二・二六事件
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二・二六事件は、1936年2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官・兵を率いて起こした日本のクーデター未遂事件である。
原因、経過、結果等の考察を、お願いします。 事件の起こる6年前、金輸出解禁と世界恐慌により、日本は深刻な不景気(昭和恐慌)に見舞われました。企業は次々と倒産し、町は失業者であふれました。さらに農村でも農作物価格が下落し、都市の失業者が農山村に戻ったこともあり、農民の生活は大変苦しく(農村恐慌)、自分の娘を女郎屋に身売りする家もたくさん出てきました。
こうしたなか、当時の政党内閣は適切な対応をとらず、また汚職事件が続発しました。また不景気のなか、巨大な資本を用いて財閥だけが肥え太る状況が生まれました。このため、人びとは政党に失望し、財閥を憎み、満州事変などによって大陸に勢力を広げる軍部(とくに陸軍)に期待するようになりました。こうした国民の支持を背景に、軍部や軍に所属する青年将校たちが力をもち、右翼と協力して国家の革新を目指すようになります。 当時の陸軍には「統制派」(とうせいは)と「皇道派」(こうどうは)という2つの派閥がありました。「統制派」は、陸軍の中枢の高官が中心になった派閥です。彼らは政府や経済に介入し、軍部よりに政府を変えていこうと考えています。これに対して「皇道派」は、天皇親政を目指し、そのためには武力行使などを辞さない一派です。 陸軍皇道派青年将校によるクーデター事件。1936年(昭和11)2月26日早暁、歩兵第一・第三連隊、近衛(このえ)歩兵第三連隊など約1500人の在京部隊が、首相・蔵相官邸、警視庁はじめ、政府首脳や重臣の官・私邸、朝日新聞社などを襲撃した。指揮にあたったのは栗原安秀(くりはらやすひで)中尉、安藤輝三(てるぞう)大尉、野中四郎大尉、免官となっていた村中孝次(こうじ)、磯部浅一(いそべあさいち)ら皇道派青年将校であった。このとき岡田啓介(けいすけ)首相と誤認された義弟で秘書であった松尾伝蔵海軍大佐が射殺されたのをはじめ、高橋是清(これきよ)蔵相、斎藤実(まこと)内大臣、渡辺錠太郎(じょうたろう)教育総監が殺害され、鈴木貫太郎侍従長が重傷を負った。また神奈川県湯河原滞在中の前内大臣牧野伸顕(まきののぶあき)も襲われたが、危うく難を逃れた。 この事件と515は神国日本の最衰運の兆候であった。
つまり事前に以後起こる太平洋戦争の敗戦となる大凶の暗雲の兆候。
https://www.youtube.com/watch?v=Akw9NZgDT5s 乃木希典って後醍醐天皇の悪いところを昭和天皇に教育したんだよな
そりゃ2.26事件起きたら激怒されるわw 相沢事件で永田鉄山が暗殺されたのが、日本の運命を狂わせた
永田鉄山が存命なら、東條が総理大臣になることはなかっただろう。 重臣を暗殺し昭和天皇を担いで天皇親政させようとしたら、昭和天皇に逆賊扱いされ涙目 黒幕の真崎は予備役編入の処分しかされなかった
真崎は226事件を利用して総理大臣になろうとした悪人 226事件関係者は、昭和天皇を退位させ、秩父宮か高松宮を天皇にしようとしていたらしい。 陸軍は226事件を利用して日本を乗っ取ろうとしていた。
激怒した昭和天皇は、近衛師団と海軍を使い反乱軍を鎮圧しようとしていた。
陸軍は226事件首謀者を見捨て鎮圧側に逃げた 時の天皇が後醍醐天皇なら天皇親政をやってくれたのでは?w
そのかわり将校らの操り人形にならないぞw 非常に興味深いスレだが、
二・二六を語るのにここまで北一輝の名を全く見ないのはどうしたことか。
事件の思想的構造の考察無しに『右からの革命闘争』という本質は語り得ないだろう。
この″非共産主義の立場からの資本主義否定の試み″は、
資本主義のalternativeが絶滅したかに見える現代に於いてこそ優れて尖鋭的な示唆を与えるものであると考える。 背後関係者として、北一輝・西田税・磯部浅一・村中孝次の刑が執行された。
北一輝:死刑
西田税:死刑
磯部浅一:無期禁固
村中孝次:禁固3年 事件の黒幕と疑われた真崎甚三郎大将(前教育総監。皇道派)は、1937年(昭和12年)1月25日に反乱幇助で軍法会議に起訴されたが、否認した。論告求刑は反乱者を利する罪で禁錮13年であったが、9月25日に無罪判決が下る。 陸軍省・参謀本部ではクーデターが万一成就した時の仮政府について下記のように予想していた
内閣総理大臣 真崎甚三郎
内大臣あるいは参謀総長 荒木貞夫
陸軍大臣 小畑敏四郎あるいは柳川平助
大蔵大臣 勝田主計あるいは結城豊太郎
司法大臣 光行次郎
(不詳) 北一輝
内閣書記官長 西田税 >>2
>当時の政党内閣は適切な対応をとらず、また汚職事件が続発しました。
>また不景気のなか、巨大な資本を用いて財閥だけが肥え太る状況が生まれました
よく語られるこれ。本当なんだろうか? 日本の戦前は左翼視点が強すぎて
実体とあわないことがものすごくある。 南北朝時代は臣民である足利尊氏よって救国されたけど
昭和は天皇である昭和天皇によって臣民は救われた 南北朝時代は臣民である足利尊氏よって救国されたけど
昭和は天皇である昭和天皇によって臣民は救われた
劣化してるのは変わらないからまた天皇によって救われるかもなw 尊氏は優柔不断だからあんまり信用できないが
結果的には救国し楠木正成ら日本を代表する英雄のひとり
しかし源頼朝くらいの目の肥えた教養がほしい
頼朝は歴史に残す大きなやらかしがないからイデオロギー面で語られない
国体に対する距離感が抜群
家康は新田氏、源氏の末裔って見栄っ張りなウソが大きな仇を残こし
楠木正成が英雄として復権し最期の将軍が慶喜と末代に響くことをした 226事件で予備役になった者が大臣にならないように、広田内閣で軍部大臣現役武官制が復活。
しかし荒木は予備役で文部大臣になった 米内光政は、予備役なのに、海軍大臣就任のために形式的に現役復帰という形にして海軍大臣に就任した 軍部大臣現役武官制を復活させた広田は、極東国際軍事裁判で死刑となった 1932年の五・一五事件で、首相を殺した犯人さえ死刑にしなかったことは、日本政府の最大の失敗であった。そして、犯人たちに多くの同情が集まり、軽い処分しか下されなかったことが、さらに二・二六事件、そしてその後の危機を招く大きな要因となっていく。 「統制派」が掌握した陸軍本省によって、当時「皇道派」の中心とみられた東京の第1師団を3月に満州に派遣することが急きょ、決まった。
そのため青年将校らは決起を焦り、計画がまだ不完全なままクーデターを実行。肝心の詰めの部分は計画しないままの中途半端な行動になってしまいました。 張作霖爆殺事件の主犯、河本が無罪というところから狂っている 515事件の犯人への処罰が甘かったから、226事件の関係者は、事件後の処罰を軽くみていたらしい 結局ここも表面事実限定のヲタク的知識を披露し合うだけのスレになったか…。 生き残った皇道派は、中央から遠ざけられ、前線部隊に送られていった。
山下奉文少将など 元々は北一輝の国家有機体論の一要素としての天皇「器官」説(美濃部達吉の天皇機関説にも通じる)を信奉していた一派が、
何故にファナティックな「天皇親政」(北が最も侮蔑した思想だ)へ転化して行かなければならなかったのか、
何故に彼等の蹶起檄文が共産主義者のアジテーションに酷似しなければならなかったのか、
その唖然とするほどの逆説を構造的に解かないことには二・二六の本質は見えない。 君側の奸を取り除いて天皇親政を実現すれば、不景気も回復し日本が豊かになる。
226事件を起こした連中は妄想野郎だらけ 「尊王」を掲げるが、天皇からは逆賊扱い。
頼みの陸軍上層部からも見放され、討伐される寸前に降伏。
首謀者は軍事裁判で死刑となった >>37
浅い。
天皇親政とは、
実は超越的存在である天皇を汚濁に塗れた世俗権力の地平へ引き摺り降ろすことに他ならない。
狂的なまでに天皇を神聖視した者たちがそんな究極の「不敬」を犯す倒錯に陥った理由は、
「妄想野郎」などという個人属性に帰するべきものではなくて必ず何らかの構造に由来する筈だ。
その構造こそを考えていくべきだろう。 陸軍省・参謀本部では226事件クーデターが万一成就した時の仮政府について下記のように予想していた
内閣総理大臣 真崎甚三郎
内大臣あるいは参謀総長 荒木貞夫
陸軍大臣 小畑敏四郎あるいは柳川平助
教育総監 牟田口れんや
大蔵大臣 勝田主計あるいは結城豊太郎
司法大臣 光行次郎
(不詳) 北一輝
内閣書記官長 西田税 牟田口は「一度、教育総監をやってみたい」と口にし、周囲の笑いものになった。 青年将校は東北の農村が壊滅状態となり兵の姉などが身売りされる状況に憤りを感じ決起に及んだという話がある
東北の惨状は事実であるがそれらの兵の所属する師団は仙台第二師団や青森第八師団であって決起将校達の所属する第一師団ではない
第一師団の徴募地区は東京であり兵隊は東京人で大阪第四師団と並び兵に農民が最も少ない師団である 東京も景気は悪いが流石にそこまでではない
姉が身売りした兵など最も少ない師団でありそんな話は東北の師団の将校から聞くかあるいは身売りした当人から直接聞くしかない
推測だが一部青年将校置き屋にでも通っていて女郎から直接聞いたとかいうのが実態ではなかろうか 陸軍省・参謀本部では226事件クーデターが万一成就した時の仮政府について下記のように予想していた
内閣総理大臣 真崎甚三郎
内大臣あるいは参謀総長 荒木貞夫
陸軍大臣 小畑敏四郎あるいは柳川平助
教育総監 牟田口れんや
大蔵大臣 勝田主計あるいは結城豊太郎
司法大臣 光行次郎
(不詳) 北一輝
内閣書記官長 西田税 >>45
高倉健、吉永小百合主演の動乱でそのように書かれている
このモデルは磯部浅一らしく、磯部の妻は朝鮮の大ていに芸者に売られていたのを現地の80連隊に所属していた磯部が同情して身請けしたという話が下敷きらしい
こうした事から兵の姉が売られて同情説が人口に膾炙するようになったのではないだろうか 2‣26事件とオウム真理教事件、
日本史においてどちらの方が重要重大な事件です?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています