三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
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そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる

このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない

神武東征が卑弥呼より前ならば、畿内は当初から北部九州から鉄材も鉄鍛冶職人も入手可能なはずで
四世紀まで鉄器が普及しなかった理由を説明できない

証明終わり