日本語の送り仮名は変ではないか?2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
1. あぶない
2. 危ない
3. 危い
スマホやパソコンだが確実に2の書き方をされると思うが
手書きだとどうしてる?
前スレ
https://academy4.5ch.net/test/read.cgi/gengo/1110905866/ 3だと あやうい との区別が付きにくいから
危い(あぶない、あやうい) よりは
危ない 危うい の方が便利なんだよね もう面倒臭いから訓読みの漢字は「常に最初の一音節だけを表す」ことにしようぜ
危ぶない 危やうい 臭さい 表らわす 慮もんぱかる 承けたまわる >>3
脅かすと脅ゆ/怯ゆ(おびゆ=脅える/怯える)が元々あって
脅ゆの使役動詞の脅やす(おびやす)が俗語形の脅やかす(おびやかす)になった
そしてこの俗語形が大勢を占め標準的に使われるようになった
だから本来は脅かすと脅やかす/怯やかすのように書き分けるのが正しい
が、字数が多いと当然利便性に欠ける側面が出てくる
そのうえ抱く(だく/いだく)のように元々文脈で読み分けなければならないものも少なからずあった
そのため最終的には現在のように書き分けせず文脈で読み分ける方式が一般的になった 戦後の新送りがなについてはここの住人はどう思ってる? 先生の教え方がまずいよね
小学校の段階ではある程度定着しないのは仕方ないとは言え
中学で口語文法を習った時点で
もっと文法と絡めて教えたほうがいい
五段活用と上一段・下一段活用、自動詞と他動詞
といった対比をしながら送り仮名との関係を教えるとわかりやすい >>7
行く、行った
行う、行なった
通う、通よった
通る、通(お)った
区別が必要な範囲で臨機応変
口語を無理矢理文字起こしする場合も同様
ひび → 日々
ひにち → 日日、日にち
きょうび → 今日日 「日々」は訓読み同士の畳語だから別だろ
「山々」「人々」のように普通に読み書きされる語
漢語にも似た現象があるので、「延々」「時々刻々」のように音読み同士でも成り立つ >>13
ごめん
日々は括弧書きするつもりだった
「ひにち」との対比で >>6
ていうかオビヤカスを「脅かす」と書く人は、
オドカスとの衝突の事なんて考えもしていないだろう
自動詞・他動詞と言うペアで考えれば、オビが語根で
オビエ・オビヤカ(s)がそれぞれ下一・サ五段の語幹だから
漢字を語根に当ててエ・ヤカを自他を分ける送り仮名として入れれば理に叶う また言語と文字をごっちゃにしてるやつがいるよ
ローマ字だけで日本語を読み書きしてる人にとってはそんな欠陥は存在しないのに 文字表記合わせて言語だろうが
そもそも文字の影響を言語が受けないとでも思ってんのか? ローマ字だけで日本語を読み書きしている人は世界中にいるよ
日本に暮らしていたことのある母語の異なる外国人同士が
ローマ字書きの日本語で手紙やメールをやりとりしている
また日本に派遣される欧米のキリスト教の宣教師も
ローマ字の日本語で説教を読み書きしている
日本人が思うほど日本語と言う言語は漢字と仮名に縛られてはいない
これが本当の現実 まぁ日本人は漢字表記を前提にしてそのまましゃべっているからな
同音異義だらけの漢語をそのまましゃべる
実際、文字と言語がいっしょくたになってる世界でも珍しい言語だろ
他人がしゃべる日本語を聞いて頭の中で漢字を想像してからあやまたず漢語の意味を取る作業をする 自分で思っているほど相手は自分と同じ漢字を思い浮かべていてはくれないんだけどね
気をつけていても配慮には限度がある みんなが漢字思い浮かべて喋ってるわけないだろ
