【Y-DNA】ハプログループ総合スレ48【mtDNA】
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日本人Y-DNAハプログループ比率
D1a2--32%(旧表記D1b)
O1b2-32%(旧表記O2b)
O2---20%(旧表記O3)
C2----6%(旧表記C3)
C1a1----5%
O1b1--1%(旧表記O2a)
O1a---1%(旧表記O1)
N1----1%
D1a1,Q1a1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
自分のハプロタイプが調べられる機関
GeneLife: https://genelife.jp/
LivingDNA: https://livingdna.com/
FamilyTreeDNA: https://www.familytreedna.com/
ジェノグラフィック・プロジェクト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8E%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88
2019年6月1日、ジェノグラフィック・プロジェクトは、Helix版の販売中止を発表。
同時に2020年6月1日をもってプロジェクトを終了する旨を発表した。
既に販売済で未使用のキットに関しては、2019年12月31日までに使用し、
返送の手続きを行っている分のみを解析の対象とし、
解析後のデータの閲覧も、2020年6月1日以降は不可能となることを告知し、
既ユーザーに対してはデータをダウンロードし個々で保存することを奨励している。
ジェノグラフィック・プロジェクトで解析したデータをFTDNAのサイトへ転送した分については、
FTDNAのサイトで引き続き使用可能である。
最新ツリー -ISOGG、ウィキペディア
https://isogg.org/tree/ISOGG_YDNATreeTrunk.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
ヤポネシアゲノム
http://yaponesian.org/
http://www.yaponesian.jp/
前スレ:
【Y-DNA】ハプログループで語るスレ47【mtDNA】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1544833210/
関連スレ:
皇室のY染色体報道を妨害する人の正体!3
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/emperor/1541913496/
有名人のY-DNAハプログループスレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1544833611/
もし弥生人が日本列島に来ていなかったら?
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1577375097/
DNAから見た世界史
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1537956125/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured >>787
こういう専門的な論文を紹介していただけるのは嬉しいです
英語かつ専門的で難解な内容なので読むのに時間がかかりまだ少ししか読めていませんが、この方はOは南方経由で北上したと考えられているようですね
歯列に関する話もでてきます
まさに僕がNOQRがスンダランドから北上したと考える根拠の一つです
またM347系統(ここではC4とある)がオーストラリアからしか発見されないのも、これは彼らがそもそもオーストラリアで発生しているからという可能性はないでしょうかね
またこれは2010年のものなので現在では意見も変わっているかもしれません
しかしこれを読むと、Cの中の一部はCのマジョリティと違って実際に南方経由で移動していた可能性もありますね
Cも二つのルートがあったという可能性を認めなくてはいけないですね
まぁまた時間をかけて読み込もうと思います
ありがとうございます 論文は10年経つと破たんして使えなくなってるものが
半分近く
Oが南方とか、考古学的にどう見てもギャグなんで、
もうとっくに破たんしてるよ >>791
縄文弥生を通して日本には中国大陸から渡来定着した事が証明できる中国系の
衣食住に関する生活痕遺構はない
繰り返す
縄文弥生を通して日本には中国大陸から渡来定着した事が証明できる中国系の
衣食住に関する生活痕遺構はない
. >>795
じゃあこの論文のCが南方系というルートも信憑性低いよね
俺の最新の予想のが正しい 確かに分子生物学って日進月歩で情報が更新されているだろうし(この論文中にさえ「意見が変わった」みたいなこと書いてあるし)、C北方系仮説の否定には至らないだろうな 八世紀の『隋書』倭国伝には次のような記事がある。「倭王姓阿毎、字多利思比孤、號阿輩雞彌」(原文は「比」は「北」となっている)。
これによると倭王の姓は「阿毎」(アメ)、字(あざな)は「多利思比孤」(タリシヒコ)、「阿輩雞彌」(オホキミ)と号すとある。 Cは下ルートでほとんど考古整合しているから問題ないよ
問題があるのはOだろ
全く考古整合してないし、全く考古立証もできない
チンコロ学者の勝手な我田引水ルート
飛ばない場合は手動で飛ぶように
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97C_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%3AHaplogroup_C_(Y-DNA)_migration.png >>800
中国資料にしか載ってない人ですね
少なくとも日本の文献などでは現代でも古くからも天皇には姓はない
天皇に姓があったという主張は、僕の「Cは北方ルートを取った」「NOQRはスンダランド起源」並にトンデモ理論扱いされるでしょうw
多利思比孤はそもそも天皇だったかさえも分かっていない中国の文献にしか登場しない人物
阿毎(アメ)は「天」の訓読みに近いので、天垂らし彦、つまり天孫族に関係する響きです
多利思比孤に関する記述は日本側資料や文化とかなり異なっているのでその整合性を埋めるために、様々な解釈が行なわれています
まぁきっと姓がないからこじつけたか勘違いしただけでしょう
少なくとも天皇には歴史時代の例えば平安時代や鎌倉時代や室町時代などまぁどの時代でも姓がありませんよ 阿毎氏(あまし/あめし/あまうじ/あめうじ)は、古代の日本の皇室の姓である。その由来は『隋書』列伝第四十六東夷伝[1]にある。継体天皇(オホド/オオド/ヲホド)を祖として、『大化の改新』以降の天智天皇(中大兄皇子)の代に中国風の原氏(はる - し)と改姓して、今日の今上天皇(令和天皇)の代までにいたっている。
