「愚将」牟田口廉也 “不適材不適所”を生んだ組織の病とは何か? 今につながる、日本陸軍の問題
http://bunshun.jp/articles/-/8520

 また、最近になって、SNS上では東京オリンピックにまつわる話題のなかで、牟田口のことに注目が集まっている。
それは、オリンピック開催中、猛暑が予想されているにも拘らず、再検討をしない小池百合子東京都知事や、
森喜朗JOC会長を名指しし、彼らの考えを「牟田口的」であると批判する書き込みが現れたからだ。
これは、無理な計画を推し進めた「愚将」牟田口のイメージが今でも残っているといえるのではないか。

 もともと、牟田口は陸軍大学卒業後、陸軍中央の部局で実務にあたった、今でいうキャリア官僚のような軍人だった。
しかし、1930年代なかば、牟田口は陸軍内の派閥抗争に巻き込まれ、一転して、中国の前線部隊の司令官に「左遷」された。
そこで起きたのが盧溝橋事件だった。指揮官の経験がない牟田口は、命令を二転三転し、現場を混乱させた。

 牟田口は、マレー作戦で自ら先頭に立って勝利を手にした。
しかし、その結果、牟田口のなかに「イギリス軍は弱い」という意識が芽生えてしまった。
牟田口がインパール作戦を強行したのも、そのような意識が根底にあった。

 牟田口は、しばしば感情によって方針を決定することがあり、変化する状況に対し、合理的判断を要求される軍司令官の職には不向きだった。
彼のことを「不適材不適所」と称したのはそれが理由である。そして、その結果が「愚将」というレッテルではないだろうか。