>>24
家茂が長生きしていても、朝廷を掌握しているのが慶喜だからね。
家茂没後に薩摩藩は田安亀之助を次期将軍に立てる運動も一応したようだ。

慶喜という人がな国事に積極的に関与し、朝廷を掌握し、
大藩との協議を排除して政策を進めたのが薩摩藩の面子を潰して武力蜂起に向かわせたので、
家茂が成長してそこそこ薩摩藩の意見を聞いていれば特に文句はなかったんでしょう。
ただし、その場合は相手が待ってくれない外交で、誰も国内的な責任を負いたがらないので、
朝廷・幕府・薩摩藩などがお互いに決定責任を押し付けようとする間に、
さらに不利な条項を押し付けられる可能性はかなり高い。