>>25
大久保は当時政治と経済の融合こそが国の発展に最良であるという観点から大阪遷都を主張

東京遷都は木戸でも伊藤でも大隈でもなく前島のプランがすべてて彼らはそれに同調したにすぎない

公家の影響力云々は大久保側の主張で東京遷都プランでははじかれてる内容である

近代港湾にしても東京は横浜と横須賀であり、東京に施設が整っていたわけでなく
大阪遷都プランでは神戸を用いることになってて変わりはほぼない

東京遷都がとおったのは国家安全保障上のことが大きく
大阪遷都は国防であり
国家安全保障と国防の中で国家安全保障に軍配があがったという
その国家安全保障理論に大久保もそれなりに理解は示したが大阪遷都が最良であるという考えは死ぬまでもっていたことは言及

政治インフラというより土地施設インフラが東京遷都は有利だったのは間違いない

文献調べると
道の広さが相当関係してるという事実がわかる
道の広さで決まったということを知るとなんだかなあとは思うがw