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概要編集
『魏書』第三十烏丸鮮卑東夷伝・『後漢書』列伝第八十五東夷伝によると、朝鮮半島南部の耽羅[2](済州島)で遊牧生活をしていた州胡こと耽羅鮮卑[3]と呼ばれる部族が存在したことが判明されている。
東京大学の教授であった江上波夫は持論の『騎馬民族征服王朝説』で、以下のことを述べている[4]。
三国時代以降の東晋の時代に北方からトルコ系匈奴・羯[5]・鮮卑[6][7]やチベット系の羌氐[8]などの遊牧民族が南下して中国北部を征服した五胡十六国時代に変遷した影響を受けいた応神天皇(慕容讃)[9]・仁徳天皇(慕容珍)[10]父子が耽羅(済州島)におり、鮮卑化したチベット系の羌氐の酋長である武内宿禰[11]の補佐を得ていた。
この父子はトルコ系遊牧民族で前燕・後燕・西燕・南燕・吐谷渾[12]などを建国した鮮卑慕容部の一支族の酋長として、同じトルコ系東胡の末裔で、ツングース系の穢(獩)貊(濊狛)[13]・沃沮[13]などとの混合民族である半農半牧の扶余[14][15](夫余)と鮮卑化したチベット系の羌氐と古代トルコ人であり現在の中国河北省北部に中山国を建国した白狄鮮虞部[16]の末裔などを吸収して、北魏(代魏)・東魏・西魏などを建国した同じ鮮卑拓跋部と同族で、南涼を建国した鮮卑禿髪部の酋長である烈祖武王の禿髪烏孤の甥で、景王の禿髪傉檀の子である禿髪破羌(源賀)の末子である禿髪阿毎を阿毎氏族の祖となった。阿毎が逝去すると、子の禿髪稚渟毛二岐[17]が後を継いだ。稚渟毛二岐が亡くなると、弟の禿髪意富々杼[18]が後を継いだ。意富々杼が亡くなると、弟の禿髪乎非[19]が後を継いだ。乎非が亡くなると、弟の禿髪汙斯[20]が後を継いだ。汙斯は亡父の諱を採って、禿髪氏から阿毎氏に改姓したという。
汙斯は応神・仁徳天皇父子らと連合して、朝鮮半島南部に移動しながら、耽羅(済州島)を拠点として、多くの部族を統率をしていた。やがて彼らは耽羅(済州島)付近にいた海洋民族である韓人あるいは汙人[21]を奴隷として舟を築造させて、日本列島に渡ったという。
日本列島にやって来た州胡(耽羅鮮卑)の盟主である応神・仁徳天皇父子は、中国南部・ベトナム北部からやって来た越人・呉人・荊楚人[22]が米作りを営む農耕民族であることで、これも奴隷として今までの肉を主食の風習を米食に変更したのである。さらに日本の先住民族である海洋民族の倭人[23](委人)をも奴隷として、河内国で河内王朝が成立され古墳時代に突入した。同時に朝廷の主要民族である鮮卑・扶余・白狄・羌氐などは越南人・呉人・荊楚人・倭人などと混血を繰り返して、これが大陸系の大和民族(和人[24])の成立の過程になった[25]。さらにアルタイ語族を骨子とする日本語[26]といった言語が同時に成立された。
阿毎汙斯は応神・仁徳天皇父子により、出雲国から若狭国までの日本海に面する広大な領地を与えられた。阿毎汙斯が亡くなると、阿毎男大迹(継体天皇)[27]が後を継いだ。その間に阿毎氏族は徐々に勢力を蓄えており、河内王朝にとっても脅威的な存在となっていた。 同時に、河内王朝の動向は、仁徳天皇の孫である大王(おおきみ)の安康天皇[28]は年代が近い叔父の大草香皇子(大日下王・波多毘能王)を誅殺して、その妻である異母妹の草香幡梭姫を奪うも、従弟である大草香皇子の子の眉輪王に暗殺された。安康天皇の同母弟・雄略天皇[29]が後を継いで、眉輪王も含む皇位継承権がある多くの親族を皆殺しして、河内王朝は衰退を極まった。雄略天皇の従孫である武烈天皇[30]は、応神・仁徳天皇父子の6世の孫・玄孫であり、稀代なる暴君であった。このころの朝廷はやや遊牧民族国家から農耕民族国家に変遷していたが、それでも部族間に争いは凄まじいものがあった。
扶余の一酋長でもあった大連の大伴金村は朝廷で権威を振るった挙句に、反乱を起こした平群真鳥・鮪(しび)父子を討ち取る功績を残した。だが、武烈天皇の暴虐ぶり聞いてこれを諌めるも、それを聴きいれなかった武烈天皇は佞臣とともに奴隷の殺戮を繰り返していた。この行為は殷(商)の紂王(帝辛/季受)に等しいものがあり、武烈天皇は諌める臣下を処刑したり、妊婦の腹を引き裂いたり、ある女性たちに数頭の馬と交尾させるなどなど、無限の暴政をおこなっていた。
これを見かねた大伴金村は武烈天皇の姉妹の婿である阿毎男大迹と密談して、武烈天皇を討伐するように計画を立てた。しかし、阿毎男大迹は武烈天皇の姉妹の婿のみではなく、その子の阿毎勾大兄[31](安閑天皇)と阿毎檜隈高田[32](宣化天皇)と阿毎天国排開広庭[33](欽明天皇)兄弟は武烈天皇の娘を娶っていた。
阿毎男大迹は悩んだ挙句に、出雲国から若狭国から軍勢を率いて、南下して大伴金村と呼応して河内国に攻め込んだ。阿毎男大迹と大伴金村の謀反を知った武烈天皇は激怒して、迎え撃ったが離反する臣下が続々と出たため、大敗して宮殿の奥に逃げ込んで火を放ち、自決を遂げた。武烈天皇8年12月8日のことであった。こうして鮮卑慕容部出身である応神・仁徳天皇父子を祖とする河内王朝はついに滅亡した。
阿毎男大迹は大伴金村をはじめ、物部麤鹿火[34]・巨勢男人らに迎えられて、大和国で即位した。これが継体天皇であり、大和王朝の始まりであった。ここで大和時代に突入したのである。それでも、部族間の争いは相変わらず凄まじかった。
歳月は流れて645年の『大化の改新』以降に、腹心の中臣鎌足(藤原氏の祖)とともに、積極的に中国文化を採り入れた中大兄皇子(天智天皇)は、皇室の姓を鮮卑風の阿毎氏から中国風の「原氏」と改称させ、君主の号を大王から天皇に改称させたのである。このころの日本朝廷は、ほぼ遊牧民族国家から農耕民族国家として変遷を遂げ、文明国家となったのである。 原氏(げんじ/はるし/はらし)とは、日本の氏族である。幾多かの系統があり、越後国にも異流の原氏などがある[1]。
原氏 (皇室) : この姓のみ「げん - じ」「はる - し」と呼ばれる。日本の皇室の姓である阿毎氏[2]が『大化の改新』以降に中国風に改姓したもので、現在の今上天皇(平成天皇)までいたる。この系統から皇別[3]として、橘氏・清原氏・高階氏[4]・在原氏・平氏・良岑氏(桓武源氏)・源氏などの庶家が出て、この系統は地方では貴種として尊ばれた。
原氏 (物部氏) : 物部氏一族の原国造を祖とする氏族[1]。
原氏 (漢氏) : 渡来系の阿智使主(阿智王/阿智吉師)[5]・都加使主(都加王/都加吉師)父子[6]を遠祖とする漢氏または倭漢氏(東漢氏/西漢氏)の系統である坂上氏の系統で原首(はらのおびと)を祖とする。摂津国嶋上郡原邑[7]を本拠地とした[1]。
原氏 (秦氏) : 古代トルコ系とされる渡来系の秦氏の系統で、秦原公(はたのはらのきみ)を祖とする氏族[1]。
原氏 (中臣氏) : 中臣氏の系統である荒木田氏の庶家。伊勢神宮の神官の氏族で、藤原氏とは同族である[1]。
原氏 (度会氏) : 古代に皇室に仕えた神官である度会氏(渡会氏)の系統である氏族[1]。
原氏 (藤原氏) : 藤原南家の工藤氏の系統。陸奥国を本拠地とした[1]。
原氏 (千葉氏) : 丹姓平氏良文流千葉氏(坂東八氏/房総平氏)の庶家。下総国香取郡千田郷原村[8]を本拠地とした。この系統は相模国の北条伊勢家こと相模北条氏(相模平氏)および、甲斐国守護の武田氏(常陸源氏/甲斐源氏)に仕えた原虎胤(まさたね、胤元)[9]・盛胤[10]父子などが出た。通字は「胤」[1]。
原氏 (源氏) : 武家源氏の系統。約3系統ほど存在する[1]。
https://japan.fandom.com/ja/wiki/%E5%8E%9F%E6%B0%8F 天皇はソウル出身の漢民族だから、姓も含め、すべて中国風なんだよ 天皇が漢民族なら、神武天皇の御代から漢字記録遺物があるはずだろうがゴミカス
日本には5Cより前の漢字記録はない
竈や甑や皿や漢服や木沓や土壁の住居など、中国系の衣食住に関する生活必需文物や
住居も神武天皇の御代からあるはずだろうが
ゴミカスすぎる 伊都で硯が見つかってるよ
伊都は皇族の最初の移住地だ
金印もナノワノクニではなくイトコクと読むのが正しいと言われている 弥生時代の中国鏡は伊都国でしか見つかっていないから、
伊都国王は漢民族だよ 単なる搬入宝器やないかドアホウ
在地産の漢字記録遺物や竈や甑や皿や漢服や木沓や土壁の住居などの
中国系の衣食住に関する生活必需文物や住居がないだろうがボケナス
中卒相手にデマ飛ばすな悪党チンコロ 多利思比孤を例示された時はマニアックだなぁと思いましたが「原」氏?というのは聞いたことがないですね
今上天皇が原姓なんてあり得ないですよ
答えが見えてる議論を長々と続けてもしょうがないですが例えば、Wikipediaでも姓はありませんよね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E4%BB%81
天皇に姓がないというのは現代社会でも歴史の分野でも有名な話で日本史の授業で習うと思います
一方で天皇の子孫、例えば桓武天皇の子孫の平氏や、清和天皇の子孫の源氏などがそれぞれの姓を名乗ることはありますが、それは臣籍降下と言って皇室から除外される時においてです
皇族において苗字を獲得するということは同時に皇族でなくなるということです 中国の資料、正史が常に正しいわけじゃないですからね
例えば「三国志」の記述を信じれば邪馬台国は海上にあることになります
「明史」の内容を信じれば朱元璋は赤い光と共に生まれたことになります
一次資料というのは常に間違っているんですよ
神話や伝説や過ちを含んだ一次資料を検証し作られた二次資料からでないと歴史は分かりません
中国の正史に限らず、一次資料の内容をそのまま信じることはできませんよ
中国の一次資料と日本の一次資料はしばしば矛盾しますしね と思ったら氏姓制度が確立する前の古代天皇家は姓を持っていたとする説もあるようですね
ただおそらくは外交上の理由から間に合わせで作ったものでしょう
記紀には氏姓が出てこないので アマテラス+ヒコなんだろうな
アマ(阿毎)テラスヒコ(多利思比孤) 大王家の氏族名は本来「天(あめ)」であった。しかし、中国の文献から「天皇」の称号を選んだとき、その中にすでに「天」の文字が入っている。つまり、「天皇」そのものが「天氏(あめうじ)」であり、姓そのものであるとの考えから、特に姓を決める必要性がなかったからであろう。 古代氏姓制度が確立したとき、大王家も強力な氏族の一つであり、神話時代以来の「天(アメ)」氏族であるのに、それを国内的には名乗らなかった。中国・隋に使者を送ったときには姓は「阿毎(アメ)」と答えているのに。つまり、推古天皇は大王(天皇)家の氏族名の「あめ(天)」を姓として隋・皇帝に伝えたのである。 古代の東アジアで姓を持っていたのは中国だけである。その周辺の諸民族は中華文明の影響を受けて、姓を名乗るようになった。至極、単純なことである。ただ、国家・民族によって、姓を持つ中国文化を受け入れた時代は様々である。まず、朝鮮半島では五世紀頃、王族が高(高句麗)、金(新羅)、余(百済)、列島では倭(日本)などを名乗り始めた。三世紀の倭の女王・卑弥呼や台与には姓らしきものは出てこない。半島では統一新羅(八世紀)が人名、地名などすべてを中国風に改めた。倭国では遣隋使(七世紀)が倭王の姓を「阿毎(あめ)」(大王家の氏族名)と答えており、この頃、倭国でも氏族名を中国風の姓として使い始めたようである。 −天武天皇は「大海人皇子(おおあまのみこ)」−
「あめ」と「あま」は容易に交替するので同じものである。「天皇」の称号を使い始めたのは天武天皇からと言われている(それまでは「王」)。天武の和名は天渟中原瀛真人天皇(あめのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)であり、この「天」を「あめの」又は、「あまの」と読み、通説では美称とされているが、私の考えでは「大伴家持(おおとものやかもち)」や「蘇我入鹿(そがのいるか)」同様、「天氏族に属する誰それ・・」の意味であり、大海人皇子は通称名であったと考えられる。つまり、「大天(おおあま)皇子」。なぜ漢字「海人」を使ったのかは諸説あり定かでない。また、天武天皇の皇后、持統天皇の和風諡号(死後のおくり名)は大倭根子天之廣野日女尊(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)であり、やはり「天氏族の姫」の意味を持っている。
大海人皇子は中国の皇帝を意識して、「天皇」の称号を用い、「 天(あめ)氏族・・大王家 」が倭国の全氏族の上に立つ権威を確立しようとしたのではないのか。以前の蘇我氏による崇峻天皇暗殺事件や山背大兄皇子弑逆事件など、二度と起こさせないとの強い決意があったと思われる。(この二つの事件から言えることは、倭国の王権が天氏から蘇我氏に移る可能性もあったということでもある)。この時、現代にまで続く天皇制が確立した。
また、天武天皇の兄、天智天皇の和名は天命開別尊(あめのみことひらかすわけのみこと)。つまり、「天氏族の・・」の意味を持つ。その前の欽明天皇の和名は「天国排開広庭天皇」であり、やはり、天国(あまくに)もしくは、(あめのくに)を冠している。どうも欽明天皇あたりから半島の高句麗、百済、新羅が軍事的に強くなってきており、倭国も大王家(天氏族)を中心に強国化を図る必要性を感じていたようである。(欽明天皇23年・・562年、任那日本府滅亡) という事で
天皇は中国皇帝には自分は
天(あめ)氏
という姓だと伝えていた。 日本国内では
天(あめ)のみこと xx 天皇
と言うと天(あめ)という語が重複するから、天(あめ)のみこと を省略しただけだよ。 明仁上皇様が中高生のとき、クラスのみんなは苗字があるのに自分だけ苗字が
ない事でコンプレックスになってしまったそうな
そのときは
天 明仁(あめあきひと)
という姓名にすれば良かった訳だな .
中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。
あちらで皿は盤と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。
日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。
中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。
その時代差、約5400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
. >>826
Y-Dを期待している人がやるとこうなるんだな
勉強になるね >>829
Oになりたかったらしいよ
DやCは土人だから嫌なんだと Oはアルタイ生まれのハプロタイプ
C、Dはアフリカ生まれのハプロタイプ
ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪ >>830
それは本音を隠してるだけと見た
言動からOへの蔑視とDへの憧れが見て取れる
実際、Y-Dを嫌ってる日本人などネット上でお目にかかれない >>817
あー、なるほど!!面白いなぁ
彼の号の
「阿輩雞彌」
アハイケミ
を大王(オホキミ)と繋がるかなって考えたけどちょっと強引すぎかな?
でも彼の太子「利歌彌多弗利」はワカタケルに似ている... >>832
いや実際にOに憧れてましたよ
自分がCだと分かったのでかつて好きだったOを否定してるだけです
Dへの憧れなんてないです
むしろ「O=最強!、D=縄文人w」という認識だったのが、自分がCだと分かったので東アジア最大勢力のOを否定し、系統図的にCに近いDを擁護するようになっただけです
白人がクロマニヨン人は自分たちの近縁だと分かった時点でクロマニヨン人を美化し始めたのと同じですね
僕にとってDはクロマニヨン人です >>564辺りが「真実を知る」前の僕ですね!
KPOPが好きだったこともあり「O1b2」を望んでいたのですが、どこかで「俺はDなのかな...?」と思う部分もありました
日本はOとDが大半なので
どれくらいだろうなぁ...?
少なくとも一年以上は「O1b2」を礼賛する神話を作り上げていました
O1系統は「炎帝」の子孫で、その直系は「姜姓」を持つO1b2であり、「姜」は女の上に王が配置され、その他の「上古八大姓」と比べて(姫など)、部首の女との位置が違っていることなどから支配人種だったんだの妄想していました
また姜の語源を「甲骨文字」や「金文」まで遡り調べ、越王勾践剣に刻まれる「王」の字が甲骨文字などの「姜」と酷似していることなども発見しました
それ以外にも色々と、Oの偉大さとO2に対するO1の優位性などを調べあげ(例えば孫文や蒋介石や毛沢東やケ小平はみんなO1系統だといいます)、O1こそが至高でO2はO1に劣後しており、日本人が苦し紛れに神話化する「D」など論外だと考えていたんですよ。。。
んでワクワクしながら実際に調べてみたら検査サイトの結果ページに「C」の文字が...
見た瞬間目を疑いました
Cなんて思考の中に一切入ってませんでした
O1とO2の優劣ばかり考えており、蚊帳の外にいるD達をバカにしていました
あいつらYAPがどうの言ってかわいそうな奴らだなーって
そしたらOでもDでもないCだったわけです
Cを知った時に失ったものは、一年以上(多分2年くらいは夢想してただろうな〜)に渡る優生学的認識の思い出です
自分の中で固め続けていた常識や観念が一瞬にして崩壊したわけです
認識が失われるのって物や人間を失うよりも辛いですよ
最愛の人間が死んでも自分の中の綺麗な思い出は残り続けます
しかし、認識が否定されるとそれまでの思い出そのものが間違っていたということになるのです
過去の自分の認識を恥じました
それまで好きだった人たち(孫文や蒋介石など)が全員好きになれなくなってしまいました
また実際の彼らのY染色体は分かりませんが、僕が大好きで憧れ続けていたBTSのメンバーも嫌いになりかけました
僕は彼らの出身地などから彼らもまた炎帝の子孫であるO1b2だと勝手に考えていたので、彼らは僕と「種」が違う別の「種族」なんじゃないかと思えてきてBTSの動画を見れなくなりました
本当辛かったです
もしヒトラーにゲノム解析させて彼が北欧で一般的な「I」やヨーロッパに一般的な「R」ではなくアフリカに集中する「E」だと告げたら同じ気持ちになるんじゃないですかね
今はOに代わってCに関する神話的ストーリーを構築しようと努力しているところです
私がOを否定するのは、実際に自分自身がOだと考えていた過去の自分がいかにOに誇りを持ち、他のハプログループを蔑視するための材料が豊富かを知っているからです
誰よりもOの偉大さを知っているからこそ、また人々がOに関する情報を知った時にいかにそれに心酔するかを身をもって知っているが故に否定しようとしているのかもしれません
多分日本でDの人らがOを否定し、「YAPは宇宙人の遺伝子」とか言ってる人らいるのも僕と同じような未来予測に基づく直感的恐怖に突き動かされてある意味で発狂しているからでしょう 自分がCだと知った時の衝撃はこれまでの人生で、おそらくはこれからの人生を含めても最も大きなものでした
本当に自殺を考えるほどに...
