トバ理論・改 又はNo-hear-man Conquest
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(ウィキペディアより)
トバ・カタストロフ理論とは、今から7万年前から7万5千年前に、インドネシア、スマトラ島に
あるトバ火山が大噴火を起こして気候の寒冷化を引き起こし、その後の人類の進化に大きな影響
を与えたという学説である。
この説の概要を簡単にまとめると、
・ トバ火山の噴火により地球の気温は6千年にわたり平均5℃低下
・ さらにそれから引き続きヴュルム氷期が到来
・ それによりネアンデルタール人と現世人類以外のホモ属(ホモ・エレクトゥスなど)は絶滅
・ 現世人類も総人口が1万人までに激減
・ 遺伝的多様性が失われたため、現世人類は個体数のわりに遺伝的特徴が均質となった
・ 寒冷化した気候を生き抜くために現世人類は衣服を着るようになった
しかし、この説にはいくつか疑問を感じる。 確かに突然の気温の低下と氷河期の到来は当時のホモ属にとって重大な危機であっただろうが、
ホモ属はこれまで何度も氷河期を乗り越えて生き延びてきたのである。
180万年前から生き続けてきたホモ・エレクトゥスは、なぜこの時には絶滅にいたったのか?
25万年前に登場した現世人類も、ヴュルム氷期の前のリス氷期を経験済みである。
絶滅寸前に追い込まれたりするものだろうか?
また、ホモ属以外の動物についてはどうか?
現世人類同様個体数を減らしたなら、彼らも人類同様に遺伝的特徴が均質になっているはずだが、
そういう話は聞いたことがない。
また、7万年前から7万5千年前に大量絶滅が発生したということも特に無いようである。 さらに、「寒冷化した気候を生き抜くために現世人類は衣服を着るようになった」であるが、
逆に言えば、それまで現世人類は衣服を着ていなかったということになる。
そして彼らは基本的に狩猟・採集により暮らしていた。
現代人のように皮膚が露出ていて、しかも衣服を着ていないなら、、走り回って獣を追ったり、
藪を掻き分けて採集をしていたらすぐに生傷だらけになるだろう。衛生的な危険も大きい。
しかも、アフリカの強い日光が皮膚に直射するのは危険であろう。
となると、当時の人類が全身の皮膚を守る体毛を持っていなかったとは考えにくい。
現に現代のアフリカに生きる動物たちは、比較的人類に近いゴリラやチンパンジーを含め、
体を体毛が覆っている。
さて、当時の人類が有毛であるとすると、気温の低下にも充分対応できたのではなかろうか。
環境の変化による食料の不足が起きたりしたとしても、絶滅に近いまでの打撃は受けなかった
のではないか。
また、衣服も不要であり、発明されるはずがないということになる。 以上の疑問がある一方、トバ・カタストロフ理論の根拠には信憑性の高さを感じる。
・ 7万-7万5000年前にトパ火山がカテゴリー8の大規模な噴火を起こした
・ 遺伝子変化の平均速度から推定された人口の極小時期はトバ事変の時期と一致する
・ 近年の遺伝子の研究から、髪に寄宿するアタマジラミと主に衣服に寄宿するコロモジラミが
分化したのはおよそ7万年前
=7万年前にヒトが衣服を着るようになり新しい寄宿環境に応じてコロモジラミが分化した
まず衣服について考えてみよう。
有毛人は衣服を着ないであろうから、衣服を着るようになったのは体毛の無い人々ということに
なる。
つまり、特殊な環境に適応した結果体毛を失った種族があって、彼らが衣服を着るようになった
のではないか。
そこで思い出されるのが「水生類人猿説(アクア説)」である。 (ウィキペディアより)
アクア説とは、ヒトがチンパンジー等の類人猿と共通の祖先から進化する過程で、水生生活に
一時期適応することによって直立歩行、薄い体毛、厚い皮下脂肪、意識的に呼吸をコントロール
する能力といった他の霊長類には見られない特徴を獲得したとする仮説。
この説自体は数百万年前に人類の祖先が類人猿との共通祖先から分かれる時代についてものであり、
トバ・カタストロフ理論が説明を試みる時代とは隔絶している。
また、古人類学の主流派からはほぼ黙殺されている。
しかし、水生生活に適応することによって薄い体毛となったという点は興味深い。
水生生活とまでいかなくても、採集や狩猟ではなく漁労により食料を得るのであるなら肌を保護する
必要性が低く体毛を失っても問題は無いだろう。
一方有利である点として、水中での抵抗が少ない、水から上がった後で体を拭きやすい、といった
点が上げられる。
つまり、漁労中心に水辺で生活する種族であれば体毛を失う方向で進化することは充分考えられる
だろう。 さて、トバ火山の噴火による寒冷化の時代にそうした少数の毛無し族が実際にいたとして、彼らは
多数派の有毛人と違い気温低下による影響を大きく受けることになる。
寒冷化といってもアフリカのこと、まさか雪が降るほどではなかろうが、気温が15℃あるいは10℃
という事態になれば、裸で暮らすのは命に関わるだろう。
天然の毛皮を持たない彼らが、体を拭ったり寝床に使っていた枯れ草などから衣服を発明するのは
自然なことだ。
そして一旦衣服を発明したならば、それはただ寒冷化に耐えられるようになっただけではすまない。
衣服は必要に応じ2枚3枚と重ね着できるのだ。
衣服を着た毛無し族はそれまで暮らすことのできなかった寒い地域でも暮らせるようになる。
そうして彼らは、氷河期の到来に関わらず北へ北へと生息域を広げ、その数を爆発的に増やした。
一方、多数派だった有毛人たちは氷河期の進展とともにその生息域を狭めていき、最後には強大化
した毛無し族の子孫たちに絶滅へ追いやられた(No-hear-man Conquest)。 まとめ
・ トバ火山大噴火とそれによる気候の寒冷化では、人類は絶滅に近いほどの打撃は受けなかった
・ トバ火山大噴火よる気候の寒冷化は毛無し族に衣服の発明をもたらした
・ 衣服を発明した毛無し族の子孫は世界中に広がって爆発的に数をふやした
・ ネアンデルタール人を除くホモ属は、有毛のホモ・サピエンスを含め全て毛無し族に滅ぼされた
・ 現代人はすべて、もともと1万人程度だった毛無し族の子孫であり、それにより遺伝子の均質化
が生じた
何となく思いついたので書き込んでみた。
あと、
× No-hear-man Conquest
○ No-hair-man Conquest
われながらなさけない 1〜7の書込み主は間違いなく当分の間アク禁だろうね。 まあ、推論というものは本人が思うほどあてになるものではないと
いうことはわかる。 南アフリカ、ケープタウンの東方約240kmにあるブロンボス洞窟では考古学上の新発見が相次ぎ、注目されている。
主な発見としては、
・10万年前のオーカー顔料製造の作業場
(最古の生産設備として、記録を4万年塗り替える)
・ 7万7千年前の幾何学模様が表面に刻まれた土片
(過去に発見された「人類最古の壁画類」より4万年以上古い)
・7万5千年前の貝殻ビーズ
・7万5千年前の押圧剥離によって作られた尖頭器
(ヨーロッパでは2万年前から見られ日本では1万5千年前ごろから見られる技術の石器)
といったところが挙げられる。
ここでは、「10万年前のオーカー顔料製造の作業場」に注目しよう。 作業場から発見されたのは
・オーカー粉を水に溶いたらしい貯蔵用の2枚のアワビ貝殻
・顔料製作の道具一式(オーカー、動物骨、木炭、珪岩の磨石、ハンマー石)
オーカーは鉄酸化物を含む土で顔料の原料となるものだ。
顔料の用途は不明だが、普通に考えて、身体装飾か肌の保護か、いずれにせよ肌に直接塗ったと思われる。
もしそうであるなら、彼らは毛無しであったことになる。 洞窟からは貝殻や魚の骨も多く出土しており、彼らは漁労も行っていたようだ。
では、南アフリカこそが毛無し族生誕の地なのかというと、それは考えにくい。
南アフリカは高緯度地域である。
ケープタウンの冬の平均最低気温は7℃で、東京で言えば3月下旬くらいにあたる。
10万年前の気候のことは知らないが、同じ間氷期である現在とそう変わらないだろう。
このような気候の下で有毛人が毛無しに進化するだろうか?
むしろ毛深くなる方向で進化しそうである。 毛無し族が出現したのは、年中裸で過ごせる赤道付近と考えるのが自然だ。
ブロンボス洞窟の住人は赤道付近から漁労をしつつ南下していった人々の子孫なのだろう。
赤道から南アフリカまで毛無し族が生息域を広げるのにどれほどの時間がかかったかはわからない。
しかし、競争相手のいない漁労という食料獲得手段を会得した彼らは、比較的短い期間おそらくは数千年の
うちに海岸線沿いに南アフリカまで到達しただろう。
逆算すれば、毛無し族出現の時期は10万と数千年前ということになる。
もうそうがひろがる。 貶し族と言っても今の白人やアイヌレベルには毛深かったのかな? そーかもしれませんねー。
少なくとも、服を着るようになってからは体毛は退化する一方だったで
しょうから、ご先祖様は毛深かったと思います。
ただ、白人とか、ネアンデルタール人の遺伝子を引き継いでるらしいから
そのせいで毛深いという可能性もありますよねー。 毛無し族は、漁労中心に水辺で生活した結果、体毛を失う方向で進化したというわけだが、水辺
といっても大雑把にいって海、川、湖がある。
最初に水辺での生活を始めたのはどれだろうか。
海は波が高く、川には流れがある。
最初の水辺生活者たちは当然泳げなかっただろうから、波にさらわれたり川に流されたりすれば
確実に命を失うことになっただろう。
となると大きな波も流れも無い湖が有力である。
都合のよいことに(?)アフリカ中央部にはアフリカの巨大湖ビッグ3が集中している。
最初の水辺生活者たちはそのうちのいずれかの岸辺に住み着いたのであろう。 それまでサバンナで狩猟をしていた人々がなぜ湖畔で暮らし始めるのか。
原因は飢餓であろう。
人口過剰と獲物の減少による飢餓は繰り返し起きたはずだ。
普通動物は水を恐れる。人類ももともとはそうだったはずだ。
それでも他に食べるものが無ければ湖畔で暮らし始める人々もいたのだろう。
住み着いて最初のうちは水中を泳ぐ魚を採ることは難しく、主に貝の類を採っていたのだろう。
しかし、数世代にわたり暮らしていけば、水にも慣れ、漁労用の銛や葦船も開発し、生きていく
うえで充分な量の魚をそれなりに安定して採れるようになるだろう。
食料が安定すれば、人口は自然に増えていく。
湖畔には水辺生活者たちの集落が次々とできていくことになる。 水辺での生活に体毛は不要、むしろ邪魔である。
増加した水辺生活者たちの中には、突然変異により体毛の少なくなった者が現れ始める。
毛の短い者、毛のまばらな者、毛の細い者などさまざまな毛無し因子が、湖畔の遺伝子プールに
蓄積されていく。
水辺生活者たちの集落が増えていくと、さしもの巨大湖も手狭となってくる。
人々の中からは再びサバンナの生活に戻っていく人々も出てくるだろう。
しかし、サバンナに帰る人々の中に毛無しの者はいなかったはずだ。
サバンナの乾いた風と大地は、毛無しの肌から容赦なく水分を奪う。
彼らはいつのまにか水辺から離れられない体になっていたのだ。
湖畔から有毛人が「蒸発」し、毛無し人が「蒸留」される結果、やがて湖畔には毛無し人しか
いなくなる。
毛無し族の誕生である やがて毛無し人も手狭な湖畔から離れざるをえなくなるが、行く先はサバンナではなく、他の湖
や川ということになる。
東の川に向かったものは、川を下り、やがて海辺にたどりつく。
海は波が高く、葦船は使えない。この時代丸木舟など存在しない。従って海辺に張付いての生活
となるが、なんとか適応したのだろう。
海辺での生活に適応した彼らは、アフリカ東南海岸に無数にある河口に次々と集落を作って南下
していき、気温が低く裸で暮らせない場所では衣服も発明し、ついには南アフリカまで到達する。
みずべにてきおうしてけなしになったというはなしが
けなしになったらみずべからはなれられないというはなしになった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています