まあ俺は平原遺跡は天照大神で、卑弥呼は須玖岡本遺跡にいたと思うけどね。
糸島の志摩は特に現天皇家の聖地と言うべき場所。
博多湾一帯には日本最古の豪族達、住吉や警固、綿津見や宗像等々の天皇家に仕えた豪族たちの総本山、総本社が今でもある。
筑紫(昔の日本)は博多湾沿岸に都を置き、西は関西、北は半島南部、南は現福岡県域までを支配してたのだよ。
まあ後に、熊襲と言われた南九州も支配してるけどね。

日本書紀の三かん征伐も、本当の話は筑紫に対抗する熊襲南九州に武器を供給する源の半島を
筑紫が4.5年おきに何百年も攻め続けた話を三かん征伐として乗せてるだけ。
実際に筑紫が数百年に渡り半島を攻め支配した記述は半島にも中国にも残ってるからな。

半島人はそれを第二次世界大戦中に日本が支配していた時に資料を書き換えたとか言ってるけどな。