田原坂の戦い・吉次峠の戦い
☆薩軍の防衛線が崩壊し、政府軍の田原坂突破。政府軍の勝利
政府が清正の遺産熊本城を使えば薩軍も清正が北の守りに整備した田原坂を使う事となった
薩軍の抵抗は激しかったが物資量と武器の差が勝敗を分けた
敗れた薩軍はすぐさま防衛線を再構築し、潰走までには至らなかった。

両軍多くの死傷者を出したが、私学校の士気・練度の高い小隊長を多く失った薩軍にとってこの人的消耗は取り返しのつかない致命傷となる

薩軍副将:篠原国幹戦死
馬上の美少年:村田岩熊戦死(村田新八の長男)

政府軍八代上陸
熊本県南部の八代に官軍が上陸、鹿児島との連絡線を遮断するとともに薩軍の背面を脅かす
続々と政府の援軍が八代に上陸北上し、北上を阻止せんとする薩軍と対峙し、新たな戦線が構築される

薩軍の八代強襲
☆薩軍の攻勢失敗、政府軍の勝利
政府軍の八代上陸を受けて、薩摩で新たに編成した部隊を使い、政府軍を熊本鹿児島間で挟撃するという無謀な作戦

薩軍の狂信的な突出攻撃により政府軍は混乱して、八代市内への突入を許す寸前にまで行くが攻勢はそこまでが限界であり、
最後は政府軍に包囲殲滅され、薩軍は球磨川に叩き落とされた。薩軍司令辺見は命からがら敗走した。
熊本共同隊代表:宮崎八郎戦死