうのかと思ってしまうw >>65
むしろ「へ」の方を規範的正則的に感じるのだが。 「へ」「に」どちらも正常な國語であり、無理やり二者擇一に持ち込む論法は詐術
と言ふ他ありません。 >>66
「この手紙をA君へ送ってね/A君のもとへ届けてね」ならまだ規範的だと思えるんだが、
「に渡す」よりも「へ渡す」のほうが規範的だと思うのはかなり意外だ。
「へ渡す」のほうは「船を向こう岸へ渡す」の場合なら分かる。 >>69
いや、この例文においてだよ。
話者は相手に、手紙の送達を依頼してるんだから、
物理的か心理的か時間的かは分からないけど、A君との間に相当の距離がある。
自分でも渡せる近しい距離で、「この手紙をA君に渡そう」とかなら、「に」でいいだろうけどね。 >>70
「だけに渡してね」のほうが「だけへ渡してね」より自然なように、
その例文の場合の「に」にはその距離はどうあれA君に確実に手渡しされることが想定されている。
依頼された相手がA君の所在を知っていて直接A君に接触して手渡してくれるだろうと。
「に」のほうが適している。
「へ」だと依頼された人がまた郵便で送るみたいなニュアンスが加わる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています