最古稲作遺構の菜畑遺跡には渡来人が入植した痕跡がない

青森の砂沢遺跡は前7C頃の水田遺構だが、中部地方よりも200年も先に、
関東地方よりも600年も先に稲作が始まっていた

搬入された遠賀川式土器が数点見つかっているものの入植した事を
意味する在地産の遠賀川式土器遺構がないため、九州北部との交流を通じて
稲作を取り入れて自ら稲作を始めたものと見られる

けっきょく菜畑遺跡もこれと同じ

交流していた朝鮮南部から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから外来人の入植痕跡がない

朝鮮半島の稲作も同じだろう

交流していた遼東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから外来人の入植痕遺構がない

遼東半島の稲作も同じだろう

交流していた山東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから中国から入植した事を意味する中国土器遺構がない

稲作渡来民なんて幻想

そんなものは存在しない