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信用できない歴史作家たち

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0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/07/09(月) 15:40:03.60ID:T5H6dXuA0
信用できない歴史作家の嘘を暴露していってください

歴史の捏造を撲滅しましょう
0118名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/12/11(火) 17:03:02.11ID:pEtXz1Ud0
せごどんの解説で天皇家を公家だと言っている林真理子
あれを聞いて見るのやめたわ 
0119名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/12/11(火) 17:03:42.91ID:pEtXz1Ud0
せごどんの解説で天皇家を公家だと言っている林真理子
あれを聞いて見るのやめたわ 
0120名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/12/11(火) 17:03:45.66ID:pEtXz1Ud0
せごどんの解説で天皇家を公家だと言っている林真理子
あれを聞いて見るのやめたわ 
0121名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/12/11(火) 19:46:27.19ID:pxV5P65g0
>>117
歴史家じゃないけど、この人のせいで会津の権威が地に落ちたな。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/12/16(日) 07:26:34.28ID:eDYTo5Ei0
会津だ長州だの議論は平行線で不毛だし
第三者が見ても無意味なものだと気付け
長州を長州朝鮮族と書き換えるだけで
第三者にも意味のあるものになるのにバカな連中だ

ところで
「日本政府は不正な政府」というスレ立てたのむ

大政奉還を拒絶していた天皇はころころされ
山口県の朝鮮部落民が日本政府を作ったと知れるとまずいので
実在しない「長州藩」をでっちあげた
ずっと仏教だった天皇は明治から戦争神道になった
文書偽造・捏造の明治政府は不正な存在であり
惨めな英国の傀儡であった
0123名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/12/16(日) 09:40:48.32ID:7fOaneGc0
>>668
極左にも嘲笑される田布施システム
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57496

>>122
人権侵害やめろ
おまえ田布施町に行ったことないだろ
共産党がトンデモ説を吹聴したせいで大室天皇の家族は今も苦しんでるんだぞ
0124名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:08:18.72ID:DF8vSiFH0
>>1
ネットで流布されているフェイクニュース対策を応用すれば良いよ。

一次ソースの確認と、他の情報源との比較分析。
そうすればいちいち信用できない、騙されたとヒスを起こす必要はなくなる。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2019/01/06(日) 21:13:31.81ID:WBU3Klfo0
昭和になってから政治に影響され過ぎたせいで
日本史の学者に対する世間の信頼が地に落ちたから、
素人が言いたい放題になってしまった
0128名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2019/03/28(木) 16:53:07.01ID:yxFNlkmq0
会津のまともな歴史家である野口氏が
会津プロパガンダによる嘘を指摘。

>野口さんによると昭和30年代
>郷土史を研究する地元団体の冊子に
>遺体の埋葬を禁じたことが記された。
>昭和50年代になると『戊辰殉難追悼録』に
>会津若松市長が寄せたあいさつ文で
>「埋葬を長期間許さずして
>その屍を辱めた」と書いた。
>埋葬禁止説は半世紀も伝えられ
>「周知の事実」として知られるようになった。

会津バカ松は町ぐるみで嘘をついてた!!
0130名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/05/10(火) 11:48:04.81ID:12hyymvZ0
>>121
その前から嘘がバレて会津プロパガンダと言われるようになってただろ
0131名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/06/10(金) 23:50:06.29ID:FdLddywH0
>>102-103
サンデー毎日 2022年5月1日号
・〔ウクライナ侵攻〕徹底解剖プーチン戦争 旧ソ連の残虐さがロシアに引き継がれている 特別寄稿・保阪正康
ttps://mainichibooks.com/sundaymainichi/backnumber/2022/05/01/
「私は孫が抱けない。怖くて見ることもできない。中国戦線での体験のためだが、辛くても仕方がない。罰を受けていると思って
いるんだ」
 東京の郊外の町工場を経営している男性から、戦時体験を聞いている時に苦悩に満ちた表情でその告白を聞いたことがあった。
平成に入っての頃である。中国戦線での三光作戦に従事した兵士であった。ある村に火を放って退却する時に、4、5歳の幼児が
一人で泣きながら日本軍の兵士の後をついてきた。中隊長に「どうしますか」と聞くと、その上官は「始末しろ」と一言だけ言った。
結局射殺した。辛い体験であった。

「私は孫が抱けない。怖くて見ることもできない。中国戦線での体験のためだが、辛くても仕方がない。罰を受けていると思って
いるんだ」
 東京の郊外の町工場を経営している男性から、戦時体験を聞いている時に苦悩に満ちた表情でその告白を聞いたことがあった。
平成に入っての頃である。中国戦線での三光作戦に従事した兵士であった。ある村に火を放って退却する時に、4、5歳の幼児が
一人で泣きながら日本軍の兵士の後をついてきた。中隊長に「どうしますか」と聞くと、その上官は「始末しろ」と一言だけ言った。
結局射殺した。辛い体験であった。

 戦友会で、かつての中隊長に「ああいう命令でこっちは一生苦しんでいますよ」と嫌みを言った。するとその中隊長はなんと言っ
たか。
「俺は始末しろと言ったけれど、殺せとは言っていないぞ」
 その言葉を聞いて、元兵士は中隊長に飛びかかっていった。始末しろ、がどういう意味か、今になってシラを切って逃げるなと
いう怒りであった。その一部始終を彼は、沈んだ口調で話った。そんな話は戦後に初めて他人に話すことであった。

https://academy3.5ch.net/test/read.cgi/history/1118721815/
https://academy3.5ch.net/test/read.cgi/history/1118721815/21
https://web.archive.org/web/20011117004510/http://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion3 (J)/history/Nanking/nanking.htm
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