明治体制下では総理大臣の決め方も結局明文化されず(笑)元老が決めていた
(元老が西園寺公望一人になってからは重臣会議に引き継がれたが)
結局一部の重臣たちが決める方式なのは最後まで変わらなかったので明確な法治国家とも言えない人治国家だった
一時政党与党の党首が総理になる時代があったが、それは元老がそれがふさわしいと判断して決めていただけで法律ではなかった
そのため5.15事件後は政党の党首が総理はふさわしくないと元老(西園寺)が判断したため政党与党は総理になれなくなった(笑)
そして軍部の意向にそう人物しか総理になれなくなり敗戦まで止まらなかった