そのころシンガポールでは英軍が組織した「支那人だけの戦闘集団がいた」
と朝日の従軍記者酒井寅吉が報告している。 この部隊はジョン・ダレー中佐
の指揮下にあり兵員数4000人というから優に旅団規模を誇る。
兵士の中にはチャンギ刑務所に収監されていた共産ゲリラも含まれていた。
彼らの特徴は正式の軍装を持たない。つまり私服の便衣隊で、
黄色いバンダナを首に巻くのがただひとつ目印とされた。
指揮官の名に因んで「ダル・フォース」あるいは「Dalley,s Desperades
(ダレーの無法者たち)」と呼ばれた。
 日本軍との市街戦になったとき彼らは善良な市民を装って攻撃の機会を窺い、
追われれば銃を捨てて市民の群れに逃げ込んだ。
 この便衣による戦闘はそのまま国際法違反のゲリラと見做される。
捕まれば国際法でも極刑を認めている。
シンガポール攻略戦ではこのダル・フォースの何人かが捕まり彼ら便衣隊の
存在が明らかになった。
今、シンガポール華人が日本軍の華僑粛清を非難するが、
原因を創ったのは紛れもなく彼ら自身だった。」(週刊新潮4月18日号)