幕末暗殺史
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薩長を罵ってばかりいる会津人にもまったく同じことが言えますね 当時暗殺をする人は英雄扱いだったんだろうか?
周りの評価が気になる。武士道的にも闇討ちになって卑怯っぽいんだけどなあ。
>>109
とりあえず、尊王攘夷派の間で天誅は英雄視される行為だった。
何故なら安政の大獄で志士捕まえまくったスパイが主な被害者だったから。
だが、調子こいて余計な暗殺までしてたアホゥが居たのも事実 >>109
志士を騙って商家から金を脅し取ったり、確たる証拠もないのに
佐幕派と決めつけて斬った者は当然尊敬の的にはならなかった。
ニセ志士に至っては長州藩士や土佐勤王党の志士から天誅を受けている。
仏生寺弥助などが良い例。
天誅で1番グロいのは猿の文吉だと思う。 殺し方が暗殺と言うよりリンチ…
大事な部分に竹みたいなん刺さってるし。 >>109
京都では暗殺やりすぎて、(e.g.姉小路)
雄藩が公家から「なんとかしてくれ」って泣きつかれた。
それで雄藩で尊攘派の弾圧が始まった。 >>112
猿の文吉は岡田以蔵ら土佐勤王党の数人が殺ったんだよね。
「奉行所の狗の目明し如きを斬るなんて刀の穢れだ」と言う事で
以蔵が扼殺したんだよね。更に見せしめ効果をより一層高める為に
あんな残酷な晒し方をしたんだよね。
この頃の攘夷派は完全に調子に乗っていたね。
それで調子に乗り過ぎて、酒に酔った数人が足利三代将軍の木造の
首を切り落として、晒したんだよね。それでそれまで攘夷派となるべく
話し合いをしようとしていた松平容保がキレちゃって、攘夷派に弾圧を
加え初めて、更に連合を申し出た薩摩藩と一緒に長州藩を京都から叩き出した
んだよね。
何事も調子に乗り過ぎてはいけないね。 足利三代将軍木像梟首事件の犯行には、会津藩士が関わっていたことを
容保は知らなかったのだろうか 元々は安政の大獄の反動なんだよね。大獄に関わった人らを天誅してたんだっけ?
長野シュゼンとか。 >>115
えっ!会津藩士が関わっていたの?容保以前に俺がその事実を知らなかった。
詳細を教えて頂けますか? >>117
大庭恭平
http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%BA%AD%E6%81%AD%E5%B9%B3
幕末維新期の会津藩(福島県)藩士。名は景範,松斎と号した。会津藩士の家に生まれ,
文久2(1862)年藩主松平容保が京都守護職に任命されると,藩主の上洛に先立って京都に入り,
諸浪士と往来,翌文久3年,等持院に安置された足利3代の木像の首を切るという,
いわゆる足利事件を引き起こした。 当時の京の尊攘派は、人を殺しすぎて、朝廷からも迷惑に思われていた。
ところが旧来の歴史感では佐幕派の巻き返しで、
京から追い出されたり、藩で弾圧されたことになってる。
実際は人を殺しすぎて墓穴を掘った。
関白近衛から苦情言われた武市が、天誅控えろと言ったのにも関わらず、過激派攘夷志士のアホどもが調子に乗って無視して暴れまくってたんだよな
姉小路も武市の片腕だった平井が護身用の拳銃渡したりして必死に守ろうとしてたのに、結局殺されてしまった
勤王党や攘夷派でも過激派連中と、それ以外では相当温度差が有ったと思われる >>118
こいつ勤王党の平井の日記に名前がよく出て来てた会津藩士だわwww
>>112
文吉に限らず天誅なんて全部志士多数によるリンチ以外のなにものでも無いよ?
だから人斬りだけが人斬ってたと思うのは大間違い
文吉は安政の大獄で活躍して攘夷派の志士に恨まれていただけじゃなく、御所の女官をレイプしたり、借金取り立てやら、ヤクザまがいの事やって庶民にも恨まれているような奴だった
死体に石投げられたらしいし
勤王党でも斬りたい人が多すぎて籤引きで刺客選んでいるような始末だったwww >>114
違う、勤王党で籤引きで刺客を選び、下の連中達が殺し方談義で盛り上がっていた時に、島村衞吉が「あんな犬猫同然なものを斬るなど刀の穢れである。絞殺にすればよろしい」と言った事で殺し方が決まった
と、元勤王党員が言っていた。
天誅してた奴らには、どさくさにまぎれて金盗んだ奴もいるしどうしようもない。
>>121
武市は近衛に言われるまでは天誅に関与してるだろ。
しかも天下の行方に関係ないつまらない天誅。 そりゃあ天誅なんて、安政の大獄関係者に対するお礼参りがほとんどなんだから、客観的に見ればつまらない暗殺にしか見えないだろうなwww
だが、武市はずっと京都に居たわけじゃないから、天誅全部に武市が関わってるというのはあり得ない
平井ならずっと京都に居たからあり得るかもしれないけどwww
例えば、その頃江戸に居た武市には、多田帯刀の暗殺に関わる事は絶対に不可能。
アリバイがあるからね。
勤王党の犯行だとしたら、あきらかに平井を中心とした京都に残った連中が長州と組んでやってる
実際、平井や勤王党員が武市の居ない間に勝手にやった天誅がかなり武市のせいにされてる事が有る
土佐からの追手の暗殺だって本当は平井の指示だし
>>126
まさか武市が関与した天誅は一つも存在しないと主張するんじゃないでしょうなあ。
実行はしたことないようだがね。 >>118
会津藩の黒い噂は多い。
本間精一朗も会津藩の親戚の所に出入りし日頃の不穏な言動から
薩長土離間工作の為のスパイではないかと危惧され暗殺された。
だが本物の工作員はより慎重かつ優秀で藩への忠誠心も強い人物だったと思われる。
兄が会津藩主松平容保の側近である佐々木只三郎は佐幕派のヒットマンだったらしい。
井伊直弼の右腕だった長野主膳と交流があり清河八郎や坂本龍馬など尊攘・倒幕派の暗殺に腕を振るった。
会津の闇は深い。 >>127
そうは言って無い
長野の同心与力、本間の天誅は直接指揮してるし、文吉も武市が関わってた可能性が濃厚
ただ、天誅は全部武市が黒幕だという事にしておけば良いよねwwwみたいなのはちょっとと言ってるだけだ
薩摩や長州、他藩士と合同だったり、武市が居ない間に勤王党のリーダー格が指揮した天誅だったり
武市が全く関わってない天誅だってあるのに、全部武市のせいにしとけば良いやwwwどうせ全部あいつの仕業だろwwwとばかりに押し付けられてる場合が有るから >>128
それに加えて本間は、津藩士を偽った本間と直接会ったことも有る天誅組の那須にまで、勤王の名をもって人をたばかる山師に過ぎず
正体がだんだんと知れて金子にも事欠き、最近は精一郎風の強盗が横行していたとか言われてたようだし、ニセ志士認定で暗殺された面も有るんじゃないかな
桜田門外の変、これ以外の暗殺は枝葉末節と言っていい。
関与していた奴らはみんな下の下。 >>131
司馬遼太郎読んで歴史に詳しくなった気分になっちゃう人?w なんとなく武市って印象悪いよね。なんでだろう。自分で手を汚さずにやってたからかな。
高杉とかは自分でしようとしてるぐらいなんだけど。
西郷とか大久保は指示したことあったのかね。 >>134
手を汚さなかったっていうか、それ以前に天誅は汚れ仕事じゃねぇからなwww
本来は天誅の刺客なんて、功名心の強いやつがやるものだし
武市の場合はしたっぱ脳筋野郎共が鼻息荒くして、わしがわしがと先に飛び出てきてたから、ボスの武市まで出番が回って来なかっただけ
そもそも天誅は武市の独断で命令して斬らせてた訳じゃなく、全て相談の上で複数でやってたし
世間で武市のイメージがゴミクズ野郎のは、小説とかドラマなどの創作で、手下を使って暗殺とか、手下を毒殺とかそういう間違ったイメージが刷り込まれているからだろ
このスレって創作を史実だと思ってるアホばかりなの?
もう少し調べたら?
どうせこのスレも孝明天皇は岩倉具視が殺したと思ってるようなアホばかりなんだろうやれやれww 天誅やらかして良い気になっていた勤王党の連中は、実際には吉田東洋を
殺された山内容堂にかなり恨まれていたのかね?
特に盟主の武市は恨まれていそうな感じがするんだ。
そうじゃなければ、土佐に帰還命令を出して置いて、全員牢獄にブチ込むなんて
しないしな。しかも、武士としての切腹を許されたのは武市だけで後は皆斬首されて
高知城下に晒し首にされたんだっけ?
容堂が相当恨んでいなけらばそこまでしないよなぁ。 斬首されたのは拷問に負けて「京の天誅に参加しました。平井の指揮で土佐の役人を殺しました」と自白した連中のみだよ
以蔵などは、女も耐えていた拷問に泣き叫んで、真っ先に仲間を売って顰蹙かってるね
耐えきった連中は明治政府で活躍してる
河野敏鎌とかもそう
武市は何一つ自白してないけど、御見付(証拠不十分の一方的な罪状)で処罰された。
捕まった党員全員が殺された訳じゃないよ 田中新兵衛とか岡田以蔵とか暗殺者側の資料や小説は結構あるのに、天誅で殺された側の人達の情報や小説とかってあまりないような。 天誅された人達ってそんな大物じゃないんですか? 島田左近や本間精一郎や目明かし文吉など。 みんな明白な人物像がわかりません。
昔、目明かし文吉が主役の小説なら読んだ事があるんですが。 >>135
実際、武市を評価している学者なんていないでしょ?
小説家とか地方の歴史家くらいで。 武市って評価高いんじゃなかったっけ?歴史家のなかでは
武市>>中岡>>竜馬でしょう。 >>140
まず先に安政の大獄ってのがあってだな。
天誅はこの安政の大獄の復讐(合間にスパイと思しき不審人物の殺害)。
天誅で殺されたのは尊攘志士・一橋慶喜擁立に協力した者の捕縛に関与した人物達。
小説は歴史的事実が書いてある訳じゃないから参考にしないように。 >>139
獄に繋がれた党員の中でも生き延びた人がいたとは知りませんでした。
参考になりました。俺はてっきり以蔵の自白で斬首されたと思っていました。
拷問と言えば、以蔵が拷問で全て自白したと言う説と、最初は拷問に耐えていたが、
自白を恐れた武市が服毒自殺を勧めた事に怒って、自白したと言う説があります。
後者の話は日本テレビの「知ってるつもり!?」の岡田以蔵の回で観た事があります。
はたしてどちらが真実なのでしょうか? >>144
武市に毒盛られて恨んで自白は司馬の創作だよ
信じ込んでるアホな自称歴史家もたくさん居るけどね
当時の武市関係史料や横田達雄の調査だと、以蔵が拷問で自白→党員の逮捕続出→拷問、尋問が悪化→武市の弟が服毒死、島村衞吉が拷問死→毒殺案浮上が正解
なお、結局毒殺もされなかったようであると、横田達雄の武市半平太と土佐勤王党に調査結果が書いてある
以蔵も結局己の自白と仲間への不義を後悔してるし
武市が以蔵を天誅で利用やら、以蔵が毒殺を恨んで自白なんて創作は武市や勤王党の志士達に大変失礼な創作だと思う
以蔵と一緒に天誅に参加した人達でも立派に生きた人達はたくさん居るのにね >>141
むしろ小説家のせいで学者(笑)の評価が酷い事になってしまったの間違いじゃないの?
まともな史料に当たらず、片寄った知識で語る学者(笑)の戯言を鵜呑みにしないように
武市なんて尊皇思想と国学ありきの人間を、尊皇思想がタブーになった戦後の価値観で語られてもね >>145
> 武市の弟が服毒死
武市の弟も自白、その後服毒死
と書かないと。
>>147
そうだったすまん。言葉が足りなかったな。
以蔵の自白で拷問や尋問がきつくなり、武市の弟も以蔵の自白が原因で拷問されて身体が弱かったせいもあって、耐えられずに、自白しちゃったんだったな
で、これ以上自白を重ねて仲間を売るくらいなら!と武市からもらった毒で自殺
イゾウが勝とのエピソードのせいで善人になっちゃってるよね。・ 史実だけ見てると以蔵ってどうしようもない奴ですね! 小説は創作しすぎだし。
でも、その当時以蔵が本当はどんな事を考え、本当はどんな人物だったか資料だけじゃ自分にはわかりません。
まあ、以蔵より島村衛吉について詳しく知りたいんですが、以蔵に比べてなんで衛吉はマイナーなんだろ!?
剣は達人、他の武術も相当な腕前だったんですよね? このスレ的には人斬ってないから有名じゃないとしかいい様がないな。
実際、人斬った後の行いみるとかなり調子にのってる。
功名心と人斬りは切り離せないね。 >>150
なんでって
島村衛吉は小説になってないから。
死ぬまで拷問に耐え抜くという、志士として最も過酷な部類の死に方をしたのだからもっと評価されるべき。 >>149
ぶっちゃけ、そのエピソードが以蔵唯一の善行じゃないかね
それ以外はろくなことしてないし
不良がひとつでも良いことをしたら良く言われるのと同じ >>151
島村衞吉も人は斬っているけどね
しかも武市に無断で勝手に人斬りしてた以蔵と違い、衞吉は武市にきちんと断りいれる律儀さ
以蔵なんかよりもよっぽど評価されて良い人物だよ >>153
後、ジョン万次郎を護衛したエピソードもなかった?イゾウ >>156
そもそも基本的には皆で相談しながら斬ってる集団リンチなのに、誰が黒幕とか無いけどね
最終的にOK出したのは武市でも、天誅なんて薩長の連中も絡んでたし、そいつらも武市が利用してたって言いたいのかな?
天誅組の那須日記によると、武市が居なくなった後の方が天誅が盛んになってたようだから、最終的には自分の意志で皆好き勝手やってたんじゃないんかね
平井も、武市が留守の間は、京で桂辺りと組んで党員に天誅させていたようだし
そもそも衞吉は以蔵みたいな激派って訳でもないし、以蔵程沢山人斬ってる訳でも無いから
以蔵は調子に載って功名心で人斬りしまくって自慢話ペラペラして武市にうんざりされていたようだがな
人斬りも、志士としての強い信念が有るか無いかでは雲泥の差だよ
>>155
それは正しいのかわからないんだよね
そのジョン万護衛ソースそのままだと、以蔵はもう処刑されてる頃だったはずだから明らかに矛盾があるし
何かしら間違いがあるはずなんだ 最近はこのレスもちょっと進みませんね。やはり土佐勤王党関係の話は
そろそろお終いですか?
それなら次の話題は何にしましょうか?やはりここはあまり有名ではないけれど、
姉小路公知暗殺について語りましょうか?