産まれた時と同じくらい泣いたと思います
去年BTCで一週間で含み益の1000万円を溶かした(その前に10万を数ヶ月で1000万に増やしたもの、ハイレバでやってたから資産の増減が激しくなる)時以上に泣いて落ち込みましたからね
お金は頑張ればなんとかなるけど遺伝子は変えられませんからね
過去の自分が敵になるって辛いです
それが長ければ長いほどに
僕は少なくとも一年以上の自分が敵になったわけです
このスレの書き込みは人生最大の衝撃となるだろう僕の記録が残っているのでちょっと長文になってしまいました
今は精神が落ち着いてるので大丈夫ですが、当時は心が乱れていたのでかなりお見苦しい姿をお見せしました>>701 >>571
>>573
ここら辺も過去の俺の書き込みだからな
こんなこと言ってる奴が実はDですらないCだって知ったらそら発狂するだろう
一ヶ月前の自分が最大の敵になったんだからな
過去の自分と俺は戦いCの優位性を俺は証明しなくてはならない
天皇家はC系統かD系統であり、おそらく九州王朝はC系統であり壬申の乱で敗れて隼人(縄文人ではない)になったのだと
近畿王朝はDであり、彼らは縄文人であると
天孫族は満洲の辺りから朝鮮を通じ九州にやってきた騎馬民族でありC系統であると証明しないと俺は過去の自分に存在を否定されてしまう 今の俺を否定する最大の敵は一ヶ月前の自分であるという現実
いや一週間前の自分か... Oがそもそもマジョリティである中国や朝鮮ではそもそもY染色体自体にあまり興味が持てないだろう
Y染色体に多様性がある日本人だからこそ、どの国民よりもY染色体に関心を持ってしまう
自分たちの歴史、古代史における登場人物のうち自分はどの立場なのかという話だからね
中国の場合は大抵Oだからやってることは内戦みたいなもんだけど、日本史は言わば人種戦争だからね
自分が日本古代史でかつて行われた直接的かつ軍事的な人種戦争のインディアン側なのか、コンキスタドーレス側なのかということを証明し合う誇りをかけた現代の文化的科学的な人種戦争なんだよこれは Dの連中がやたらとYAPとかいって神話化してるのも俺と同じ気持ちになったからだろうね
古代日本史は実は中国史なんかよりも血生臭いから Cは部落民だよ
Dは小作人や底辺の農民
O1bはフツーの百姓(苗字が無い) 武士や天皇はみんなDだらけなんだよなぁ
>>571時代はそれが引っかかってたんだけど九州王朝説を用いた上で近畿王朝を縄文系とすれば辻褄が合うよね 2019年08月23日
天皇のY染色体ハプログループ
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_44.html
天皇というか皇族のY染色体ハプログループ(YHg)について、D1bとの情報がネットで出回っており、確定したかのように喧伝されているので、以前から一度調べてみるつもりだったのですが、さほど優先順位が高いわけでもないので、後回しにしていました。
今回、少し調べてみたのですが、査読誌に掲載された論文や、信頼できる研究機関の報告では見つけることができませんでした。もちろん、そうしたものが存在する可能性はあるわけですが、私の現在の見識と気力ではこれ以上検索しても徒労に終わるだろうと判断して、打ち切りました。
とりあえず、元ネタになりそうな有名人のYHgというサイトを見つけたのですが、そこでは、日本語ブログが典拠とされていました。
Famous people's Y-DNA listed by haplogroup - Eupedia
https://www.eupedia.com/genetics/famous_y-dna_by_haplogroup.shtml
その日本語ブログはもう閉鎖されているので、インターネットアーカイブで該当記事を検索すると、
「皇室は、第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析により、縄文人のD1b(D-M64.1)に属するD1b1a2の系統と言われ」
とありました。「東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」にはリンクが貼られているのですが、インターネットアーカイブで検索しても見つかりませんでした。
また、2016年5月8日時点での情報ですが、
『天皇家のハプログループについて「第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」とあるにもかかわらずリンク先には全くデータは示されていない』
とあります。したがって、東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2とは確定できないでしょう。もちろん、そうである可能性もじゅうぶんあるとは思うので、否定もできませんが。上記サイトによると、別人の皇族子孫が検査したところ、YHg- D1b1a2b1a1だったそうで、「東山天皇の男系子孫 複数名」の事例と整合的ですが、典拠は明示されていません。
けっきょくのところ、皇族がYHg-D1bとの情報に確たる信頼性を認めるのは難しいように思います。ただ、上述のように、その可能性は一定以上あると思います。仮に東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2だとすると、同じく東山天皇の男系子孫である現在の皇族(もちろん、男性限定ですが)もYHg-D1b1a2だろう、と推定するのは合理的です。問題となるのは、「間違い」が起きていた場合です。たとえば、エドワード3世に始まる男系では、どこかで系図とは異なる父親が存在した、と明らかになっています。これは海外の事例ですが、日本でも、同様の可能性が起きていた可能性は否定できません(関連記事)。ただ、その可能性はさほど高いとも思えないので、今回は考慮しません。
族がYHg-D1b1a2あるいはそのサブグループD1b1a2b1a1だとして、「縄文系」と断定できるのか、ということです。現時点では、「縄文人」のYHgはD1b2しか確認されておらず(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1の祖先とはなりません。もっとも、まだ東日本の「縄文人」しか解析されていないので、西日本の「縄文人」の中にはYHg-D1b1も一定以上の割合でいるかもしれませんし、東日本の「縄文人」でも今後YHg-D1b1が確認されるかもしれません。しかし、現時点で「縄文人」においてはYHg-D1b1が確認されていない、という事実は無視できないと思います。YHg-D1b1が弥生時代以降にアジア東部から到来した集団に由来する可能性も現時点では一定以上ある、と私は考えています(関連記事)。その意味で、仮に皇族がYHg-D1b1a2だったとして、父系では「縄文系」と断定するのは時期尚早だと思います。 h2t********さん 2015/9/23 13:55:56.
東山天皇のy染色体がD1b系統に属するという記事を目にしたのですが、出典が見つかりません。
ガセなのでしょうか?
それとも、本当に何かの論文に記載されていた記事なのでしょうか?
後者の場合は詳しい出典含めて教えて下さい。
ベストアンサーに選ばれた回答
zev********さん 2015/9/24 00:43:12
ガセネタでしょう。
そもそも、皇室の方々はDNA情報なんて、公開してませんので。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12150648267
_____
tuo********さん 2014/8/23 23:31:16.
天皇家の遺伝子D1bはものすごい繁殖しているんです。
それに反論できない。ので、わたしも困っているのです。
具体的には、(D1b−M125)のY染色体遺伝子です。
重要なことです。
歴史の真実を知らなければならない。
ベストアンサーに選ばれた回答
hea********さん 2014/8/23 23:54:22.
天皇家のY染色体のタイプがD1bだというのはネットの情報ですね。
これは全くの捏造ですよ。
誰も天皇家のY染色体のタイプなんか知りません。
もし調べた人がいるとしたら、どのように調べたのか興味ありますね。
でも、ある意味怖い気もします。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10134574290 皇室がDNA公開を厳禁している理由
明治天皇も昭和天皇も天皇家の血筋ではなかった
天皇のための戦争
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA
熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01) 皇室がDNA公開を厳禁している理由 2
秋篠宮文仁
みなさんこんにちは
もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)
その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください
「万世一系」 秋篠宮様の種は誰ですか? 美智子妃殿下様
https://www.youtube.com/watch?v=E4g5y1qq4Tw
[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
https://www.youtube.com/watch?v=B1EbVre0prI
美智子の不倫 33333 美智子妃殿下
https://www.youtube.com/watch?v=0UikfbuWxg8
美智子妃殿下の「不倫と出産」
https://www.youtube.com/watch?v=pR7JHtPkKfk
美智子のおもてな し「趣味と実益」
https://www.youtube.com/watch?v=nYs_iBmyL6s
美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
https://www.youtube.com/watch?v=k_bXPvuWGzQ
80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
https://www.youtube.com/watch?v=MUqRHN9KV6k
「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
https://www.youtube.com/watch?v=jfLWtOZEj7w 『縄文時代』の土器…水中鍾乳洞に残る“人の営み”
[2020/07/23 23:30]
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000189177.html
鹿児島市から南へ約470キロ、奄美群島の一つ、
徳之島の小さな集落の一角に伝説の泉はある。
土器がずっと海底にあったとすれば1万年以上前。
陸上にあったとすれば7000年以上前のものとなり、
縄文時代の土器であるという結果です。 >>687
7/15夜にクロネコヤマトで発送、\2650だったかな、
7/24にFamilyTreeより受領のメールが来ました。
インボイスには「Vials(human DNA)」と書きました。 >>852
ありがとうございます。
クロネコヤマトで無事届いて良かったです。 >>847
これ読んだけど確かにネット上の武士や天皇がD系統って全部デマくせーな
最後によってD1b1だったりD1a2だったりするからな redditにもコミュニティを試験的に作りました
今はベータ版で模索しながら完成形は大幅に変更される可能性が高いです
総合コミュニティ:https://www.reddit.com/r/ydnajp/
C: https://www.reddit.com/r/y_dna_C/
D :https://www.reddit.com/r/y_dna_d/
O:https://www.reddit.com/r/y_dna_O/
それぞれのコミュニティでベータ版のタイミングで参加してくれた先行参加者には限定フレアを配布しようと考えています
一緒にコミュニティを盛り上げていきましょう 縄文時代には王はいないため、王は弥生人がもたらしたものだとしか
考えられないから、その王の中の王である大王こと天皇はOだよね
武士は平安時代の下級貴族や下級官人から始まっているから、
これもまた天皇の血を引く人たちだからO色が強いよね
つまり弥生時代以降はOが日本を作ってきたと言っても過言ではないだろう 継体天皇は越人だから O1b
それ以降の天皇もすべて O1b だよ .
日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。
と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。
◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》
◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》
クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!
耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!
伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。
◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ
◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの
稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
. 日本人が縄文人度が10%無いのに
Dが40%居る説明は? 韓国人のゲノムデータ
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_29.html
韓国人のゲノムデータを報告した研究(Jeon et al., 2020)が公表されました。
韓国人(というかもっと広く朝鮮民族)は、遺伝的にひじょうに均質で、過去には大規模な混合事象が少なかった、と考えられてきましたが、公式な調査はほとんど行なわれていません。世界中の現代人の遺伝的多様性を特徴づける目的で進められている1000ゲノム計画でも、近隣の中国(南北の漢人など)や日本の人々のゲノムデータが報告されているのに、韓国からの標本はまだ含まれていません。そこで、韓国人を対象としたゲノム計画が進められており(将来的には、もっと広く朝鮮民族全体を対象とするのでしょう)、本論文は韓国人1094人のゲノムデータを報告します。これにより、韓国人の遺伝的構造が以前よりも明らかになり、医療のような「実用性」だけではなく、韓国人(朝鮮民族)の形成過程の解明にも役立つのではないか、と期待されます。
このゲノムデータに基づき、韓国人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)も報告されています。mtHgでは、D(34.19%)やB(13.89%)やM(13.80%)が一般的で、YHgではO(73.49%)が圧倒的に多く、C(16.9%)とN(6.58%)が続きます。YHg-Oはアジア東部および南東部に広く分布しますが、YHg-Cはおもにアジア東部および北東部に分布します。なお、日本やチベットやアンダマン諸島など、世界では珍しいYHg-Dも確認されています(1.42%)。またmtHgでは、アジア東部において一般的なA・G・Fも確認されました。
主成分分析により、韓国人と他集団とが比較されました。図2Aは世界中の集団を対象としており、韓国人が中国人と日本人という同じアジア東部集団と遺伝的にひじょうに近縁である、と改めて確認されました。図2Bはアジア東部集団を対象としており、韓国人と中国人と日本人がそれぞれ明確にクラスタ化し、区別できることが確認されました。これは、3ソース集団によるADMIXTURE分析でも確認されますが、中国人に関しては、漢人の南北間でも明確な違いがあり、傣(Dai)人は漢人との間にさらに大きな違いを示し、北部漢人よりも南部漢人の方と近縁です。以下、本論文の図2です。
画像
https://advances.sciencemag.org/content/advances/6/22/eaaz7835/F2.large.jpg
本論文の分析では、韓国人が中国人や日本人といった他のアジア東部集団と比較して遺伝的に均一である、と改めて示されました。本論文は、これが過去数千年の地政学的孤立に起因する、と推測しています。上述のように、中国人は漢人と傣人との間の遺伝的違いが大きく、漢人の南北間でもやや違いが目立ちます。中国人と比較すると、日本人も遺伝的に均一と言えるでしょうが、韓国人は日本人よりもさらに遺伝的に均一というわけです。韓国人はさらに、本論文のデータセットで中国人としてまとめられている北部漢人や南部漢人や傣人との比較でも、遺伝的に均一です。 >日本人が縄文人度が10%無いのにDが40%居る説明は?
西日本人縄文時代人のゲノムは現在の南朝鮮人と同じだから、韓国で既にDが40%の混血が居て、それが日本に移住して来たんだよ:
アイヌ語を話している東日本縄文人は旧石器時代に樺太から渡来した
日本語を話している西日本縄文人は縄文時代後期に南朝鮮から渡来した
神澤 秀明 2019年6月
韓国加徳島獐遺跡出土人骨のDNA分析
https://researchmap.jp/hk-k/misc/21287393
現代「本土」集団における「縄文人」系統の割合は、神澤論文では9〜15%、覚張論文では8%程度と推定されています。
弥生時代以降に日本列島に到来した集団における長江流域稲作集団の影響は、遺伝的には小さく、文化的には間接的だった、と考えられます。
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_5.html
従って
結論
日本人は朝鮮人だった >日本やチベットやアンダマン諸島など、世界では珍しいYHg-Dも確認されています(1.42%)
韓国で縄文時代には Dが40% だったけど、その後漢民族にレイプされまくって1.42%まで減ったんだな 日本人が縄文人度が10%というのは
アイヌ語を話していた東日本縄文人の遺伝子が10%しか入っていない
という事だよ。 レディットのコミュニティに入ってくれた人、なんでやめちゃったんだ?
やっぱもっと硬い方が良かったのか...?
discordのコミュニティが絵文字多い方が伸びてるから俺も真似したんだけど、内容が内容だけにこの話題じゃシンプルな方が良かったのかな?? 弥生人のY-DNAにDもあったみたいだから彼らは半島でもある程度分布し生存していたんだろう
そもそもDが日本とチベットにしかいないというのは現代の話であって、真ん中の中国や半島にも昔はいたんだ
弥生人のY染色体のうちサンプルの半数はCだったというのも興味深いね
騎馬民族征服王朝仮説を想起させる結果だ なぜかURL貼れないので青谷上寺地遺跡で検索!
