料亭 | 五感にごちそうかなざわ
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料亭に代表される、洗練された職人の技、美しく食べる作法、空間への気配りが、大切に育まれてきました。

日本文化の集大成で加賀料理の真髄を味わう
古くからの歴史を持つ金沢。このまちには老舗が多く、料理店も例外ではない。中でも特筆すべきなのが料亭。
ここは本格的な料理を提供するだけでなく、建物や器、調度品、美しい日本庭園、さらにはもてなしの仕方まで、あらゆる「文化」の集合体といえる。

諸説ある「加賀料理」の語源

金沢には料亭のみが所属できる金沢市料理業組合への加入店が15軒前後ある。金沢最古の料亭は寺町にある「つば甚」で、宝暦2(1752)年の創業。加賀藩主に料理の腕を認められた、鍔づくり職人であった初代が開いたとされる。
この料亭で腕を磨いた料理人が独立し新たな店を構えるなどして、どんどん店が増えていったのだろう。

料亭で最も大切なのは料理。加賀料理と呼ばれるこの地方独特のものが提供されることが多い。加賀料理はハッキリとした定義はなく、その言葉自体、戦後になり定着したと考えられている。

地理的な条件も加賀料理の特徴

金沢は山海に囲まれたロケーションで新鮮な食材が容易に手に入るうえ、加賀平野は肥沃で米や野菜が豊富にとれる恵まれた土地。上流階級も庶民もその恩恵にあずかることができた。

そしてもうひとつの特長が豪快さ。金沢はちょうど関西と関東の中間に位置している。藩祖前田利家は主君である豊臣秀吉の影響を受けて京風の文化を取り入れたが、時代を経るにつれ、幕府がある江戸発信の武家文化とも混ざり合い、徐々に独自性を増していったと推測される。

加賀料理の中でも代表的なのが「鯛の唐蒸し」で、背開きにした鯛に具入りのおからを詰めて蒸したこの料理は、味が濃く京風懐石とも違った趣。豪快ながらも鯛自体の味が生きている。
この料理と並んで有名な「治部(じぶ)(治部煮/じぶに)」は、鴨肉と野菜、そして金沢独特のすだれ麸が使われており、繊細なダシのうまみと食材自体のおいしさが調和している。まさに加賀料理の長所を表現しているといえるだろう。

食材にもとことんこだわりを

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加賀料理の根幹をなす食材は、「金沢市民の台所」と呼ばれる近江町市場に数多く集まる。料亭の料理人たちはこの市場に出向き、自らの目でいいものを確かめて仕入れている。
近江町の鮮魚店は「料亭ご用達」を名乗ることもあるように、店にとっても料亭に食材を卸すことは名誉といえるため競っていいものを仕入れる。
これが鮮魚店の目を磨き、底上げにつながっているともいえるだろう。そして西部にある金沢市中央卸売市場にも足を運ぶほか、自家菜園を持つ料亭もある。

このように食材探しには手間を惜しまないことが、金沢の料亭文化を支えている。

殿様の料理番が開いた料亭も

金沢市内に店を構える老舗料亭「大友楼」は、もともと加賀藩の藩主に食事をつくる「膳所」に勤めていた人間が開いたとされる。大友楼はその後多くの料理人を輩出し、独立して料亭を構えるものも少なくなく、その料理が広まっていったと推測される。
殿様の料理番の末裔、およびその弟子たちの末裔がつくる料理が、現代の金沢で味わえるといえよう。

今日の料理は、時代を経て生まれたものと考えられる。時代とともに洗練され、現在のような形になった加賀料理の数々は殿様も食べられなかった。ぜひ洗練に洗練を極めた料理を、料亭で味わってほしい。