あの事件は近年の研究では下手人はやはり薩摩藩の田中新兵衛と言う事で落ち着きつつ
ありますが、未だに疑問を唱える人もいます。
真相はどうなのでしょうか?皆さんで語り合いましょう。 姉小路暗殺の黒幕を武市に押し付けたいんだったら、その頃既に武市は土佐に帰って容堂の説得に四苦八苦してたから違うよ
そもそも勤王党の中でも親しい同士である平井が、護身用の銃を渡してまで必死に守ろうとしてた姉小路を武市が暗殺するわけないし
決して武市が黒幕だなんて思っていませんよ。あれは勝新太郎主演の「人斬り」で
仲代達也扮する武市が以蔵に命じていたけれども、史実は違うんですよね。
当初は攘夷から開国派に転身した姉小路を快く思わなかった長州藩士が田中の刀を
盗んで、現場に故意に落として罪を田中に擦り付け様としたと言うのが一般に言われて来た
事ですが、真実は違うみたいですね。
そこを詳しい方々にお伺いしたくて、提案したんです。
どれが真実なのでしょうね?田中と姉小路があまりメジャーな存在じゃないから
今までは話題になる事が少なかったんで・・・ あの時点で姉小路卿暗殺の黒幕がいるとすれば
政局から締め出されていた会津藩の仕業じゃないか?
スパイをあちこちに放っていたようだし まあ姉小路が意外と強いんで、
刀落としたまま逃げちゃったんでしょうね。
太刀持ちが逃げなければ返り討ちにしてたんじゃないか。
田中新兵衛、滋野井公寿、西四辻公業の可能性が高いらしいね。
田中にいたっては首実験で確認されてるし。
いずれにせよ、開国に転じたことを恨んだ尊攘派の仕業でしょうね。
>>162
佐幕派はありえない。
この事件で率兵上洛を断念したとの浅野氏祐の証言がある。
>>160
変なやつw
武市は、姉小路を頼って朝廷活動していたし、
当時疑われたのは仕方ないよ。
「篭絡された」って語ってる通りがっくりきただろうしね。
キング牧師・ケネディ等の暗殺事件も
http://s1.shard.jp/deer/0204/42/283_1.html
再検討の必要がある。
基本的な事だが、家族が次々に暗殺されること自体が異常だからだ。
普通なら、嫌気がさして、職業を変えたり、世間から遠ざかったりする。
それだけの財力のある人々が、何故命をさらしてまで行動するのか。
理論的には整合性がない。
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html ) 姉小路が暗殺されて、一番疑われたのが武市なら、武市を陥れたがってた連中の仕業って線は有り得るのかね
その頃薩摩に、武市、平井、久坂辺りは良く思われてなかったみたいだし(その事については平井の日記で確認できる)
田中の刀だって証言したのが土佐浪士でしょ。(名前忘れた)
さらに天誅繰り返してたから、だから土佐の策略と疑われた。
まあ、現在から振り返ると田中は同士だってはっきりわかっているから、
ありえないんだけども。
>>165
まあ当時の薩摩で尊攘派なのは京屋敷の一部だけだから。
藩重臣たちは困り果てていた。最後は寺田屋事件(薩摩藩版)だからね。
そそのかしてるそいつらも同じ扱い。 ここで議論してても仕方ないから、とりあえず明日現場検証してくる。
待っとけやガキ共!! >>167
現場検証って何処に?何を?どうやって? 新兵衛は薩摩示現流だろ?それなら暗殺の時も示現流特有の掛け声の
「チェストー!」と叫んだのかな?
それとも秘密裏に行う事だから無言で斬ったのかな?
公知卿暗殺の時はどうだったのか気になる。
そう言えば新兵衛は天誅第1号とされた島左近暗殺にも参加したよね。
その時はどんな感じだったんだろうか? 暗殺ってどれくらいの数あったのかね。記録に残ってないのとか入れると
凄い数になるのかな
>>170
示現流特有の掛け声は猿叫と呼ばれる甲高い叫び声。
チェストー!は示現流は関係なく、薩摩のやつらが気合い入れる時の掛け声。
秘密裏だろうが隠す必要がなかろうが、
チェストーと叫びながら切り掛かるのはまず無いんじゃないか。 >>173
そうだったのか・・・知らなかった。情報を有難う。
他にみんなが注目に値する様な暗殺ってあるかな?
現場検証してきたぞ。
何処も跡形もなく変わってた。
駄目だった。
木屋町で聞き込みしたが駄目だった。
すまん。 >>175
そりゃ、そうだろうw
今の京は幕末とは全然違うだろう。
残っている名所は寺田屋と新選組当初の屯所だった八木邸や前川邸、
西本願寺くらいなモノだろう。
池田屋なんかパチンコ屋に後は居酒屋になったのか?
薩摩だか長州藩の屋敷は今の同志社大学とか京都大学になっているだろう。 確かに御所は残っているが、あそこは藩士だけでなく、誰も出入りを
許可されない場所だったじゃないか。
今で例えると、一般人や右翼関係者が天皇や宮家がいる皇居に入ろうとする様
なモノだ。 >>173
声出さなくても、「蜻蛉」で斬りかかれば、
すぐに薬丸自顕流、示現流、つまり薩摩の人間って分かるけどなw
それしか攻撃の型がないわけだし。(後は下からの居合だけ)
まあ声出さずに斬りかかるのも、彼らにしてみれば難しいだろうが。
稽古でいつも猿叫を上げているのだから。 >>177-178
大久保は、禁裏御所の問題を大きく考えていて、
大阪親征や大阪遷都は、禁裏撤廃の意図があったらしい。
なんで桐野って有名な人斬り扱いになってるの?
ただの西郷のボディーガードじゃないの? >>183
一応、自分の師匠格の赤松とか言う人を斬ったからなぁ。
後は幕末時代にどういう経緯か、土佐の後藤を斬ろうとしたらしいが、
それだけで人斬り呼ばわりは本人にとっても心外だろうなぁ。
でも、幕末時代の薩摩藩は政治工作や何やらで、裏でかなりエグイ事を
やっていたらしいから、もそかしたらその延長線上で桐野もかなり斬った
のかも知れない。 薩摩は、大まかに言って、
本国が公武合体、開国、大攘夷で倒幕はかなり時代が下ってから、
京都藩邸が尊皇、即今攘夷、倒幕。(その典型が文久二年の方の池田屋事件)
幕臣で海外事情に詳しい赤松小三郎は、(もちろん開国派)
本国では礼をもって迎えられたが、
京を通って上田に帰る時に、たまたま薩摩の尊攘派に殺されただけでは?
桐野は凄く長州寄りの急進的な尊攘派だし。
いわゆる武辺馬鹿でしょ。姉小路切った田中と一緒で。
悪い人じゃないみたいだけどね。
赤松が薩摩と幕府の距離を縮めるのを嫌ったのでしょう。
薩摩(尊攘派)はこういう人がいるから怖いんだよね。
土佐と違って切る人が的確すぎるというか。
姉小路暗殺はやりすぎて、尊攘派の京追放の原因になってしまったけど。 幕臣と書いてはいかんか。
江戸詰めになったことがあるだけで、
幕府の学校への採用は上田藩に断られたんだった。 さぁ、皆さん。姉小路卿暗殺の件が一段落したので、今度はもっとマイナーな
暗殺事件に付いて語りましょう。
絵師の冷泉為恭暗殺事件なんか、あまり背景が知られていないので、御存じの方
いらっしゃいましたら御教示下さい。
なぜ、幕末とはいえ、一介の絵師が殺されなければいけなかったのか?
裏事情を御存じの方、存分に語って下さい。 別にどうってことないでしょ。
京都所司代酒井忠義のところ出入りしていたからスパイと疑われただけ。
あとは勝手に冷泉を名乗ったのが、尊皇派の怒りを買ったかね。
天誅対象の人選には成功者への妬みもあるように思うし。 足利尊氏の像 を壊して晒し首にした幕末の奴らって
頭がいいのか悪いのか分からないな。ノリでやったんだろうか。 俺は天誅の中では一番理解できる。
足利将軍は天皇に逆らった悪いやつだし、(尊皇思想的には)
人殺しはしてない上に、
将来国の役に立つ大人物を殺してないし、
どうでもいいような小物を殺していきがってるのでもない。
けど武家政権たる幕府に対して強烈にノーを突きつけてる。
結局たけちんぽが首謀者で確定?
拷問の末の供述ならあまり当てにならないが…。 東洋暗殺は武市が首謀者のようだが、山内家と保守派が絡んでる
だからこそ、山内家のお家争いに発展する可能性も有り、前もって口裏あわせがされていたと思われる
あと、以蔵が全て自白したとか言うデマが広まっているが、以蔵が自白したのは京都での天誅のみで、東洋暗殺に関しては誰も自白してなかった。
だからこそ、容堂も武市を不敬罪で強引に腹切らせるしかなかった訳で >>193
土佐勤王党は東洋暗殺の探索をしていた土佐藩士を二人殺してる。
(藩士と言っても五十人組で当時は脱藩中だが)
ただこの暗殺に武市は関わってないみたい。
一人目は麻疹で倒れていて、二人目は武市は天誅から足を洗った頃で。
関与した時は日記に書いているけど、この二人のはないので。
(ちなみに関与してる時は参加者一覧も書いてる)
だからこっちの罪も問えなかったと思われる。
土佐藩士以外の関与は追求しても仕方ないし。
>>194
殺しておらず、現場にもいない。
>>194
河原塚茂太郎や島村衛吉は一応実行部隊に加わっていたようだけど、以蔵は東洋の件には全く関わってない
>>195
土佐からの追っ手の一人である井上佐市郎の暗殺は平井収二郎の指揮で、武市ももしかしたら平井と相談してた可能性くらいは否定できないんじゃなかったっけ?
もう一人の追っ手の暗殺に武市が関わってないのは確定しているようだけど
病に臥せったのは半月後の京都に入ってからだったわ。
井上はその前の大阪。土佐藩が大阪にいたのは流行病のせいで、
京に向かうことが出来ず停滞せざるを得なかったから。
関与を否定するような資料はない。肯定の方向の資料もないだけで。 勤王党によるものとされる多田帯刀の暗殺について、武市が以蔵に命じて斬らせたなどとする創作が有るようだけど、
その頃は二人揃って姉小路にくっついて江戸に出かけてるから有り得ないんだよね
京都に残ってるサブリーダー平井収二郎の指揮で千屋菊次郎達が多田を暗殺したと考える方が妥当 参加していた依岡権吉の証言によると、平井も関与してないんじゃないの?
大正に入ってからの証言だから、配慮で外すことはありえないし、
かなり詳細な証言で、記憶が曖昧ってこともないだろう。
長州からも参加しているが、双方に大物はいない。
このあたりの安政の大獄の仕返しの天誅は対局に関係なくつまらないしね。
相手はもう完全に失脚してるんだから。 >>200
その証言は知らなかった。
でも、平井の日記で多田帯刀が死んだことについてちらっ触れてる記述があるんだけど、その時に桂と酒(祝酒?)飲んでるみたいなのが気になるんだよね
その記述のせいで、この二人が直接関与してなくても、間接的に関わっていたんじゃないかという可能性を疑ってしまう >>202
坂下門外の変に一枚かんでるんじゃなかったけ。桂小五郎 自分は幕末に1度も刀を抜かなかったと云われている桂が桜田門外の変、
大老襲殺に関与していたとは本当ですか?
自分は斬らずとも他人に切らせていたも同然じゃないですか? >>204
いや坂下門外ね。逮捕されてなかったっけ? 桂は知らんが、大久保一蔵が、最初は桜田門外の変に参加する予定だったが、久光に気に入られたため
藩を動かすという仕事に切り替えたというのは本当かね >>203
薩摩と水戸藩のように
長州の桂小五郎達も水戸藩と密約を結び老中安藤信正暗殺計画を立てていた。
周布の失脚で桂達が参加できなくなり水戸藩の者のみで実行された。これが坂下門外の変。
薩長土の者達による天誅も桜田門外の変の影響の後続と思われる。 >>207
> 薩長土の者達による天誅も桜田門外の変の影響の後続と思われる。
かなり暗殺対象がせこくなってるけどね。
大物は姉小路くらいか。
佐久間象山と赤松小ざぶろうも挙げといた方がいいかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています