山本五十六は真珠湾無警告爆撃というおよそ侍らしくない卑怯な手法で戦争を初め
歴史に汚名を残した。「半年間は存分に戦って見せましょう」と言うだけで半年後の
悲劇を語っていない。戦前、駐米武官という立場でアメリカの国力を十分認識し、
アメリカ人が奇襲攻撃を受けたらどう反応するか予想できたはずなのに無謀な戦いを
開始した。おまけにミッドウェーでの敗戦の責任をとらず無能さをさらけだした。
よって東条英機が政治的責任を負っているように山本は日本敗戦の大いなる責任を負う日本国民にとり最大級の戦犯と言える。