漢字読めない人は思ったよりいっぱいいるぞ そもそも送り仮名を使う言語って日本語だけじゃないの? >>26
文脈から相手のしゃべっている漢語を特定する作業は無意識的にも随分とやっているだろうよ
>>27
漢字知らない外国人は当然そうだろうがね
漢字を知ってる日本人は相手のしゃべる漢語を忖度しながら聞いてることはあるよってことだ
>>28
そりゃ当たり前のことだが、だからどうなの それ言い出したら「変だからどうなの?」って話になる 日本人は変とも何とも思わずに今の日本語表記をしているが、それが世界的に珍しい‥‥だからどうなのかということだ
他にないようなことをすればそれだけでもう駄目と言いたいのか? こんな日本語の文字を考案した(画像有り)
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3689-0
こんな人工言語を作った
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3648-0 そもそも送り仮名を使う言語が日本語だけだとすれば、「他の言語と比べて」日本語の送り仮名は変だということはできないということ。 >>33
複数の送り仮名言語同士を比べて、一方が変で一方が変じゃないと言っているのではなく、
送り仮名を使う世界で唯一の言語である日本語が
世界の他の言語と比べて変だと言っているんだよ >>29
みんなが無意識にやっているからといって、
それが万全に問題なく行われているという保証はどこにもない
さらに言うなら他人が自分の言ってることを、
文脈も含めてきちんと受け取ろうとしている
と決めつけるのがそもそも間違い
自分が思っているほど相手は真剣に自分の話なんか聞いていないし、
自分で思っているほど自分自身も相手の話を真剣に聞いてなんかいない
そもそもそんな集中力を要するような作業を必須とすること自体
日本語と言う言語は音声言語として欠陥に満ちていることを意味している 唯一であることを「変」と評してしまうのが日本人の変なところだと思う
別にいいだろ唯一だって >>35
じゃ、あんたは同音異義のある漢語は口の端に上らせないようにしときな 日本のローマ字運動の人たちは同音異義語を避けるような心がけを古くから行っている
たとえば「宴会」は「沿海」と同音を避けて「utage(宴)」としたり、
「沿海」のほうをumizoiと表したりする
些細な心がけだが、言葉を使うとき、音に対してより敏感である事は、
視覚的情報にとらわれた漢字に依存した言葉遣いよりも、
頭の使い方としてはより一層気が利いていると思う くにのなまえがニホンという漢字語なんだが、まぁ、漢語をさけるようにすればローマ字でもかながきでもゆけるもんだ
あぁたもおやんなさい
>わがくにのローマ字をすすめるひとたちは、おなじおとでなかみのちがうようなことばをさけるここがけをふるくからおこなっている
たとえば宴会はうたげ、沿海をうみぞいとあらわしたりする
ちいさなこころがけだが、ことばをつかうとき、おとについて、よりこころがけることはめでみることにとらわれた漢字にたよったことばづかいよりも、あたまのつかいかたとしては、よりおおく、きがきいているとおもう‥ 言い返すことがなくなってとうとうそのまんま書き換えるだけになったか
中身のない形式だけの人間はよくそうなる 日本語、マヤ語、ヒッタイト語
借用文字の音訓や(日、ヒ)当て字、送り仮名
マヤ語なら後送りだけじゃなく前送りもある 漢字で書くよりもひらがなのままのほうが正確に表記できる場合もあるんだよな。
こういう場合は、ひらがなのまま書くべきではないだろうか?