今回のテーマとして取り上げられた上寺地遺跡の詳細については、wikipediaの「青谷上寺地遺跡」などを見てもらえばよいのですが、発掘物の保存状態が極めて良いことから「弥生の宝庫」とも呼ばれているそうです。今回の講演の目玉は、何と言っても、青谷上寺地遺跡で発掘された殺傷痕のある大量の弥生時代の人骨のDNA分析の結果の公開でしょう。弥生人のDNA分析については、今までは九州出土の人骨のみでの分析が行われてきており、九州以外での弥生人集団の骨の分析は青谷上寺地遺跡が初めてとのことです。このシンポジウムでは、「この上寺地遺跡の分析によって今年が弥生時代の『DNA元年』となった」というような表現が目を引きました。 国立科学博物館の篠田謙一副館長による講演「DNAが語る青谷の弥生人」の概要を以下に紹介します。最近盛んにおこなわれるようになった古代人骨のDNA分析ですが、その分析対象には、母系を示すミトコンドリア、父系を示すY染色体、全遺伝子の交配度合いを示す核ゲノムの三種類があります。分析の難しさもこの順に高くなります。
(1)ミトコンドリア
昨年11月の時点で既に公表されていますが、この遺跡の人骨から確認された29の母系系統のうち、縄文人固有の母系を示すハプロタイプはM7aの1系統のみであり、残りはすべて弥生時代になってから大陸から渡来した渡来人に固有の母系系統系統であったとのこと。このことから昨年の時点では、「殺傷痕のあるグループの大半は渡来人で構成され、しかもその構成は多様であり、外部から青谷に来て短期的に滞在していた可能性が高い人々」と解釈されていました。
(縄文人のミトコンドリアハプロタイプの中で縄文人固有なタイプとしては、N9bが58%、M7aが25%、D4h2が9%、合計で92%。現代日本人では、縄文人固有のそれはM7aが8%、N9bが2%であり、合計10%。
対して、上寺地遺跡での縄文人固有のミトコンドリアハプロタイプはM7aのみの3%。確かに、上寺地遺跡では、現代日本人での比率よりもさらに渡来系の比率が多くなっています。 参考:wikipedia「縄文人」)
(2)Y染色体
父系を表すY染色体のハプロタイプについては、現在4体の分析が終わっているとのこと。そのハプロタイプは、Oが一体、C1a1が2体、Dが1体。このうちC1a1とDタイプは縄文系かつ日本列島に固有なタイプ。Oタイプはその大半が大陸の漢民族に含まれており渡来系とのことです。つまり、少なくとも4体中3体が縄文系ということになり、ミトコンドリアの分析結果とは相反する結果となりました。まだ分析数が少ないので断定的なことは言えませんが、弥生末期になっても縄文的要素が多く残っていた可能性が高くなってきました。
(3)核ゲノム
人類の各集団間の混合度合いを推定する手法としては、核ゲノムの分析、すなわち全遺伝子の分析以上に優れたツールはありません。この全遺伝子に関する上寺地遺跡の分析結果については、まだ6体分(Y染色体分析分を含む)しか終了していないとのこと。
今までの分析結果によれば、青谷上寺地遺跡のそれは意外にも現代日本人の全ゲノム分析結果とほぼ重なる範囲にあるとのこと。この結果は、北部九州の弥生人骨の分析結果とほぼ同様だそうです。
(国立遺伝学研究所の斎藤成也教授の著書によると、現代日本人の核ゲノム全遺伝子に占める縄文人由来の遺伝子は、12%から20%の範囲にあるとのこと。)
弥生時代の始まりはBC1000年頃、青谷上寺地遺跡の集団人骨は二世紀後半、即ちAD100年代後半のものであり、弥生時代の初めから1200年近くの間、大陸から人が次々に渡来し続けていたとすれば、縄文人と渡来人は既に十分に交じり合っていたと考えてもよいのではないかとのことでした。
シンポジウムの後半では、篠田副館長、「青谷上寺地遺跡をの弥生人をとりまく古環境」の表題で今回講演をされた韓国慶州文化財研究所の安特別研究員、弥生時代を専門とする考古学者である国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎教授の三者によるパネルディスカッションが行われました。その発言の一部を以下に紹介しておきます。
比率で大きな差がないという事実は、大陸からの渡来が暴力的ではなく平和裏に行われたこと、男性集団のみの渡来ではなくて家族を伴ってこの列島へ渡来してきたことを示しているものと考えられます。弥生末期には集落間の抗争がかなり発生したとはいうものの、約三千年前から二千年くらい前までは、我々のご先祖様の片割れである縄文人が、同じくご先祖様のもう一方の片割れである渡来人をおおむね平和裏に受け入れていたという事実は、今後の日本社会の在り方に対して示唆するところが多いように感じました。 藤尾 「二世紀半ばは降水量の変動が激しく、青谷平野のように水害の影響を受けやすい地域ではコメの収穫量が大きく変動した可能性がある。飢饉の年には集落間で戦争が起こって大量殺戮の原因となったのかもしれない。この時期は魏志倭人伝にある「倭国大乱」の時期にほぼ重なる。
この遺跡で発見された大量の人骨は、いったん重なり合うように埋められた後で一度掘り返されており、骨が散乱しているのはその結果。掘り返された理由はよくわからない。」
篠田 「今回のDNA分析結果はまだ解析途中であり確定的なことは言えない。また、渡来人のDNAについては、韓国や中国の古人骨のデータがまだ不十分な状態であり、その進捗を待ちたい。
現在言えることは、青谷上寺地については、少なくとも当時の韓国南部とはかなり重なるDNAを持っていたのではないだろうかということ。またDNAの構成から見て、当時の北九州と青谷上寺地も同じ位置づけにあったと思う。定住ではなく互いに行ったり来たりしていたのが、当時の各地の住民の姿だと思う。」
安 「当時の上寺地遺跡の周辺には平地に杉林が豊富にあり、住民はこの杉を使って水路の護岸や建築物を整備していた。同様の平地の杉林は湖山池周辺、さらに福井の三方湖付近にもみられる。
韓国には杉の木はないので、渡来民は青谷の杉林を見て驚いたのではないだろうか。上寺地遺跡の周辺からは、トチ、クリ、クルミ、モモ等の実、アワ、キビなどが出土しており、水田以外にも畑や果樹林があったようだ。」
藤尾 「DNAから見ると、上寺地遺跡は閉鎖的な集落ではなくて、各地との交易の拠点であったと思われる。鉄器、木製品が豊富に出土することもそれを裏付けている。韓国南海岸の勒島(ヌクト)遺跡からは、上寺地とそっくり同じものがいくつも出ている。
二世紀の後半は、それまでの銅鐸や銅矛などの青銅器を対象とする祭りから、卑弥呼を主とするヤマト王権への祭祀への過渡期。淀江妻木晩田遺跡も二世紀後半が最盛期。これら他の集落との関係が当時どうであったのか、大量殺戮に他の集落が関わっていたのかどうか、大変興味深い。」
以上で今回のシンポジウムは終了。
なお、パネルディスカッションのコーディネーターを務めたのは、県埋蔵文化財センターの濱田竜彦係長。各発言者への話題の割り振りは適切、かつ全体の議論の進行管理もスムーズに感じました。事前の調整があらかじめあったのでしょうが、その働きは高く評価されてよいと思いました。
参考までに、弥生末期当時の青谷平野の想像図を下に示しておきます。現在の青谷平野の状況と見比べてみてください。
・弥生時代の南側から見た青谷平野(想像図)
イメージ 1
・現在の青谷平野
イメージ 2
上寺地遺跡は、日本海側に多数ある潟湖を利用した交易を主とする集落であり、このような地形を利用した弥生時代の集落は、県内には淀江、東郷池周辺、湖山池周辺等、数多くあります。これらの集落相互の関係はどうだったのか、交易の主導権をめぐって互いに争うことはなかったのかが気になるところです。
上の想像図は、安研究員が大学院生として日本に留学されていた当時、同女史が青谷で発掘した花粉の分析結果から推定した植生をもとにして書かれたものです。日本に留学していただけあって、安さんは流ちょうな日本語で講演されていました。
また、今回の分析結果で注目されるのは、この遺跡に限定したことではなく日本全国での傾向として言えることですが、渡来人系も縄文人系も、母系と父系での比率の大小の違いはありますが、ともにかなりの比率を維持しつつ交じり合っていることです。
ある人類集団に対して別の集団が暴力的に侵略した場合には、その結果として、父系には侵略者側の、母系には被侵略者側のDNA比率が高くなることが一般的であると言われています。中南米地域はその典型例であり、スペイン人を主とする侵略者側は男性がほとんどであり、侵略後は現地のインディオ女性を妻とし、インディオ男性は殺すか奴隷として酷使しました。まだ詳しいデータを見つけてはいませんが、そのような侵略の結果として、現在の中南米の混血系住民の大半の遺伝子では、父系はスペイン系、母系はインディオ系になっているものと思われます。
13世紀に東アジアから東欧にかけてユーラシア大陸の大半を武力で征服したあのジンギスカンと同じタイプのY染色体をもつ男性が、一説によれば、今日の世界には千数百万人はいる(真偽のほどは不明)と言われているのも、別の例にほかなりません。
現在の日本人で、父系母系ともに縄文系と渡来系の遺伝子 ただ、弥生人は非常に排他的な集団で長らく縄文系の人たちとは居住地を
別にして暮らしていた事が分かっているんだよ
もうすでに王を頂点する血統社会で土着民との混血を嫌がっていたのではないか?
スペイン人の中南米征服とは訳が違うんだよね
舟の民でもあるので、日本各地に植民都市を築きながら増えていったのではないか? .
日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。
◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕
◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット
鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。
鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。
甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。
釜が伝わったのは古墳期の5C頃。
稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
. >>870
北米系の移民だということね
原住民を居留地に押し込んで純血を保っていたんだろう c1a1は渡来系だから4人のうち3人が渡来系になってmtの結果と整合性が取れる。日本で広がって枝の上流から派生したのが中国や韓国で沢山見つかってるのを知らないのか、それとも見てみぬふりを決め込んでるのか。 Cが弥生系って俺も思ってたんだけど保守的な学会は認めようとしないんだよ
縄文人の前のオーストラロイドとか言ってるからね Cはイランあたりで北回りと南回りに分かれてるだろ
北回りの旧石器人がもたらしたハプロタイプだろう 中国全土や韓国全土で発見されたC1a1ってたった数人〜十数人だろ。
現在の日本全土にはC1a1が数百万人いるから大昔に日本列島にいたC1a1で韓国や中国へ渡来した末裔が生き残りがいるって言う考えもできるし、日本からの貿易商人の末裔や過去何度かあった戦争で残った末裔という考えもできると思うがね。
母体数が違いすぎる。日本人C1a1全員のY染色体調べれば日本→韓国→中国と広がったデータがわかるかもしれない。(C1a1:本土数百万人、沖縄十数万人、韓国数人、中国数人) (D1a2aだって韓国で計算上二百万人はいる)
あとは縄文人のY染色体でわかってるのが東日本縄文人のY染色体だけだから、西日本縄文人や琉球列島縄文人は未確定。今後多くの古代人のY染色体が発見されればわかるんだろうけどね。 >>877
調べきったくらいな勢いの中国・韓国と比べ、日本ではC1a1は全然調べられていない。
数百万人分のサンプルがまだ調べられていなく、たった数人〜十数分のサンプルで『決定』だなんで甚だ言えないと思うが。
中国韓国にC1a1が数百万人くらいいればわかるが何故か数人〜数十人しかいない。日本でまだ調べられていない日本にまだいる古い型がたまたま外国に行き、そこに定着したという可能性もあるだろう。 イランからアルタイ、アルタイからモンゴル内モンゴル、モンゴル内モンゴルから
遼寧、遼寧から朝鮮半島、朝鮮半島から日本列島に一番最初にやってきた旧石器人の
ハプロタイプだろう
その後にDが入ってきた >>878
?
遼寧省だけでかなりの数見つかってるのよソースは中国の分子人類学掲示板。それに日本で数百万人と言うなら、中国や韓国でも検査数から割り出せば結構な人数になる。
中国や韓国で見られる上流の枝が日本で見つからない時点でもう確定だと思うけどね。 調べきったとかも意味不明。少ないサンプルでポロポロ上流枝から分岐したのが出てくる中国や韓国に比べて日本では結構なサンプルがあって、そのどれもが一つの枝から2000〜4000年以内の分岐に収まる。これはもう確定だよ。 C1a1なんて個人でもある程度調べられるよ。
国立国会図書館で下記のサイト内からY-STRが全て
調べられるからC1a1 が縄文系だと思う人は自分で
集計してみたらどうかな?
3852人分のY-STRは結構有益な情報になるよ。
因みにC1a1のY-STRは特徴があるから見つけるのは結構簡単だよ。
特徴があるC1a1 の数が5%に近ければ日本のC1a1の枝は既にほぼ確定しているよ。
俺も客観的に見てC1a1はDと同じ縄文系とは思えないな。 ヨーロッパにC1a2がいて、アジアにはC1a1がいる。謎大きY染色体だなと思う。
日本のD1a2aと韓国のD1a2aどっちの方が古いんだろ… Cはアフリカで生まれてイランあたりでヨーロッパに向かったり、アジアには北回りと
南回りで広がり、起源地のアフリカではより適したハプロタイプが出てきて消滅した
古いハプロタイプ
一番最初に半島から日本列島に入ってきた日本最古の旧石器人のハプロタイプだろう
Dが半島から日本列島に入ってきたのは、この一万年以上あとだろう STRでハプログループが予測できないことはボランティアによる
FTDNA各プロジョクトで証明されているし、
FTDNAテストもBigY-700で直接200000個以上のSNPを読み取って
ハプログループを決定するようになった
今後はSNPで語ってくれ >>886
これがDが思い描く妄想なんだよな
むしろ渡来人のハプロはC中心だった
騎馬民族征服王朝説の通り天孫族や隼人はみんなCなんだよ .
今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。
紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。
こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。
http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975
. >>888
まず自分のY染色体のSNPを全て調べ上げろ .
◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
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