緑川の戦い
☆政府軍が薩軍を破り川尻に到達、薩軍の南部戦線崩壊

八代に上陸した政府軍は八代強襲軍を破り本格的な北上を開始
熊本市南部にある緑川で薩軍と激突
三倍の兵力を持つ政府軍の北上を止める事は出来ず緑川の戦線は脆くも崩壊

政府軍は川尻に到達し、薩軍の熊本南部戦線は完全に崩壊し熊本城は開放された。

これで福岡から南下する政府軍と八代から上陸し北上する政府軍と挟み撃ちに合う事となる。
薩軍司令永山弥一郎戦死


城東会戦
☆政府軍の全線総攻撃、薩軍の敗走
熊本南部戦線の崩壊、熊本城の解放を受けて、熊本北部を守備する意義を失った薩軍は熊本平野に移動し、戦線を再構築
政府軍も続々と熊本城周辺に集結し部隊を再編し出撃。
関ヶ原以来の大規模な会戦が開始された
(薩軍8,000対政府軍30,000)

薩軍は奮闘するも数に劣るため、一部戦線を突破されるとそれが崩壊のトリガーとなりやすく、結局2日で薩軍は敗走を開始する