辛い(からい)と辛い(つらい)
良い(よい)と良い(いい) 取説を作る仕事をしてるけど
極力誤解を回避するためにひらながで書くパターンはある
説明上多用する漢字や単語、文節なんかは一般的な文節で使うことは避けたりする
例えば「出」という漢字は説明書では多用する傾向があるから
「出来ます」ではなく「できます」と書いたりね
「よい」でも「いい」でも問題なく解釈できる場合は素直に「良い」と書くと思う 「よい」でも「いい」でも意味がそれほど大きく変わることはないからね。 昔は「よし」と言ったのが、「よい」となり、さらに「いい」と訛っただけだから、両者同じ言葉だな 口語で「よい」を使う人はあんまり居ないな
うちの職場の課長が普段の会話で「よい」(「それでよいんじゃないですか?」みたいに言う)を使うから
なんか「あれっ?」みたいな感じになる時がある
その人出身が秋田なんだけど地方によっても使用率が違うんだろうか
漢字変換で「良い」を出すときは"yoi"って打つのに 秋田では「良かった」も「い(orえ)がった」っていうぐらいだから
過剰修正だな 統一するべきだな
活用に合わせて送り仮名書けっての。偶に例外在るよな
本当勘弁 >>43
そういうのは新しい漢字を作るか既存の字に当てるべき。なぜやらなかったのか
働という漢字も国字な訳だしさ
歪(ゆがむ・ひずむ)、止(とまる・やめる)、辛(からい・つらい)、この辺りはほんと困る 言葉の意味を把握するのに文脈を読む必要がある場面が存在しない言語なんてあるの? >>51
有無というような極端な話ではなく、多い少ないの話
英語なんぞで「同音異議」なんてのは日本語における漢語にくらべれば極く少ないだろう 工夫次第で区別することができるのなら、工夫はした方が良いだろう 止まる(とまる)と止める(やめる)は区別できるんじゃないのか?
行った(いった)と行った(おこなった)は区別できない。 どんなに素晴らしいルールでも受け手が理解していないと通じない さすがにここで普及させればとか言ってる奴は頭おかしいと思う 今実際に使われている送り仮名のルールはすべて
整理して計画的に普及させた結果、使われている
受け手が理解するようになるのは教育の効果に過ぎない
たった1行、ぼそっと一言、頭がおかしいとか言ってるやつは何の根拠も示すことができていない 根拠?
「普及させれば」なんて具体的な手段なしに不可能なことくらい分かるでしょ
普及目的の手段が「ここでレスバ」なら十分頭おかしい根拠になり得る
「普及させれば」という事実上不可能に近い仮定反論をしたのなら
元々普及目的なんてことはなく単なる売り言葉に買い言葉なのだろうから
「頭おかしい」もまたそれに対する買い言葉に過ぎない
以上 >>63
屁理屈未満の馬鹿
ちょっとは文法や言語学の話をしろよ >>63
大体お前は一体何を否定したいのかさえはっきりしない
ただ他人の発言を否定したいだけじゃないか >>65
現状送り仮名については個人的に多少の工夫をすることで相手に確実に意思が伝わるように出来るから
学習段階で多少難解な面はあっても利用段階で不自由したことは無い
だから送り仮名の在り方については原則肯定したく
それを否定する意見に対しては当然否定的な見解になる訳で
ごちゃごちゃ言って引っ掻き回すようなことを言う奴には基本的に反対というスタンスになる
大体、根拠を要求するようなことを言っておいて「ちょっとは文法や言語学の話をしろよ」って
頭おかしいという俺の見解はやはり間違っていなかったな
何を持って屁理屈未満なのか根拠すら示せていないし できるだけ意味が1通りしかない表現を用いるように努力するべきということは言えるよ。
混乱を招くような表現を使って、伝わらなければ相手をアスペ呼ばわりするような奴はクズでしかない。
そういうやつは、例えば数学で概念を定義するようなときも曖昧な表現を使うのか?
数学に限らず、定義を曖昧にすると学問というものは根底から崩れるからな。 >>67
それはお前が前から言ってたことじゃないだろ
他人の考えを自分の発明みたいに言うな
お前はただ横から茶々を入れていちいち否定していただけ
恥知らずめ 区別できないのは、止める(とめる)と止める(やめる)だな。
止まる(とまる)は区別できる。 例えば、「行った」を「いった」と書けば「おこなった」とは区別できるようになるんだけれども、今度は「言った」と区別できなくなるという問題がでてくる。
同様に、「止める」を「とめる」や「やめる」と書けば区別できるようになるんだけれども、今度は「辞める」と区別できなくなるという問題がでてくる。 行くと行なうでいいよ
一応は行うと行なうどっちでもいいらしいし 行くと言うは別の動詞だが
やめる は 「止」と書こうと「辞」と書こうと同じ言葉では?
中国語で使い分けてるだけ >>80
いや、「止(や)める」は自動詞「止(や)む」と対をなす他動詞だが、
「辞める」は対をなす相手を持たない他動詞だ
例・ピアノの演奏を止めた/ピアノの演奏が止んだ
○社員が(会社を)辞めた/×会社が辞んだ×社員が辞んだ
日本語においても「止(や)める」と「辞める」は同じ動詞とは考えられない
音形や活用の型といった形態論的な特徴だけで決めるべきことではないだろう 「○○(行為)を行(い)った」「××(場所)に行(おこな)った」なんて非文も甚だしいから日本語が母語でない人以外は読み分けられる どの言葉をややこしいと感じるかは、その文章や文書の論題に依る部分が大きいと思うんだ >>81
じゃ「雨が止んだ」の止むと「ピアノの演奏が止んだ」の止むは違う動詞だな
「雨を止めた」とは言えないからな >>85
そういうことだ
漢字の使い分けだけでは対処しきれていないものもある こうすれば問題なさそう。
歪む→「ゆがむ」、「ひずむ」とひらがなで書いて区別する。
辛い→「からい」・「つらい」とひらがなで書いて区別する。
行った→「行った(いった)」は「行った」と表記し、「おこなった」は「行なった」と表記する。
止まるは「止まる」と表記する。辞めるは「辞める」と表記する。
止める(とめる)は「とめる」とひらがなで表記し、止める(やめる)は「やめる」とひらがなで表記する。 止めるを「とめる」と書くと、留めるや停めるとの違いが曖昧になるね
これらの言葉はひらがなにすると文脈からも読み取りにくくなる 失礼
読み取り難くなるケースが考えられる、程度にしておく 「辞める」もどこまで使えるのかよくわからない
(教授が)大学を辞める
(学生が)大学をやめる
キャプテンを辞める
ピッチャーをやめる
部活をやめるは? 「部活をやめる」だと
その部活の活動を停止する「止める」なのか、ある人がその部活に所属しないようになる「辞める」なのかが確実には分からないね
まあ大体の人は後者に解釈するだろうけど
結果として、漢字で書けば伝わるはずが余分な説明が必要になる(可能性がある)という本末転倒な事態になる この手の不便を根拠に欠陥言語だの言う知恵遅れ実際に居るけど統制機関の怠惰が原因なんだよな
つまり欠陥はジャップ自身ということ。あとは大衆媒体を統べるだけの権力を持っているか否か >>91
所属から外れる時は辞める
行動、行為、活動を停止する(やめる)時はやめる(止める) >>90
ケースって何
箱のことでちゅか〜〜??ww >>90
ケースって何
箱のことでちゅか〜〜??ww >>92
それは主語が何であるかによるだろう
部の活動そのものを停止させる権限を持つ者が主語であれば前者だ >>97
それは、ひらがなで記載することによって直感的に理解し難くなることを意味する
ひらがなで記載することの優位点は「止める」の読みをどちらに解釈したら良いか分からない場合であって
「やめる」が何を意味するか分からないという点においては明らかに漢字で記載する方が優位であることを意味する
主語を確認する、即ち文脈を読めば良いということであれば、それこそひらがなで記載する必要もなくなる
結論としては、漢字が良いかひらがなが良いかは文若しくは文章によって異なるものであり
ルール化することが枷となるということが容易に考えられるということでもある >>99
漢字の書き分けによる訓読語の意味・用法の区別は、
読解における文脈への依存度を低下させる効果があるとはいえ、
「漢字で書き分けさえすれば文脈に依存する必要は全く無くなる」と言うわけでもないし、
「常に主語のような文脈を明示することが面倒だから
漢字の書き分けを覚えなければならず、面倒な漢字の使い分けを覚えたほうが便利だ」
と言うのもナンセンスだ
ただでさえ何でも省略や無言で済まて「俺の気持ちを察しないのが悪い」
と言う傲慢さに閉じこもりたがる日本人が、
これ以上文脈の詳細な明示すなわち説明を嫌うようになっていくのも得策ではない
音声言語で意味が通らない区別を文字言語だけで徹底させようとするのは無理がある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています