そろそろ幕末剣士最強を最終決定しよう!二番隊長 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
以蔵はイケメン俳優が演じる事が多くて大人気だけど俺にはなんか猟奇的なイメージがある
拷問で落ちるのが早かったのがマイナスポイントかなぁ
斎藤一は晩年もめちゃくちゃ強かったと言うから最強候補筆頭クラスだと思う 斉藤自身
実践では小手先の技術を繰り出す暇など無い
無我夢中で斬り合うだけと言ってるな
それで言うなら竜馬や桂等の実践の乏しい幕末の志士は最強論争から外れる 永倉は後年のインタビューで斎藤とはあまり話した事がないと言ったのは
斎藤が学んだ流派についてあまり話した事がないから分からないと言う意味だと思うよ
会ってるかどうかは記録には残って無いし
分からないよね >>3
無心で戦うって言っただけで普段の稽古で使ってる技術が使えないとはいってないぞ こう来たらこう交わしてとか
考えてる暇は無いだろな 上田馬之助
馬車道(※現在の銀座)食事処松田での天童藩士一蹴
浦啓介(十津川郷士.義経流籠手斬りの使い手)新撰組と市街で遭遇して3度とも撃退
肝付又助(薩摩)
速水又四郎(講武所教授.清河暗殺の先鞭をつけた人物) 佐々木只三郎
分かってるだけでも清河八郎、中岡慎太郎、坂本龍馬
斬ったのは大物ばかりと言う点では最強 佐々木 清川が橋を渡りきったところで横合いから声をかけながら『清河先生』
陣笠を脱ぐ
佐々木も挨拶するのに陣笠に手をかける
背後に廻っていた速水抜き撃ちを浴びせる
不意討ちを喰らった清河
前のめりになりながら柄に手をかけるも右手の鉄扇の紐が邪魔で抜けない
正面から佐々木が首に止めを差す
佐々木の作戦が見事 諸説あるが
竜馬暗殺犯人は佐々木で間違い無さそうだな
それも作戦の首謀者で最初に部屋に入って竜馬に手をかけた実行犯だろ、凄まじい早業だったんだろな、もう一人は渡辺、そして桂、世良と入ってきて斬りかかり、もう良いと言ったのも佐々木だろう。最後にトドメを刺した世良は
実践が不慣れだった為、気が動転して鞘を落としてしまった。 小太刀の名手桂早之助
https://youtu.be/1g-P-Wo1UXc
渡辺篤の供述が事実なら最初に部屋に入って竜馬を斬ったのは桂と渡辺かもしれない
佐々木は部屋の外に隠れて指示を出してた。
ちなみに渡辺も小太刀の名手
佐々木は狭い間での戦闘に有利な小太刀の使い手を選んでたんだな 何気に今井信郎はどうなんだろ?
直心影流免許皆伝、函館戦争まで戦い抜いてる >>11
浦啓介と肝付又助は司馬遼太郎が創った架空の人物 どう考えても近藤勇
沖田昏倒、藤堂瀕死の重症、永倉負傷
にも関わらず近藤は孤軍奮闘の末
かすり傷一つ負わなかった 出典:wiki
天覧兜割り(てんらんかぶとわり)とは、明治時代に催された兜の試し斬り天覧試合。
明治19年(1886年)11月10日、東京府麹町区紀尾井町の伏見宮貞愛親王邸に明治天皇の行幸があり、弓術、鉢試し、席画、能楽、狂言が催された。
榊原は明治維新期に撃剣興行を催したことで知られ、逸見と上田は最初の警視庁撃剣世話掛に採用された人物であり、いずれも当時一流の剣術家であった。
逸見と上田は兜割りに失敗したが、榊原は同田貫を用いて明珍作の十二間筋の兜を切り口3寸5分、深さ5分斬り込み、伏見宮から金10円が下賜された。
天覧兜割りは、榊原の剣豪としての名声を高めた。また、同田貫の強度を物語る逸話として知られる。
出典:wiki
榊原 鍵吉(さかきばら けんきち、文政13年11月5日(1830年12月19日) - 明治27年(1894年)9月11日)
幕末期に男谷信友から直心影流男谷派剣術を継承し、講武所剣術師範役、遊撃隊頭取を務める。明治維新後は撃剣興行を主宰して困窮した士族を救済したことや、天覧兜割りの成功などで知られ、「最後の剣客」と呼ばれる。
稽古で長さ六尺(180cm)、重さ三貫(11kg)の振り棒を2000回も振ったといわれ、腕周りは55cmあったという。
江戸麻布の広尾に生まれる。父は御家人・榊原益太郎友直。5人兄弟の長男であった。
出典:wiki
逸見 宗助(へんみ そうすけ、1843年(天保14年) - 1894年(明治27年))
生年は1834年(天保5年)ともいわれる。佐倉藩藩士・逸見信敬(立身流第17代宗家)の子として生まれ、家伝の立身流を修行する。
立身流は袋竹刀で打ち合う古式の剣法であったが、江戸で竹刀防具を用いる撃剣試合が盛んになると、佐倉藩も1850年(嘉永3年)に他流試合を許し、北辰一刀流や鏡新明智流などを招いて学んだ。
鏡新明智流からは高弟の上田馬之助が来て、逸見は上田の指導を受けた。
出典:wiki
上田 馬之助(うえだ うまのすけ、1831年(天保2年[1]) - 1890年(明治23年)4月1日)
肥後熊本新田藩細川氏の家中に生まれる。藩主が江戸定府であったことから江戸を出生地としている。
鏡心明智流士学館(4代目桃井春蔵)に入門し、頭角を現す。坂部大作、久保田晋蔵、兼松直廉とともに桃井の四天王と謳われ、士学館の筆頭的存在になった。 剣術を極めた剣術家は新撰組のような実践回数が少なくてもめちゃくちゃ強いだろうな
常に実践を想定してるだろうし >>19
近藤は農民が武士にとか甲陽鎮撫隊の無様とか偽名で投降だとか
が言われて過小評価されてると思う。
酒が入った過激派浪士がどんだけ中にいるか、もちろん全員帯刀してる。
そんなところにあの人数で踏み込み、斬り合いやむなしとなればば踏み入って
戦うことにためらいがない。
池田屋のときの近藤は本当にすごいと思う。 訂正。
>>25
酒が入った過激派浪士がどんだけ中にいるか不明。10人以上はまず居る。
もちろん全員帯刀してる。
そんな池田屋。御用改め、と正面から行ったから奇襲でもなく
相手も抜刀してやる気十分。
そこに少ない人数からさらに出口の固めに人数割いた上
1、2階と二手に分かれちゃうという人数の不利。 >>26
そう、真正面から複数人に向かっていった近藤はまじ最強レベル、人斬りと言われてる暗殺者はほとんど奇襲だがこの人は違う
あの場に土方がいたらなぁ、来るのが遅すぎたから土方の強さは永遠に未知数 >>21
油小路の決闘で新撰組多数に囲まれた状況で腰につけた馬乗り提灯で足元を照らしてバタバタ新撰組を倒したんだよね
長命したらばどんな成長を遂げたのかなぁ
一説には新撰組最強の使い手沖田総司にも匹敵しただろうと讃えられた剣豪 芹沢鴨とか服部武雄とか
判断材料が少なすぎる…
芹沢なんかは一番最初に死ぬキャラやん 実践でも道場でも無敵の斎藤一
去年新たに写真が出てきたが
死線を潜り抜けた達人に相応しい顔だった ▽幕末著名流派別最強剣士
男谷信友【東京都墨田区、直心影流】
中西子正【東京都千代田区、中西派一刀流】
寺田宗有【東京都文京区、天真一刀流】
白井亨【東京都千代田区、天真白井流】
高柳又四郎【東京都、戸田流高柳派】
千葉栄次郎【東京都中央区、北辰一刀流】
浅利義信【千葉県松戸市、浅利派一刀流】
伊庭八郎【東京都台東区、心形刀流】
樋口定伊【群馬県高崎市、馬庭念流】
岡田十松【埼玉県羽生市、神道無念流】
比留間与八【埼玉県日高市、甲源一刀流】
近藤三助【東京都八王子市、天然理心流】
上田馬之助【東京都中央区、鏡新明智流】
岡田惣右衛門【埼玉県幸手市、柳剛流】
櫛淵弥兵衛【群馬県月夜野町、神道一心流】
杉浦源次兵衛【茨城県笠間市、香取神道流】
中村一心斎【長崎県島原市、不二心流】
加藤田平八郎【福岡県久留米市、加藤田神蔭流】
大石進【福岡県大牟田市、大石神影流】
村上亘【茨城県笠間市、示現流】
大山綱良【鹿児島市、薬丸流】 速水又四郎の名が挙がってることに驚きなんだが(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています