人体実験・細菌兵器研究担当日本

侵略国だった日本と七三一部隊


戦後、敗戦した日本は「被害国」のように考えられることが多いが、日本軍が行ってきた加害者的側面を見過ごすこ とはできない。とりわけ凄惨を極めた七三一部隊の話しを踏まえて「侵略国日本(敢えてそう言う)」を考えてみたい。

【死の七三一部隊】序文
 
 日本は「広島・長崎」において原爆被害を被った、唯一の核被爆国である。そのことはこれまでも重要な問題として 捉えられてきたし、また今後もより一層の教訓として考えて行かねばならない問題である。

 日本では戦後、こうした「敗者」「被害者」の側面ばかりが強調されるが、旧日本軍がアジア圏において行ってきた 侵略行為と魔の所業を忘れることなかれ。

 これから紹介する七三一部隊の業は、日本軍が行った行為の中でも最も許されざる行いであり、また我々が明確に 知っておかなければならないことでもある。


死の七三一部隊@ 【秘密】 
 
 満州国は第二次世界大戦中、中国東北部に清朝最期の皇帝溥儀(ふぎ)を執政として、関東軍がでっち上げた傀儡(かいらい)国家である。

 日本軍が闊歩するその満州国に平房(ピョンファン)という村がある。そこに日本軍の、ある一部隊が駐屯してい た。軍とはいえ、これと言った戦車大砲等の兵器を装備しない不思議な部隊である。
 七三一石井部隊、その部隊は約6キロ四方を土塀で囲って様々な施設を作ってそこにあった。常時3 千名の隊員を擁する。その施設にある3本の巨大煙突からは、毎日黒煙とともに異様な悪臭が流れていたと言う。

 この部隊の隊員は他の軍隊とは異なり、戦闘要員が少なく、代わりに日本民間人からリクルートされた学者、研究員 でおおむね構成されている。知的な雰囲気を帯びた秘密部隊であった。
 中国人はこの部隊について噂した。「あの部隊には近寄らない方 がいい。人間を材料にして何か秘密の実験をしているらしい」